断編章<朱の「罪」>

14. お母さんありがとう大好き!

「どうして海は青いの?

 なぜ空は青いの?

 あのね、青は人の魂の色、だから

 神様は人の生まれた海と

 人の還る空に

 青い色をつけたのよ」

「あら、クレイジー・マザー?」


 ふと聴こえた歌声にシャーリーは顔を上げた。


「うん。マリー姉さんに教えてもらったの」


 歌をやめて答えたのは、シャーリーの研究対象でもあり、娘のような存在でもあるブラウニーだ。力強く頷いた彼女の茶色の癖っ毛が肩の上で揺れた。

 クレイジー・マザー。これは、大昔に実在していたマザー・シェリダンなる吟遊詩人が歌っていたとされる詩の総称だ。

 先ほどブラウニーが歌っていたのは『Mother』という題名の、クレイジー・マザーの中で最も有名な部類の歌である。


「あら、マリーに? あの子、そんなの知ってるの?」


 マリーは、シャーリーの助手の少女だ。助手とは言ってもかなり頭脳明晰で優秀な科学者だ。もうすぐ一人立ちもできるだろう。

 そのマリー、見たかぎり真面目な少女で鼻歌も歌わない類いの人間なのだ。クレイジー・マザーなど知っているとは思わなかった。


「うん。たくさん知っていたわ。お母さんはどう?」

「わたし? わたしはあんまり知らないのよね。聴けばクレイジー・マザーの歌だってわかるんだけど」

「そうなの? でもマリー姉さんは本当によく知っていたわ。今から少しずつ教えてもらおうかなって思っているの」


 そう言ってブラウニーは嬉しそうに笑う。

 ブラウニーは好奇心が強い。勉強もよくやる。教育係のマリーのことは、歳が一つ違うだけということもあって姉のように慕っているから尚更だ。


「そう、それはいいことね」


 そうだ、クレイジー・マザーを教えてもらうのもいいだろう。


「へえ、そう……。それにしてもあのマリーがねー……」


 ちょっと、というよりかなり意外である。

 その時。


「わたしがどうかしましたか? 先生」


 そんな声とともに、部屋に燃えるような赤い髪の少女が入ってきた。マリーだ。

 ショートボブの髪が小づくりな顔の周りを覆い、さらに小さく見せている。


「いいえ。ただあなたがクレイジー・マザーなんて意外だと思って」

「そうですか? これでも割と知ってるんですよ。ねえ、ブラウニー」

「うん! いろいろ聴かせてもらって楽しかったわ」

「あら、じゃあわたしにも一曲聴かせてよ」

「いいですよ」


 マリーは小さく笑い、手に持っていた資料をシャーリーに渡す。


「それ、今日の分の学習内容です。もちろん、クレイジー・マザーも記録しておきましたから」

「あら、ありがとう」


 そういうものまでしっかりと記録するあたり、マリーは本当に真面目だ。


「どんな歌がいいですか?」

「って言われてもね」


 あまりクレイジー・マザーの歌は知らないのだが。


「そうねえ。クレイジー・マザーって厳しい内容の歌も多いってきくけど? そういうのは?」

「ありますよ」


 マリーは笑顔で即答する。


「これは『腹ペコこまどり』って言うんですけど」


 そう言ってマリーが歌ってくれた歌は、確かに厳しいというか寂しいというか、そんな複雑な歌だった。


「こまどり腹ペコ母さん食べた

 こまどり腹ペコ父さん食べた

 兄さん姉さん弟妹

 みんな食べてしまったけれど

 まだまだ腹ペコ もう誰もいない

 可哀相なこまどり一人ぼっち

 だからこまどり自分を食べた

 可哀相なこまどり もういない」


 小さくリズムをとりながら囁くように歌うと、少しだけ照れたようにおじぎをした。

 その横で、ブラウニーが瞳をきらきらさせて拍手をしている。


「た、たしかにねー……」

「そうでしょう? わたしも一回二回聴いただけじゃ意味がわからなくて」


(というか……)


 シャーリーにはまだ意味がよくわからない。あんな詩を一回で理解しろという方が間違いなのだ。

 ただ、どんどん人がいなくなっていく様が厳しくて哀しい、漠然ととそう思っただけである。


「マリー姉さん、クレイジー・マザー好きなの?」

「んー、そうね。わりと好きだけど。ブラウニーは?」

「わたしも」


 そうして二人は一緒にクスクスと笑いだす。

 こうしていると、本当に仲のいい姉妹のようだ。


「そういうわけですので先生。明日の学習にはクレイジー・マザーを正式に取り入れてみることにしたのですが。いかがですか?」

「いいわよ」


 ブラウニーが好きだということは、積極的にやらせておいてもいいだろう。


「許可します。そのかわりちゃーんと、詩の意味まで考えるのよ」

「はぁーい。お母さんありがとう大好き!」

「ふふふ。ありがとう。わたしもブラウニーが好きよ」


 ブラウニー。愛すべき娘だ。問題はあるものの、今ここで暮らす分にはなんとでもなる。性格も明るく、まっすぐに前を見た娘だ。

 まだまだ学習量も彼女のデータも足りないが、そのうちブラウニーが役立つ道も自ずとわかってくるだろう。


「じゃあ、マリー。今日はこれでいいわ。ご苦労さま」

「はい。では失礼します。ブラウニー、また明日ね」

「うん、また明日ね」


 二人はは手をふり合った。そしてマリーはシャーリーに一礼して出て行く。


「ねえお母さん。お母さんももう終わり?」

「わたしはもう少しデータの整理があるんだけど……先に部屋に帰っておく?」

「ううん。待ってる。一緒に帰ろ」


 そのブラウニーの台詞に、ついシャーリーは口もとをゆるめてしまう。相変わらず可愛いことを言ってくれるものだ。


「そうね。そんなに時間のかかるものでもないし。ちょっと待ってて」

「うん」


 ブラウニーは笑顔でほほ笑み、クレイジー・マザーなのだろう、歌を歌い出した。


「猫が一匹塀の上、通りを歩くお嬢さんに……」


 * * *


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