21. 都合のいいこと言うのね

 そこは、真っ暗闇だった。どこまでも暗く、そして寒い。

 本当の闇。

 その闇の中でブラウニーは涙を流し続けていた。自分こそが人を惨殺した犯人だった、その信じたくない事実が胸を抉る。

 闇の中に、もう一人の自分が浮き上がる。それは全身から毒をまき散らし、人を喰うシーレンの姿。


「やめて、嫌ッ‼︎」


 叫んだ声は音にならない。闇に飲み込まれてかき消えていく。


「やめて……ねえ、やめて……‼︎」


 人を喰うなんて、自分の中にこんな化け物が棲んでいたなんて‼︎

 嫌だ、見たくない‼︎


「もうやめてよ‼︎」


 頭を抱えて叫ぶ。

 その叫びに応えたのは、嘲るような笑い声だった。


『あら、どうして……?』

「——ひッ」


 突然返って来た声にはっと顔を上げる。しかし、周りはやはり暗闇だ。

 見えるのは人を喰うシーレンでありブラウニーでもある化け物の姿だけ。

 空気が張り詰める。暗闇の奥底に二つの目が感じられた。そこから身体を貫くような激しい殺気が放たれている。


(——ッ、これは……!)


 この殺気をブラウニーは知っていた。夢の中でブラウニーを追って来た白い手の発していた殺気だ。

 そして今ならこの殺気の主がわかる。これはブラウニーの中のもう一人、シーレンのものだったのだ。

 だから、あの夢の中でブラウニーは殺気の主のことを知ってはいけないと思ったのだ。知ってしまえば、生きていけなくなってしまう。それくらいショックなことだから。

 そして、自分が人喰いだと認めたくなかったから。

 しかし、ブラウニーは知ってしまった。ピシシーダに闇の中に閉じこめられ、ここから外を視ることでわかってしまったのだ。

 自分が人を喰わねば生きて行けないことに。


『こうしなければ生きられないのよ? これは人間が動物を殺して食うのとなんら変わらないことだわ。違う?』

「違うわ!」


 どこが違うのかなどわからなかった。ただ、わけもわからずそう叫んでいた。


『違う、ですって? いいえ同じよ』


 ビシシーダはふっと嗤ったようだった。


『わたしはジャムやケツァールが好きよ。だから喰べなかったわ。かわりに他の人間を喰った。人間だってそうでしょ? 自分の大切にしている愛玩動物は食べないけど、他の動物は食べるでしょ。どう違うっていうの?』


 答えられない。他の動物を自分の糧として生きているという点においては、人間もシーレンも確かに同じなのだ。

 けれど違う。


「やっぱり違うわ!」


 違う。人を喰えないのは————。


「わたしたちは人間よ、だから家畜を食べるのとは違うわ! ねぇ、そうでしょう、わたしもあなたも人間なのよ?」

『知った口たたかないで』


 しかし、返って来た答えはかなり冷ややかなものだった。


『人間? さっきわたしのことを化け物って思ったくせに、都合のいいこと言うのね』

「化け物……」


 シーレンの声が震える。

 たしかに、思った。ピシシーダのことを化け物だと。


『わたしにはわかるわ、あんたの思っていることが。あんたは自分を人間だと思っているんでしょう。けれどね、わたしを化け物呼ばわりした瞬間にあんた自身も化け物になったのよ』


 なぜならば、ブラウニーもシーレンも同じ一つの体に宿っているのだから。

 この体が求めるものは人の肉。それ以外は決して受けつけない。

 それに気がついた時点で、もうブラウニーは化け物なのだ。


「そんな、そんなこと」


 自分は化け物だったのだろうか。自分を人間だと思い込んだ化け物……。


「そんなこと……」


 自然、涙がほおを伝う。

 どうして……。


『紛いもののくせに一人前に悲しがらないでよ』

「え……?」


 紛いもの?


「どういう、こと……?」

『そのままの意味よ』


 紛いもの。その意味は、偽物ということ。


「あんたは紛いものよ。お母さんがわたし達を逃す時に植えつけた紛いものの人格があなた」

「え……」


 そもそも、このブラウニーの肉体に自分はいなかったということだろうか。

 もともとこの肉体にいたのはシーレンの方で。自分はシーレンが逃される時に植えつけられた紛いもの……。


「嘘よ、そんなこと」


 信じられない。

 それに、お母さんとは誰のことだろう。なぜ、どこから逃されたと?


『生憎だけど、本当よ』

「うそだわ!」


 叫び、その途端に頭の中でなにかがはじけた。一気に頭の中に一つの光景が流れ込んでくる。

 そこには二人の女性がいた。そのうちの一人は黒髪の女性で、髪が長いものの見覚えのある顔だ。

 食堂にいたブラウニーを自動小銃で襲撃して来た、あのショートカットの女性の顔に間違いない。

 もう一人は赤毛の初めて見る顔の若い女性。

 その二人の姿に感じたのは、激しいまでの懐しさ。そしてそのことに戸惑う。

 襲われたというのに、ブラウニーの命を狙っていた人物だというのになぜ……。

 黒髪の女性が口を開く。


「ブラウニーはわたしの娘よ」


 娘。その言葉にどくんと心臓が跳ねた。胸が早鐘を打ち出し、呼吸が浅くなる。

 苦しい。


(あの人がお母さん……?)


 彼女がシーレンの、いや、ブラウニーにとっても母となる人なのだろうか?

 そう言えば自分はどこで生まれたのだろう。誰がお母さん? わからない。

 どうして今まで考えたこともなかったのだろう。


「わたしにとってもブラウニーは妹です」

「ええ。大切だからこそ、最期は自由にさせてあげたいの。外に行ってみたいって願いを叶えてやりたい。だからあの娘の人格を少し操作しようと思うの」


 人格を操作。その言葉に戦慄する。


「操作、ですか……?」

「ええ。ブラウニーとシーレンを封じて、新しい人格をあの子の中に作り出すの。今までの記憶を持たない、まったく新しい人格を」


 それをきいて、赤毛の女性の方がおどろいて声を荒げる。


「それでは、ブラウニーは死んでしまう! それでいいんですか⁉︎」

「それを望んでいるとしたら……?」


 そう言う黒髪の女性の顔には決意が見えた。


「あの娘をもう、自由にしてやりたいの」


 そう言った黒髪の女性——ブラウニーの母であるその人の姿が揺らいだ。

 赤毛の女性——ブラウニーの姉である少女の姿も。

 そして、目の前はまた真っ暗闇へと暗転する。


『わかったかしら』


 降ってきたのは、冷ややかな声。

 あの光景を見せていたのはシーレンだったのだ。あれはおそらく彼女の記憶なのだろう。


『わたしたちは処分されるはずだった。それをお母さんとマリーが助けてくれたわ。外へ逃してくれた』


 けれど。そう続けたシーレンの声は微かに震えている。


『けれどわたしは人喰い。だからお母さんはわたしを封じた。食事の時の行動を支配していたわたしを封じたことによって、餓死は確実なものになったわ』

「そんな……」

『主人格のブラウニーはあの会話を影からこっそり聞いていたわ。だから、それがお母さんの望みならと、自ら進んで封じられ眠りについてしまった。そうして表に出る人格のなくなった体にお母さんはあんたをつくり出し入れた』

「そんな、そんなこと……」


 体の芯が冷え震えが走る。

 自分は本当に紛いものなのだ。人喰いを餓死させるためのプログラム————。


『主人格は死を受け入れるつもりだったわ。だけど、わたしはそうじゃない。わたしは死にたくなんかなかった。だから表へ出て来たの。今まであんたが生き長らえてこられたのはわたしが喰べていたから』


 知らなかったとはいえ、今までもずっとブラウニーは人を喰って生をつないできていたのだ。

 どうりで、食事をした記憶がなかったのだ。食事をするのは全てシーレンなのだから。


『お母さんは、わたしが表に出ていると知ってわたしを殺しに来たわ。この気持ちがあんたにわかる? わからないわよね、あなたにはお母さんなんていないんだもの』

「————……」


 それには言い返すことが出来ない。

 ブラウニーにとって、シーレンがお母さんと呼んでいる人は自分の命を狙う誰かだ。たとえ、そこに言いようのない懐かしさを感じるとしても。


『わたしは、お母さんに殺されようとされているこの時まで、食事の時以外外に出られなかった。あんた達がいたから! あんた達はお母さんじゃなく、わたしが殺してあげるわ! 殺される時くらい、わたしがお母さんを独り占めしたって良いはずよ!』


 それは、血を吐くような叫びだった。その胸を抉るような圧倒的な悲しみに、なにも言い返せなくなる。

 シーレンにとってお母さんはきっと特別なのだ。愛しているのだ。殺されるその瞬間に、その瞳に映りたいと願うくらいに。でも。


「わたしだって、死ぬのはいや……」

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