第6話
七夕の騒動から、一夜が明けた昼下がり。
亜美花は近所の公園にメンバーを集めていた。彼女の隣には芯平が立っている。
「新しく仲間になった芯平くんです!」
「椎名芯平です。よろしく」
芯平がやや緊張した面持ちで、三人に軽く頭を下げる。
三人のほうもそわそわと落ち着かない様子だが、こちらは緊張というよりはワクワクを隠せない感じだった。
「よろしくな! 俺は氷室爽っていうんだ」
「私は武藤千代っていうの」
「柊光希です! よろしくお願いします!」
三人がにこやかに名乗ると、芯平は安心したように顔をほころばせた。
彼らが手放しで芯平を歓迎していることがわかり、亜美花自身もほっと胸を撫で下ろす。
顔合わせが済むと、亜美花の肩に座っていたハッピーは、やる気に満ちた表情を浮かべた。
「これでメルトレンジャーも五人! 全員で力を合わせれば、きっとおばけたちに対抗できますわ!」
その気合いの入った言葉を聞いて、千代はどこか困ったような不安のにじむ表情を浮かべた。
「だといいけど……」
「あら? 千代ってば、ずいぶん弱気ですのね」
ハッピーは、覇気が足りないとでも言いたげに口を尖らせる。最近わかってきたが、ハッピーはこの口調ほどにお嬢様ではないらしい。虫が苦手なだけで、中身はかなり熱血だ。
根性論を唱える教師のような言葉に、爽は気重そうな顔を見せた。
「だって、あいつら双子だったんだろ? 敵が増えたんだから、のん気に構えてなんていられないって」
彼の言葉に、みんなが深刻そうな顔でうなずく。
これまで一匹でも苦戦してきたのだから、仲間が増えたとしても油断はできない。対抗策を考えなければ、またお菓子を盗まれてしまうだろう。
亜美花は、どうしたものかと頭を抱える。すると、ふいに光希が口を開いた。
「ところで、おばけたちはどうしてお菓子を盗んでるのかな?」
彼の問いに、千代と爽は難しい顔で唸る。
「お菓子をひとり占めしたいんじゃないの?」
千代が答える。亜美花も、前は漠然とそう思っていた。しかし―――
「人から奪って悲しませたい、とか言ってたな」
芯平が口に手を当て、考える姿勢のままつぶやく。
おばけは確かに昨日そう言っていた。けれど、それだけじゃない。今までになく、どこか思いつめた表情を見せていたのだ。
お菓子を盗むだけなら、いたずら心を満たすためだと思ったかもしれない。けれど、昨日のことがあって、亜美花は何か理由があるのでは考えていた。
ただ、あの言葉だけなら単なるいじめっ子だとしか思えないだろう。
「何だアイツ!」
「ひどい、最低だよ!」
案の定、爽と光希は怒りをにじませて、きつく拳を握っている。
二人が声を荒げたとき、公園の正面にある歩道から小さな悲鳴が聞こえた。
視線をやれば、歩道で六歳くらいの少女が転んでいた。彼女の荷物であろうビニール袋から、大量のりんごが地面にぶちまけられている。
「いててて……」
「だ、大丈夫!?」
亜美花たちは、慌てて少女のもとに駆け寄った。
「怪我してない?」
「うん、平気だよ。ありがとう」
亜美花が助け起こすと、少女は手足についた砂を払いながら答えた。
見た限り、ほんの少しすり傷ができたくらいだ。これなら問題ないだろう。
亜美花が安堵していると、爽は辺りに散らばったりんごを拾いながら言った。
「それにしても、ずいぶんとたくさん買ったんだなぁ」
地面に散らばった分だけで、りんごは十個以上ある。爽が言うとおり、小柄な少女が持つにはかなりの量だ。
爽の問いに、少女は少し頬を赤らめながら口を開いた。
「あのね、金曜日ゆうかちゃんの誕生日なの。ゆうかちゃんっていうのは、私の一番のおともだちでね。大好きなアップルパイを作ってあげようと思ってるんだ。おいしいのをあげたいから、今から練習するの!」
「おっ、そりゃよろこぶぞ!」
爽の言葉に、少女はふにゃふにゃとした笑顔を見せた。
無邪気で心優しい少女に、こちらも気持ちが和んでくる。
「よし、これで全部かな」
千代が最後の一つを戻し、りんごの入った袋を持ちあげる。相当の重さがあるようで、持ち手が指に食い込んでいた。
「お家まで持っていこうか?」
「ううん、もうすぐだから大丈夫! ありがとう!」
少女は笑顔で買い物袋を受け取ると、小さな歩幅でせかせかと去っていく。
亜美花たちは、少女の姿を微笑ましく見送った。
その週の終わり。
亜美花が日直の仕事を終えて校門を出ると、ランニングをしている千代と爽に鉢合わせた。
「これから帰り?」
「うん!」
「気をつけてな」
亜美花が二人に手を振って、家に帰ろうとしたその時だった。
首にかけているペンダントが鳴り、三人の表情が強張る。お菓子泥棒の出現だ。
「今回はどこですの!?」
ハッピーが、亜美花のかばんの中から顔を覗かせる。
取り出したペンダントはふわふわと浮き、西の方角を指し示していた。
「あっち!」
三人は困惑する生徒たちの間を抜け、ペンダントを頼りに全速力で向かった。辿り着いたのは例の公園がある住宅街だ。その道の真ん中で、先日の少女が座り込んで泣いていた。
「どうしたの!?」
亜美花が声をかけると、少女は涙声で訴えた。
「アップルパイ、がんばって作ったのに。おばけさんが持って行っちゃったの……」
そう言えば、今日は少女が言っていた友だちの誕生日だ。
その悲痛な声に、亜美花の胸はぎゅっと掴まれたように痛くなる。
「おばけがどっちに行ったかわかる?」
千代の問いに、少女は涙声で「あっち」と指をさす。駅前通りがある少し栄えた方面だ。
「わかった。私たちが取り返してくるから!」
「そこで待ってるんだぞ!」
亜美花は少女の頭をやさしく撫でると、二人とともに走り出した。
奇異の視線にさらされながらも、辺りに目を光らせて必死でおばけを探す。しかし、おばけの姿はどこにも見当たらない。
広い駅前通りの中ほどに差しかかったところで、三人は足を止めた。走り続けたので息が上がっている。
「くそっ、あいつらどこに行ったんだよ!」
「逃げ足が速い奴らですわね!」
爽とハッピーが吐き捨てるように言う。
ここまで手がかりがないと、もうお手上げだ。おばけを見える人は限られているため、通行人に聞くわけにもいかない。おばけを見つける方法はなくなったも同然だ。
けれど、あんなに友だち想いの少女を放っておけるわけがない。
三人が悔しさに顔をしかめていると、道端の草むらからひょいと黒猫が飛び出してきた。
黒猫は亜美花たちの前で止まり、何か言いたげに大きな瞳でじっと見つめてくる。
そんなまさかとは思いつつ、亜美花は口を開いた。
「……もしかして、あなた何か知ってるの?」
亜美花の問いに、黒猫はニャアとひとつ鳴く。そして、ゆっくりと道を進み始めた。まるで三人を案内しようとしているかのようだ。
「手がかりもないし、この子を追ってみよう」
亜美花の提案に、二人は神妙な面持ちでうなずく。
みんなで後を追うと、黒猫は通りを外れて、するりと薄暗い路地裏に入って行った。
ビルの隙間は、先に進むにつれてどんどん暗く嫌な気配になっていく。
「どこまで行くつもりですの?」
人気がなくなり、ハッピーが再びかばんから顔を出した。
その言葉を聞いて、三人は不安そうに顔を見合わせる。もう一度前を向くと、黒猫の姿はそこになかった。
「あれ!?」
「どこに行ったの!?」
亜美花たちは血相を変えて辺りを見回した。心臓がドクドクとうるさくなっていく。
「あなたたちが探しているものは、これ?」
突如聞こえた冷たい声に、ひゅっと息を飲んで振り返る。そこにはローブをまとった怪しい女が立っていた。さらりとした長い黒髪の頭に三角帽子を深くかぶり、顔半分に重い影を落としている。すべて黒で統一されており、まるで闇から抜け出して来たかのようだった。
「あっ、それ!」
亜美花は目を見開いて、女の手の先を指さす。
その白く細い手には、紙製の薄い箱が乗っていた。ふたに付いている透明な窓からは、やや不格好ながらも、きつね色に焼けたおいしそうなアップルパイが見えている。あの少女が作ったもので間違いないだろう。
「あなたはいったい誰なの……?」
千代が困惑に満ちた声を上げる。
女は少しの間を置いたあと、真一文字に引き結んだ小さい口をゆっくりと開いた。
「そうね、魔女とでも名乗っておきましょうか。双子をいじめているのはあなたたちね?」
魔女の背中から、おばけたちがひょっこりと顔を出す。二人はここぞとばかりに、あっかんべーと憎たらしい顔を向けている。
「いじめられてるのは、こっちのほうだっつーの!」
「そのアップルパイを返して! それは、あの子が一生懸命作ったものなんだよ!」
爽が噛みつくように叫び、亜美花も怒りまじりに訴える。
「……騒がしい人たちね」
すると、魔女は疎ましそうな声を上げ、静かに手を振り上げた。
「ミスティックシャドー!」
かけ声にに反応するように、亜美花たちの足元にある影から突然黒く細い触手のようなものが幾本も飛び出した。それらはしゅるしゅると空に向かって伸び、自由自在に動いて檻のような形を成して、瞬く間に三人を囲い込んだ。
「何これ!?」
「こんなところに閉じ込めて、どうする気だ!」
「私は交渉をしに来たの」
檻を掴んで騒ぎ立てる亜美花たちとは対照的に、魔女はいたって冷静に話を切り出す。
「マリス」
魔女が名前を呼ぶと、その肩に先ほどの黒猫がひらりと乗った。
その姿を見て、みんなが衝撃を受けたように目を見開く。
―――この子も仲間だったのか。
初めから魔女の手のひらの上で転がされていたことに気づき、亜美花は崖っぷちに立たされたような心境で固い唾を飲み込む。
マリスはしゃなりと前足をそろえて立ち、身構える亜美花たちを悠々と見据えた。
「説明してあげよう。僕たちはね、不幸の蜜を集めるためにお菓子を盗んでいるんだ」
「ふ、不幸の蜜?」
猫が喋っている。そんなことは気にも止めず、亜美花は聞き慣れない単語を繰り返した。
「人間が生み出す悲しい気持ちのことさ。目には見えないけど、この魔法の小瓶に液体となって集まるんだ」
マリスは得意げな表情で、首輪に下げられたガラスの小瓶を揺らす。小指ほどの大きさをした細い長いひし形の瓶には、琥珀色の液体が三分の一程度入っていた。
「不幸の蜜にはある力があってね。瓶がいっぱいになると、何でもひとつだけ願いを叶えることができるんだ。うちの魔女様は甘いものに目がないからね。お菓子を盗めば、欲しいものがふたつ同時に手に入って一石二鳥ってわけさ。―――あぁ、安心して。邪魔さえしなければ君たちに危害は加えないよ」
つまり、彼らは人を不幸にしてまで、自分の幸せを掴もうとしている。
悪びれもしない態度のマリスに、亜美花は怒りが込み上げてくる。
彼女の気持ちを代弁するように、ハッピーがかばんから飛び出して吠えた。
「それを使って何をするつもりですの!」
「あなたたちには関係のないことよ」
魔女がぴしゃりと言い切る。
「今後一切私たちに関わらないと誓えば、このアップルパイは返してあげるわ。さあ、どうするか答えなさい」
その冷たい視線に亜美花はたじろいだ。
魔女たちの提案を断れば、少女の作ったアップルパイは盗まれてしまう。しかし、お菓子の国とこの町を救うために、身を引くこともできない。
追い込まれた状況に、歯を噛みしめたその時。
亜美花は魔女たちの背後に、見覚えのある影を認めた。まるで、暗闇にひとすじの光が差し込んだような気分だった。
怪しまれないように、爽と千代の服をそっと引っ張り、その様子を横目で見る。
視線を前に向けた二人は、勝ち誇ったように口角を上げた。
「変身!」
三人の声が重なり、檻の中で風が巻き起こる。
その姿があらわになるより早く、亜美花と爽の手が気流を割って前に突き出された。
「マジカルリボン!」
握られたロッドの先端から、それぞれピンクと水色のリボンが伸びる。
リボンが檻をこじ開けて、道を切り開く。
「マジカルショット!」
魔女たちの背後から放たれた光線が、魔女の手を掠めアップルパイが離れていく。慌てて踏み出そうとした魔女の足元に続けて光線が放たれ、彼女の動きを制した。
アップルパイが、ゆっくりと弧を描いて宙を舞う。それは全速力で駆け付けた千代の手に、導かれるように収まった。
「千代ちゃん、ナイスキャッチ!」
「遅くなって悪い!」
魔女たちは背後を見て顔をしかめる。そこには、変身した光希と芯平の姿があった。
「くそっ、お前らズルいぞ!」
「作戦と言ってほしいね」
悔しそうに叫ぶおばけに対し、芯平は余裕の笑みを浮かべる。
「五人がそろえば、あなたたちなんて敵じゃないわ! みんなの幸せは、私たちメルトレンジャーが守って見せる!」
亜美花が宣言すると、魔女は鬱陶しそうに顔をしかめた。
「次は容赦しないわ。私たちを甘く見ないことね」
逃げ場がないと悟ったのだろう。
そう言い残すと、魔女は体を隠すようにローブを広げ、仲間とともに影の中へ溶けるように消えて行った。
影を操る魔法使い。おばけを凌ぐ強敵の登場に、亜美花たちは不安を募らせた。
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