12. その優しさは時に危険

 ブラウニーがベッドから抜け出したのはようやく陽が落ちる頃だった。昼すぎには目覚めていたものの、やはり体中がだるくなにもする気になれなかったのだ。それでずっとベッドの中にいた。

 パフィーラはあれから戻って来ていないようだ。部屋にはジャムとケツァールの二人しかいない。


「パフィーラはまだ帰らないの?」

「あぁ、うん。まぁ彼女神子みこだし、心配はいらないと思うけど。それより体調どう?」


 そう尋ねながら、ジャムはブラウニーの向かいの席に座る。その隣がケツァールだ。


「ええ。少しだるいけど、大丈夫」


 そう、そんなに辛いというわけではない。少し気だるいだけだ。

 それよりも、今、感じていることがある。


「あのね、わたし、お腹空いたの」

「えっ?」

「お腹空いたわ」


 だからといってなにか食べる気になるかと言われれば必ずしもそうではない。

 ただ、空腹を感じる。


「良い兆しですね。ではジャム、ブラウニーにお粥を作ってあげて下さい」

「えっ? 俺が?」


 ジャムが驚いて瞬きを繰り返す。しかし、ブラウニーはそれにほっとひと安心する。ケツァールがなにか作ってくれたとして、食べられたかどうか……。

 その点、ジャムならば安心だ。ジャムはブラウニーを守ってくれている。


「ケツァールの方が上手いし早いだろ⁉︎」

「なに言ってるんですか。わたしは朝から四人分も作ったでしょう」

「それとこれとは別だろ⁉︎」

「おや、ではあなたはなにかしたんですか?」

「う……」


 ケツァールにジャムをからかっているようなところは少しも見られない。いたって大真面目。彼は本気で朝から働いたから今度はジャムの番と思っているらしい。


「わかったよ。じゃあ、ちょっと時間かかるかもしれないけど待ってて」

「いいえ、いいのよ。特に食べたいっては思わないし」

「でも、お腹空いたんでしょ?」

「ええ」


 そこは素直に頷く。すると、じゃあ食べなきゃねとジャムは笑顔を返してキッチンに立った。その長いしっぽは、ゆらゆらと楽し気に動いている。

 しばらく、無言の時間が続いた。ケツァールと目を合わせにくく、その間ジャムを眺めて過ごす。そんなことも知らず、ジャムは楽しそうに葉野菜を茹ではじめた。


「ジャムはわたしと逆で料理はわりと好きな方なんですよ、あれでも」

「え?」


 ジャムから視線を外し、ケツァールを見上げる。その瞳はおだやかだ。


「味も特に食べられないわけではありませんし」

「でもあなたの方が上手なのね?」

「ええ」


 真顔でそう言って頷くケツァールは、特に悪い人には見えない。今朝、あんなにも怖かったのに。

 視線をジャムに向けると、たしかに彼は楽しそうである。機嫌良く鼻歌を歌っている。


「ところでブラウニー」

「?」

「今朝は少し怖がらせてしまったようですね。すみませんでした」

「え……?」


 今、なんて?


「わかってた……の……?」


 そうつぶやいて、はっとする。


「だから? だからジャムに食事を?」

「ええ。そちらの方が安心でしょう?」


 特に怒っているふうでもなく、彼はいつもの調子でそう言う。

 では、ケツァールは——彼を怖がることはなにもないのだろうか。


(でも……)


 朝の、ケツァールのあの瞳。それがまだ忘れられない。


(知ラレテハ————)


 そうだ。油断はできないだろう。これが作戦でないとは言いきれないのだから。

 誰に命を狙われているのかわからない今、簡単に人に心を許すことは出来ない。

 それがたとえジャムであっても。そんなことはわかっているのに。


「ごめんなさい。少し神経質になってたみたいで……」

「いいえ、いいんです」


 そんなブラウニーの心を知ってか知らずか、ケツァールがゆるく笑う。めったに表情を変えなかった彼にしては珍しいことだ。

 ジャムはまだお粥作りに専念している。


「ねえ、ケツァール」


 ジャムの後ろ姿は、相変わらず楽しげだ。


「なんです?」

「ねぇ、ジャムって、どんな人なの?」


 話題を変えたいのと、本当に知りたかったのと。気持ちは半々くらいだっただろうか。


「はぁ。ジャム、ですか」


 ケツァールは少し首を傾げ、あなたはどう思いますかと逆に質問してくる。


「わたしは、優しい人だと思う。優しくって、だからこそ誰かがジャムを守ってあげなきゃって」

「鋭いですね」


 そう言ったケツァールの顔には苦笑。


「たしかに、私の見る限りでもジャムは優しい。けれど、ジャムの優しさは時に危険だと思うんです。本人は気がついていないようですが、ジャムはその優しさによって身を滅ぼす……」


 優しくて、優しすぎて……。


「じゃあ、パフィーラはぴったりなのね、やっぱり」

「そうですね。パフィーラはジャムを守ってくれていますからね。ジャムにはそれと気づかせず、けれどしっかりと」


 そう言うケツァールの声には、パフィーラとジャムの両方をとても好きなのだという思いがありありと表われている。

 そこにあるのは、深い信頼。


「ねえ、ケツァール」


 パフィーラはジャムのことが好きなのかしら? そう尋ねようとして、ブラウニーは途中でその言葉を飲み込んだ。

 ジャムがお粥を作り終えて戻って来たからだ。

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