第2話
あれから一週間と少し。亜美花はお菓子泥棒を捕まえるため、ハッピーとともに奔走していた。しかし、三分間という限られた力のせいか、いっこうに捕まる気配はない。
落ち込む日々が続く中、亜美花の通うひだまり中学では、体育祭が間近に迫っていた。
「先生! 怪我しちゃったんですけど、見てもらえませんか?」
ある日の昼休み。亜美花が委員会の仕事で保健室にいると、数人の女子生徒が忙しない様子でやってきた。真ん中にいるショートボブの少女だけ、右足の動きがぎこちない。
友人に付き添われてやってきたのは、C組の武藤千代である。スピードと持久力に定評のある長距離走者で、一年にして陸上部のホープと呼ばれる存在だ。校内の有名人なので、亜美花も彼女のことをはっきりと覚えている。
すらっとした背格好で涼やかな目元の彼女は、さながら男装の麗人といった雰囲気だ。落ち着きのある誠実な振る舞いもあってか、女子生徒からの人気が高い。低身長で寸胴な亜美花とは大違いだ。
「どうぞ、そこの丸椅子に座って」
「失礼します」
千代は凛とした声で言うと、長いスカートを摘まんで、丸椅子に腰かけた。右ひざには小さな擦り傷が出来ている。
保健医は綿球と消毒液を準備しながら口を開いた。
「あらまあ、転んじゃったの?」
「私たち、校庭で応援の振り付け練習をしてたんですよ。そしたら、近くでふざけてた男子が急にぶつかってきてぇ」
「ひっどいよねぇ! 謝り方もテキトーだったしさ!」
付き添いの友人たちが、目を吊り上げて口々に不満を言う。奥のテーブルに座って、プリントを仕分けていた亜美花の耳にも、彼女たちの会話が自然と入ってきた。
「彼もわざとじゃなかったし、私は気にしてないよ」
「さすが、千代ってば優しい~っ!」
千代の大人びた対応に、友人たちは心酔した様子だ。
「でもさあ、選抜リレーとか大丈夫? 部活の大会も近いし」
「このくらい平気だよ」
「よかったぁ」
千代が言うと、周りは安堵の表情を浮かべた。
「ねっ、そういえばさ! 私、体育祭のときにやりたいことあるんだ!」
千代の治療が終わるのを待ちながら、友人の一人が声を上げる。
「なになに?」
「あのね、はちまきをカチューシャ風に結びたいの! 去年お姉ちゃんたちがやっててさぁ、頭の上にリボンが来るから超可愛いんだ! 」
「それいいじゃん! みんなでやろうよ!」
付き添いの友人たちが、きゃいきゃいと盛り上がる。そんな中、千代の表情はわずかに曇っていた。
「ごめん、私はいいや。そういうの趣味じゃないんだ」
「えぇーっ、そんなぁ……」
見るからに残念がる友人に、千代はさわやかな笑顔を向ける。
「私はやらないけど、みんなの可愛い姿を見せてくれる?」
「きゃあぁぁーっ!」
乙女心をくすぐる発言に、友人たちは歓喜の黄色い声を上げる。
その様子を見て、亜美花はどこか違和感を覚えていた。
あれはいつの休み時間だっただろうか。亜美花が本の返却で図書室を訪れたとき、千代が本棚の前で、人差し指を押さえて立ち尽くしているのを見かけたことがあった。
「どうかしたの?」
「紙で指を切っちゃって」
亜美花が尋ねると、千代は困ったように笑った。千代の右手の人差し指から、少しだけ血が出ているのが見える。
「よかったら、これ使って」
亜美花はポケットを探り、一枚の絆創膏を千代に渡した。それは苺柄のファンシーな絆創膏だったのだが、彼女は一瞬だけ見たこともないくらい目を輝かせていたのだ。
可愛いものを嫌がる人だとは思えないんだけどな。
亜美花が首を傾げているうちに、千代たちは治療を終えて帰って行った。
その日の放課後。部活を終えた亜美花は、ハッピーと一緒に家に向かっていた。彼女は亜美花のかばんの中から、ちょこんと顔を出している。万が一にでも、姿を見られては困るからだ。
「今日は何もなかったね」
亜美花は制服の内側に隠しているペンダントを手で押さえて言った。ペンダントは変身する以外にも、お菓子泥棒の出現を知らせてくれる機能がある。精度は高くないが、おばけのような怪しい気配とお菓子との存在、それから人々の悲しい気持ちを同時に感知すると、ピーピーと音が鳴る仕組みになっている。その音を今日は一度も聞いていない。
「来なくなるなら、それが一番ですわ」
ハッピーは清々した様子だ。
そんなことを話しているうちに、二人は商店街に差しかかった。ふと視線をやった先に、見覚えのある人物の後ろ姿がある。
それは紛れもなく千代だった。片手に買い物袋を下げいる彼女は、小学生くらいの少女を連れて、小物屋のショーウィンドウを見つめている。窓辺に並ぶファンシー雑貨に注がれる視線は、うっとりと熱を帯びていた。
「あれ、この間のおねえちゃん!」
少女が亜美花の存在に気づいて声を上げる。よく見れば、彼女は亜美花が初めて助けた少女だった。
満面の笑みで駆け寄って来る少女を見て、ハッピーは亜美花のかばんの中にさっと隠れる。一度見られているから隠れる必要はないと思うが、千代がいるから念のためだろう。
亜美花と目が合った千代は、遠目でもわかるほどに顔を強張らせていた。しかし、少女はそれに気づく気配はない。
亜美花のもとに来ると、彼女は期待いっぱいのまなざしで言った。
「おねえちゃん、お菓子泥棒は捕まった?」
「ううん、まだ捕まえられてないの。ごめんね」
「そっかあ、大変だねえ」
二人の会話を聞いた千代は、ハッとなって口を開く。
「万里、もしかしてお菓子泥棒って……」
「うん、このお姉ちゃんが助けてくれたの!」
万里と呼ばれた少女は、うれしそうに亜美花を紹介する。どうやら、千代にお菓子泥棒のことを話していたらしい。
千代は一瞬だけ戸惑いの色を見せた後、亜美花に向き直った。
「A組の堤さんだったよね。妹を助けてくれてありがとう」
千代が亜美花に向かって丁寧に頭を下げる。その美しい立ち振る舞いに、亜美花は少しだけ緊張してしまう。
「お礼を言われるようなことはしてないよ。結局お菓子は盗まれちゃったし」
「不審者を追い払ってくれるだけでありがたいよ」
千代は声に安堵をにじませて言う。
彼女はお菓子泥棒のことを、生きた人間だと思っているらしい。ごく小さい子ども以外に、おばけが見える人は少ないのだから無理もない。町の大人たちに至っては、子どもたちがお菓子を余計に買ってもらうための作り話だと思っているそうだ。
「ねえねえ、お姉ちゃんもお家がこっちなの? 一緒に帰ろうよ」
「えっと……」
万里の申し出に、亜美花は言い淀む。あんな場面を見た後だから気まずい。
千代にそろりと視線を送ると、彼女は何事もなかったかのように微笑んだ。
「ひとりで帰るのも危ないし、堤さんが良ければ一緒に行こう」
「じゃあ、そうさせてもらおうかな」
亜美花はわずかな居心地の悪さを感じながらも、二人の誘いを受けて歩き出した。
聞けば、千代たちの家はここからほど近い一丁目にあるという。
ほんの少しの時間だ。家に着くまで無難な話でやりすごそう。
そう思っていた亜美花だったが、どうしても先ほどの光景が気になって仕方なかった。
可愛い小物屋のショーウィンドウを熱心に眺める千代。もしかして―――
「武藤さんって、ああいう可愛いものが好きなの?」
住宅街に入りかけた頃、亜美花は思い切って口を開いた。
案の定、千代は戸惑いの表情を浮かべている。
「い、いや! あれはこの子のプレゼントにどうかなと思って!」
普段の落ち着きはどこへやら。千代の声からは、わかりやすい動揺が感じ取れた。
それを聞いた万里は身を乗り出して言う。
「まり、可愛いもの大好きだよ。でもおねえちゃんも、可愛いもの大好きなの」
「ちょっと万里、何言って―――」
千代が慌てて口をはさむ。しかし、万里の無邪気なおしゃべりは止まらない。
「あのね、お部屋のクローゼットの中に可愛いものがたくさんあるの。髪飾りとかワンピースとか。それに甘いものも大好きで、お家ではバレンタインのチョコレートもすごくうれしそうに食べるの。さっきも、こっそり買ってたんだよ」
万里の言葉を聞いて、亜美花は千代の手元を見た。彼女が持っている買い物袋の中からは、板チョコレートと思われる銀紙のパッケージがはみ出していた。
恐らく、それらは千代がずっと秘密にしてきたことなのだろう。
万里は余すことなく語りきったようで、どこか得意げに鼻を鳴らした。顔を真っ赤に染めた千代が、わなわなと震え出す。
「あれは、みんなの気持ちがうれしかっただけ! それとさっきのはおつかいだから!」
もう完全に手遅れなのだが、千代はごまかそうと必死に言葉を並べている。その様子が面白いのか、万里の表情はにやけていた。
普段の千代を考えると意外だが、微笑ましい話なのだから隠すこともないのに。
何か理由でもあるのだろうか。
亜美花が考えていると、取り乱した千代が思いきり叫んだ。
「だから、チョコレートなんて好きじゃない!」
「それなら、オレにちょーだい!」
どこからともなく聞こえた冷ややかな声に、三人は勢いよく振り返る。
頭上には、お菓子泥棒であるおばけが浮かんでいた。その手には一枚の板チョコがある。万里はそれを目ざとく見つけると、あっと声を上げて指さした。
「あれ、おねえちゃんが買ったやつ!」
そう言われて千代の持っていた買い物袋に目を落とす。先ほどまであったチョコレートが消えている。
「何あれ、浮いてる……!?」
千代は信じられないといった表情で、おばけを凝視している。
「出ましたわね、お菓子泥棒!」
「わっ、ぬいぐるみ!?」
亜美花の鞄からハッピーが飛び出す。千代にもハッピーが見えるらしく、その存在にますます困惑を深めているようだった。
「へへっ、こいつは頂いてくぜ!」
「こら、待ちなさい!」
おばけが風のように飛び去って行き、ハッピーは声を荒げる。亜美花は首から下げているペンダントを取り出すと、強く宝石を握りしめた。
「変身っ!」
足元から噴き出した風がうずを巻き、一瞬にして亜美花の格好をピンク色のドレスに変えていく。その光景に千代は目を丸くしていた。
「堤さん、その格好は……」
「ごめん、細かい話はあとで!」
「あっ、待って!」
呆気に取られていた千代だったが、彼女は万里に買い物袋を預けて家に帰るように言いつけると、亜美花たちについてきた。
おばけは人気ない住宅街の道の上を、悠々と飛んでいる。
「なんだ、またお前らか。ほらほら、できるもんなら捕まえてみろよ!」
「ムカつく~っ!」
亜美花はスイーツロッドを出して、マジカルショットを立て続けに放った。しかし、おばけは器用に光線をかわしてしまう。
亜美花が悔しさを噛みしめていたとき、一行は舗装されていない道に差しかかった。その瞬間、おばけが強い風を吹かせて砂を舞い上げた。亜美花たちの急ブレーキは間に合わず、砂埃が目に直撃してしまう。
「きゃあぁぁっ!」
「げほっ! こ、これでは前が見えませんわ!」
煙たそうに咳をして砂埃を払う亜美花たちを見て、おばけは頭上でせせら笑っている。
砂埃がわずかに晴れると、千代はおばけをキッと睨みつけた。
「そのチョコを返しなさい!」
「やなこった!」
おばけは千代の言葉を容赦なく切り捨て、その場でくるくると回転してみせる。
「さっきの会話聞いてたぜ。意地を張ってると、こうやってかすめ取られるんだ。よーく覚えときな!」
千代が痛切な表情を浮かべる。
おばけが満足した様子で去ろうとした、その時だった。
「あいたっ!」
どこからか飛んできた小石がおばけの手に命中し、板チョコが音を立てて地面に落ちる。右手の道を見れば、息を切らした万里が小石を握って立っていた。
「おねえちゃんをいじめないで!」
「このガキィィ!」
怒り狂ったおばけが万里に飛びかかる。すると、その横を一陣の風が駆け抜けた。
刹那、腕を跳ねのける鋭い音が響く。
おばけの前には、怯えた万里を庇うようにして千代が立ちはだかっていた。
「お前、いつの間に!?」
「……あんたの言う通りだわ。自分に素直にならなくちゃ」
千代はおばけの問いを無視して、足元のものを拾い、ふらりと立ち上がる。その左手には、万里が弾き落とした板チョコが握られていた。
「私は可愛いものもチョコレートも好き。そして、万里を傷つけたあんたが大嫌いっ!」
千代の気迫に押されて、おばけは表情を引きつらせる。
「へっ、なにマジになってんだよ。そんなに言うなら捕まえてみろ!」
「それは……っ!」
千代は悔しそうに表情を歪める。亜美花とハッピーは、彼女のもとに駆け寄った。
「力が欲しいなら、わたくしがお菓子と引き替えに差し上げますわ! 」
「一緒に変身して戦おう!」
千代は一瞬だけ目を見開き、困惑の色を見せる。しかし、すぐに力強くうなずき、ハッピーにチョコレートを差し出した。
「うっ、溶けやすそうな気がしますけど仕方ありませんわね!」
この緊急事態に、細かいことは言っていられない。
ハッピーは半ばやけっぱちな様子で、チョコレートに手をかざした。チョコレートがまばゆい光を放ちながら形を変えていく。光が収まると、千代の手のひらには黄色い宝石のペンダントが乗っていた。
「さあ、ペンダントをにぎって叫ぶのよ!」
「―――変身っ!」
かけ声とともに、千代の足元から風が吹きあがった。辺りの草木がゆれ、ざわざわと音を立てる。体をらせん状に撫でた風が空に消え、生まれ変わった千代が姿を現した。
広がりのある黄色い膝丈ドレスに、白いベスト風のエプロン、茶色い革のブーツ。そして、襟に巻かれた黄色いコックタイの結び目には、ペンダントの宝石が輝いていた。
「げぇっ、もうひとり変身しやがった!」
千代の姿を見て、おばけが苦虫を噛みつぶしたような表情になる。
「武藤さん、心に浮かぶ言葉を叫んで! アイテムが出てくるから!」
「手に取れば、使い方もわかるはずですの! それで思う存分戦いなさい!」
亜美花とハッピーの言葉にうなずくと、千代は迷わず口を開いた。
「スイーツロッド!」
ポンと音を立てて、アイテムが現れる。亜美花の持っているものと同じだが、ビーズの色は黄色だ。
「ぐぬぬぬ……っ!」
おばけが険しい顔で後退していく。
千代は下げた右足に力を込めて走り出した。
おばけは塀や屋根を飛び超えて、足場の悪い場所を選び逃げていく。しかし、千代は障害物をあざやかな身のこなしで乗り越え、風のように駆け抜けた。
そして、見通しのいい道に出た瞬間、千代はスピードを上げておばけを追い越した。地面を蹴り上げておばけに飛びかかる。
「マジカルリボン!」
ロッドの先から放たれた黄色い光の帯が伸びて、おばけに絡みつく。
「離せっ!」
抵抗するおばけを抱えて、千代は地上に舞い降りた。
駆けつけた亜美花が、おばけに銃口を向ける。
「盗みなんかするから痛い目にあうのよ!」
「これに懲りたら、もう泥棒はやめなさい!」
「くそっ、こんなはずじゃ……!」
おばけが悔しさに顔をしかめる。ついに捕まえたと思ったその時、突然リボンが霧散した。同時にペンダントの光が消え、亜美花たちの変身も解けてしまう。千代が変身してから、たったの二分しか経っていない。
「あぁっ! こんなときに!」
「へへへっ、まったな~!」
おばけは舌を出し、あっという間に逃げていった。彼の姿が、どんどんと遠のいて砂粒のように小さくなっていく。
「あとちょっとだったのに!」
亜美花はおばけの消えた方向を見て、地団太を踏んだ。
「小学生のときの話なんだ」
日の暮れ始めた帰り道。千代はとぼとぼと歩きながら、自分の過去を語り始めた。
「その日、私はポケットにお気にいりの髪飾りを入れていたの。だけど、それを何かのはずみで落としちゃって。拾ってくれた男子に自分のだって言ったら、お前には似合わないって笑われたの。だから私はとっさに、友だちへのプレゼントだってごまかしたんだ。それから、可愛いものを身に着けるのが怖くなって……」
「そうだったんだ……」
切ない千代の表情に、亜美花も悲しくなる。
男子の心ない言葉のせいで、好きなものを好きと言えなくなってしまっただなんて。
「まったく、ひどい奴ですわね!」
「そうだよね! お姉ちゃんは可愛いのに!」
ハッピーも万里も怒り心頭だ。
二人が自分の気持ちに寄り添って、怒ってくれたのがうれしかったのだろう。
千代はやさしく微笑んで、ありがとうとつぶやいた。
「でも、もう大丈夫。自分の心に嘘はつかないって決めたんだ」
「武藤さん……」
きっと、彼女は吹っ切ることが出来たのだろう。
彼女のまっすぐな瞳には、そう思わせる力強さがあった。
「きっかけをくれたおばけには感謝してる。もちろん、私の可愛い妹をいじめたんだから、絶対に許さないけどね」
千代の冗談めかした言い方に、亜美花はくすっと笑った。その場で立ち止まり、千代に右手を差し出す。
「これからよろしくね!」
「うん!」
千代は飾り気のないまぶしい笑顔で笑い、亜美花の手をにぎった。
そして迎えた体育祭当日。
千代は友人と一緒に、はちまきをカチューシャ風に巻いて、選抜リレーを一等で走り抜けた。大きなリボンで飾られた彼女の笑顔は、誰よりも輝いていた。
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