第10話

 七月も残すところ、あと二日となった昼下がり。

「ふたりとも、おまたせ! 遅くなってごめんね!」

 亜美花とハッピーがいつもの公園前にいると、そこに光希が走ってやってきた。

 集合予定時間の五分前。まったく謝る必要はないのに、彼は申し訳なさそうな顔をしている。

 飼育委員会に入っている光希は、夏休みの間、交代制でうさぎの世話当番が回って来るらしい。朝早くから立派に動物の世話をしているのだから、褒められこそすれ責めることはない。

「ううん、全然気にしないで!」

「うさぎ小屋の当番は終わったんですの?」

「ばっちりだよ!」

 光希の元気な返事を聞き、亜美花たちは並んで歩き始めた。目的地は芯平の家だ。

 さかのぼること四日前。

 前回の戦いで川に落ちた芯平は、みんなが心配した通りに夏風邪を引いてしまった。

 もともと体が強いほうではないと言っていたし無理もない。きっと慣れない戦いで、体に疲れも溜まっていたのだろう。

 亜美花は芯平が川に落ちた翌日、少しの間出動できないかもしれないと連絡を受けた。それからというもの、彼から何の音沙汰もない。

 無理をせずに休んでほしい。しかし、今の状況がわからないと不安がふくらむばかりだ。

 居ても立ってもいられなくなった亜美花は、みんなにお見舞いを提案した。

 残念ながら、千代と爽は部活動が夕方まであるとのことで欠席だ。

 ただ、よく考えれば病人のところに大勢で押しかけたら迷惑になってしまう。このメンバーで行くことになってよかったのかもしれない。

 亜美花が今までのことを思い出していると、光希が声をあげた。

「亜美花ちゃん、このまま芯平くんの家に行くの?」

「ううん。途中にあるお店で、果物とかゼリーとか買っていこうと思ってるよ」

「あっ、見たことありますわ! かごに入っているアレですわね?」

「そんな高いものは買えないよ~!」

 亜美花はハッピーのお嬢様発言に苦笑する。

 他愛もない話をしながら歩いていると、光希が途中で思い出したように口を開いた。

「そういえば、ぼく亜美花ちゃんに聞きたいことがあったんだ」

「なあに?」

「あのね、ひだまり中学校に長い三つ編みの女の子っている?」

「長い三つ編みの女の子? どうして?」

 脈絡のない質問を不思議に思い、亜美花は首を傾げる。

 光希はもじもじと両手の指を組み合わせ、少し緊張した様子で話し始めた。

「えっと、この前その子が中学生の男の子たちにいじめられてたんだ。取り囲んでひどい言葉ばっかり言ってて。それで嫌な気持ちになったから、その男の子たちを追い払ったの」

「まあ、良いことをしましたわね!」

「光希くん、すっごく偉いよ!」

「えへへへっ……」

 尊敬のまなざしを向けられて、光希は照れくさそうに笑って頬をかく。

「それで、その女の子はありがとうって言って帰ったんだけど……。それからもたまに姿を見かけるから、元気にしてるのかなって気になってて」

 彼女はひだまり中学の制服を着ていたため、亜美花に聞いたそうだ。

 長い黒髪を左右に分けて三つ編みにしていたらしい。いわゆるおさげ髪と呼ばれるものだ。

「うーん、長い三つ編みかぁ」

 亜美花は腕を組んで考え始める。

 中学生になったとは言え、まだ通い始めて数か月だ。あまり多くの人を覚えているわけではない。

 クラスメイト、部活仲間、委員会メンバー。関りのある人の姿を思い浮かべるが、特徴に当てはまる人はいない。他に三つ編みをしていた子はいただろうか。

「あっ!」

 記憶をたぐり寄せると、一人だけ心当たりのある人物がいた。

 亜美花は、少し前に職員室でぶつかったことを思い出して言う。

「もしかしたら、B組の渋川さんかも」

「シブカワさん?」

「うん。同級生なんだけど、よく図書室で見かけるよ」

 渋川つぐみ。B組所属の物静かな女子生徒だ。

 今どきあまり見かけない、きっちりとした三つ編みで、いつも陰鬱そうな表情をしている。真面目で大人しそうな風貌をしており、黙々と本を読む姿は様になっていた。亜美花と違って落ち着きがあり、とても同じ年とは思えないほどに大人びている。

「実はね、彼女は霊感があるって噂なんだ。クラスが違うから詳しくは知らないけど、いつも一人でいるみたい」

 はっきりといじめられているような場面を見たことはない。ただ本人のいないところで、同級生たちが面白がって噂をしているのを聞いたことがある。気分が良いと言えるものではなかった。

 彼女もそういう悪意が嫌なのだと思う。周りが仲間外れにしているというよりは、彼女自身が人を避けているようだった。

 長い三つ編みのいじめられっ子。恐らく、光希の探している人物は彼女のことだろう。

 亜美花がそう伝えると、光希は思いつめた様子の顔をうつむけて呟いた。

「そっか、だからあんなに……」

「光希くん?」

「あっ、ううん、何でもない!」

 ハッと顔を上げた光希は、慌てて首を横に振った。 

「それにしても、ひどいことをする人もいるものですわね!」

「本当だよね」

 憤るハッピーに、亜美花は深くうなずいた。

 それにしても、彼女がそんな嫌な目に遭っていただなんて。

 夏休み明けにでも話しかけてみようか。部活に誘ってみてもいいかもしれない。

 そんなことを考えていると、亜美花たちは第一の目的地であるスーパーに辿り着いた。

 幼い頃、両親は亜美花が風邪を引くと苺を買ってきてくれた。その思い出から青果コーナーに向かったものの、亜美花は値札を見て手を止めた。

「く、果物って結構高いんだね……」

「買えなくはないけど、量が減っちゃうかなぁ……?」 

「いい社会勉強になりましたわね」

 青果コーナーで打ちひしがれる二人を見て、ハッピーはふふっと微笑む。

 亜美花は果物を諦めて、二人と一緒にスーパーの中を練り歩く。その結果、果物の入ったゼリーを五つほど買った。これなら風邪でも食べやすいし、亜美花と光希のこづかいで十分に足りる。

 納得の行くものが買えた亜美花は、買い物袋を提げ満足して店を出た。

「芯平くん、どうしてるかな?」

「元気になっているといいですわね!」

「そうだね!」

 三人で芯平の回復を願いながら、彼の家に向かう。

 すると、曲がり角の両脇から、突然二つの影が飛び出してきた。

「お前たち、いいところに現れたな!」

「美味そうなもの持ってんじゃんか! 寄こしやがれ!」

 似たような顔が、亜美花たちの前で偉そうに騒ぎ立てる。現れたのはおばけの双子であるユウとレイだ。

「それ、お見舞いの品?」

「泣ける友情だねぇ。不幸の蜜がたくさん溜まりそうだ」

 双子の斜め後ろ上空には、ほうきに乗った魔女とマリスも浮かんでいる。

 彼らのニタニタとした顔を見て、亜美花はゼリーの入った買い物袋を守るようにぎゅっと抱えた。

「これは渡さないわ!」

 魔女たちに力強く宣言した亜美花は、光希の手を取り、来た道を全速力で引き返した。

 人数が少ないこの状況なら、戦うより逃げたほうがいい。

「ふーん、鬼ごっこか?」

「いいじゃん、遊んでやろうぜ!」

 どういうわけか、魔女たちは亜美花たちと同じ目線ほどの低空飛行で追いかけて来た。

 亜美花たちの足元には風もないのに、空き缶や小石が突然現れては、彼らの行く手を阻んだ。

 その上、通りすがる家々の犬たちすべてに、ギャンギャンと激しく吠えたてられる。恐らく、おばけとマリスの仕業だろう。亜美花たちが必死に逃げるすがたを見て面白がっているに違いない。

「ほれほれ、せいぜい俺たちを楽しませてくれよ~!」

「ぎゃははははっ!」

 ユウとレイの下卑た笑い声を背に、二人は慌てふためきながらも何とか走っていく。隣を飛んでいるハッピーも、先ほどからきゃあきゃあと悲鳴を上げつつ、必死に障害物を避けてついて来ていた。

「これからどうするの、亜美花ちゃん!」

「何か考えがあるんですの!?」

 光希とハッピーに問われて、亜美花は頭の中で状況を整理する。

 息も上がってきたし、このまま逃げ続ける訳にも行かない。

 かといって、芯平の家に直接向かおうものなら、彼の身に危険が及んでしまうだろう。

 そのため、どうにかして魔女たちを撒かなければならない。しかし、走り続けて振り切るのは至難の業だ。何か他の手立てを考えなければ。

「うーんと、えーっと……」

 ぜいぜいと肩で息をしながら、亜美花は懸命に頭を働かせる。そのとき、いつかの記憶がふとよみがえった。

「そうだ! ハッピー、耳貸して!」

 顔を近づけたハッピーに、亜美花はこそこそと作戦を伝える。ハッピーは光希の肩に飛び移ると、今度は彼に耳打ちをした。

 亜美花はと光希は顔を見合わせてうなずくと、首から下げているペンダントを握った。

「変身!」

 二人の声が住宅街に響き渡る。

 フォームチェンジした二人は、目配せをして突然角を曲がった。

「へへっ、どこに逃げても無駄だぜ!」

「観念しやがれ!」

 ユウとレイが片方の口端を上げて、魔女たちとともに追って来た、その時。

「マジカルリボン!」

 亜美花と光希は、彼らの進行方向を塞ぐように、蜘蛛の巣のごとく光の帯を張り巡らせた。

 油断していた魔女たちは、張り巡らされたリボンに顔をぶつけて地面に吹き飛ばされていく。

 以前、千代と爽の三人でひったくりを撃退したときの応用だ。

「さぁ、今のうちに!」

「あっ、この野郎! 待ちやがれ!」

 悪態を吐くおばけたちを置いて、亜美花たちは急いでその場を立ち去った。


 変身が解ける頃、亜美花たちは二階建ての和風な一軒家の前に着き、ゆるゆると立ち止まった。ここが芯平の家だ。

 少しでも早く身を隠さなければと、玄関に駆け寄って呼び鈴を鳴らす。すると、すぐに穏やかな雰囲気の老齢の女性が出て来た。彼女が芯平の祖母である。

 四日前の出動のあとも芯平をみんなで送り届けたので、会うのはこれで二回目だ。

「あらまあ、あなたたち大丈夫……?」

 完全に息の上がった二人を見て、芯平の祖母は目を丸くしている。

「全然、大丈夫です……っ!」

「あのっ、ぼくたち、芯平くんのお見舞いに来たんですけど」

「まあ、うれしい! いま呼ぶわね!」

 芯平の祖母はニコニコと両手を合わせると、玄関正面に見える階段下から二階に向かって呼びかける。

 すると、芯平はすぐに下りて来た。黒のTシャツにグレーのスウェットを履いており、先ほどまで横になっていた様子だ。しかし、パッと見た感じ顔色は悪くない。だいぶ快方に向かっているのだろう。亜美花は芯平の顔を見ただけで、すごくほっとした。

「来てくれてありがとう。散らかっててよければ上がっていって」

 二階に案内されて、芯平の部屋に入る。畳敷きの室内は中央のローテーブルを囲むように勉強机とベッドと本棚があり、緑色を基調としたシンプルで落ち着いた部屋だった。

 芯平に促されて、亜美花たちはローテーブル脇の座布団に腰を落ち着けた。

「具合はどう?」

「おかげさまで、だいぶ良くなったよ」

「よかったぁ。夏風邪は長引くって聞いてたから、心配してたんだ」

「回復しているなら、何よりですわね」

 芯平の言葉を聞いて、光希とハッピーが安堵の表情を浮かべる。対する芯平は、少し困惑したように笑った。

「夏風邪なんて久しぶりでびっくりしたよ。いつも春先に体調を崩すことが多かったから」

「そうなんだ……。あっ、そういえばこれ!」

 話しながら亜美花はゼリーの存在を思い出して、芯平に袋ごと手渡した。

「ありがとう。後で食べるね」

 顔をほころばせた芯平を見て、亜美花たちも笑顔になる。

 一生懸命選んだ甲斐があるというものだ。

「そういえば、芯平くんは何でおばあちゃんの家で暮らしてるの?」

「わたくしも気になってましたわ」

 光希とハッピーが不思議そうに尋ねる。

「俺がこっちの中学を受験したから。小学校に入る前はこっちに住んでたんだけど、そのあと親の仕事の都合で引っ越してさ。俺だけここに住まわせてもらってる」

「へぇ、そうなんだ」

「大変ですわねぇ」

 のんきにうなずく光希たちの横で、亜美花はぴたりと動きを止める。

 小学校になる前に、ひだまり町から引っ越した。亜美花が探していた少年も、ちょうどそのくらいの歳だ。

 まさか芯平が? そんな考えがよぎり、亜美花の鼓動は速くなっていく。

 しかし、そんな簡単に見つかるわけがない。

 亜美花がすかさず胸中で否定したところで、芯平はおずおずと切り出した。

「それにしても、みんな大丈夫? だいぶ息切れしてたけど」

「実は……」

 亜美花は苦笑いを浮かべて、先ほどの事件を話した。芯平が申し訳なさそうな顔になる。

「ごめん、迷惑かけて」

「えっ、ううん! 全然大丈夫! 私たちが好きでお見舞いにきてるだけだから!」

「そうだよ!」

「芯平の気にすることじゃありませんわ」

 亜美花たちが取りなすも、芯平の表情は晴れなかった。

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