10. そんな顔しちゃって図星⁉︎

「なに……って。みんな仲良しだし、いいなって」

「そりゃあ、仲いいのは認めるけど?」


 一瞬きょとんとした顔をしたパフィーラは、すぐにくすくすと笑い出す。そして、ぐいっとジャムの腕を引き寄せて、甘えっ子のようにその腕を抱きしめた。

 そのパフィーラの行動にジャムは苦笑したものの、払おうとはしない。それどころか優しい瞳をしてパフィーラを見ている。

 ちりっとブラウニーの胸をなにかが焦がす。それは、軽い痛みを伴うもの。


(どうしたの……わたし)


 ブラウニーにはあまり馴染みのない感情。けれど、それがどういう感情であるかは薄々感じないでもなかった。

 きっと、そうなのだろう。

 ブラウニーは、ジャムに惹かれているのだ。パフィーラに嫉妬するくらいには。

 ブラウニーの無事な姿を見て泣きそうな顔をしてくれたジャム。守ってやるからと言ってくれたジャム。


「ねえ、でもブラウニー」


 パフィーラはくすくす笑い続けながら、ブラウニーを見つめてくる。


「まさかブラウニーはかやの外、って思っているんじゃないわよね?」

「えっ……?」


 かやの外では、ない? じゃあ……。

 一体どんな顔をしていたのだろうか。おそらくは、とてつもなく間抜けな顔をしたのだろう。目の前の2人がぷっと吹き出すのが見えた。

 その反応に驚く。瞳を大きく見開いて、それ以上見続けたら穴があいてしまうくらいに、パフィーラとジャムの二人を見つめた。


「やめ―ねぇ、そんな顔しちゃって図星⁉︎ そうなんでしょ? あはははははッ」

「だって」


 うらやましいと思っていた3人の関係。その関係の中にすでにブラウニーも組み込まれていたなんて。

 うらやましいと思い、その関係を否定していたのは外ならぬ自分だけだったのだ。パフィーラもジャムもケツァールも、ブラウニーを仲間として迎え入れてくれていたのに。

 ブラウニーはそれに気がつかなかっただけ。うらやましいと思い、気がつくどころか自分から離れて行っていた。

 なんて間抜けだったのだろう。ブラウニーが羨ましかった仲間は、こんなにも近くにいたのに。


「いいんだよ。でも、これからは仲間だと思ってくれるだろ?」


 ジャムが優しく笑っている。


(わたしを信頼してくれているんだわ)


 嬉しい。これ以上に嬉しいことがあるだろうか。

 たった一人で今まで逃げ回っていた。人とは関わりにならないように、人の情を感じないようにと。


「ええ」


 ゆるく頷きを返し、ほほ笑む。

 自分で自分がおかしかった。なにがどうとは言えない。けれど妙におかしくて笑った。


「あー! ジャム! 今ブラウニーのこと綺麗って思って見とれてたわねッ⁉︎」

「えっ⁉︎ だっ、だってパーフィだってそう思っただろッ⁉︎」

「なに言ってんのよ。天上天下超絶美少女のわたしよりも美しいものがあるわけないでしょ⁉︎」

「そりゃ、もちろんパーフィはすっごく綺麗だけどッ」


 目の前でそんな風に言い合いをはじめてしまう二人に、さらにおかしさが増す。

 これが彼らの日常。何気ない瞬間でも、それはブラウニーにとって幸せ以外の言葉では表せない時間だ。


「まぁまぁ。パフィーラ、朝食ができましたからどうぞ」

「えっ? やったー食べる食べるぅ♡」


 奥の台所からの呼び声に、パフィーラの機嫌はあっという間に直ってしまったらしい。


「早く早くぅ」


 上機嫌でブラウニーとジャムの腕を両手でつかみ、台所の方へと引っ張って行く。

 そこにあるテーブルには、ひと通りの朝食らしきものがならんでいた。具が玉子のサンドウィッチにコーンスープ、そして野菜サラダ。その中で一つだけぽつんと置いてある玉子粥はブラウニーのものだろう。


「もう出来たの?」

「ある程度、用意して来ていましたからね」


 サンドウィッチは挟むだけだし、その具もコーンスープもあらかじめ用意して持って来ていたようだ。野菜だって洗って千切っただけの葉物だ。それでも、この短時間で用意できる手際はすごいとしか言いようがない。


「さ、座ってください」


 まるで自宅かのように椅子をすすめてくれるケツァールに頷く。お粥が置いてある場所の椅子に手を伸ばし、止まった。

 この部屋に椅子は三脚しかない。ジャム用に一つ、来客用に一つ。そしてパフィーラが転がり込んできた時に彼女用に買ったものが一つと言っていた。

 今この部屋にいるのは四人だ。食事も四人分。


「スープが冷めないうちに食べましょ」


 そう言ったパフィーラはさっさと自分用の椅子に座わる。そして、そうしましょうと頷いたケツァールもしれっと椅子に腰かけた。

 そうして、残り一つの椅子の前には玉子粥。

 やはりと言うかなんと言うか、立ったまま朝食を取るのはジャムのようである。


「ジャム、良かったらこの椅子……」

「あーもう、いいからさっさと座ってよー」

「え、でもジャムが」

「でもじゃないわよー。スープ冷めちゃう。冷めちゃったらブラウニー作り直してくれんのー?」


 昨夜と同じような身も蓋もないパフィーラの言い分。しかし、彼女なら間違いなく作り直させるだろう。


「……ジャム?」

「いいって、いいって。遠慮しないでいいから」

「そーよ。わたしみたいな美少女や女の子を立たせるなんて犯罪よ?」

「それに、わたしは働きましたから」


 ケツァールもしれっとそんなことを言っている。いや、彼は大真面目のようだ。


「そーいうこと」

「あ、じゃあ、ありがとう」


 一応礼を述べ、ブラウニーも席につく。


「んじゃあ食べちゃいましょ♡ いっただきまぁーす」


 いただきますとは声ばかり。言い終わらぬうちにパフィーラの手はサンドウィッチへ。そして言い終わった瞬間にはもうサンドウィッチをほおばっていた。


「んんっ、おいひいッ」


 口の中でサンドウィッチをもごもごとやりつつパフィーラ。それを苦笑して見つつ、ジャムとケツァールの手も伸びた。

 ブラウニーも、スプーンを握る。


(ちゃんと食べてしまえるかしら)


 そっとお粥をすくう。絹のような玉子と艶やかでやわらかそうな白米が本当に美味しそうではある。

 しかし、食欲はわかない。


(大丈夫、よね……?)


 食欲がないとはいっても、別に満腹感があるわけでもない。お粥の一杯くらいは食べられるだろう。

 まだ湯気の上がるお粥を充分冷ましてから、口の中へスプーンを入れる。そして、首を傾げた。


(……?)


 口の中のお粥の味に、なにか奇妙な感触を覚えたのだ。


(これがお粥? そうだったかしら……?)


 そうだったかもしれない。けれど本当にそうだろうか? わからない。


(お粥って、どんな味だったかしら)


 そう考えて、さらに首を傾げる。思い出せない。

 思い出せないということは、お粥を食べるのはこれが初めてなのだろうか。

 てっきり食べたことがあると思っていたし、お粥がどういう料理なのかももちろん知っている。だが、その味だけが上手く感じられない。

 食べたことがあると錯覚していた?

 わからない。

 もう一口、口へ運ぶ。

 やはり、ブラウニーにはなじみのない味だ。


(おかしいわね)


 そう思って眉をひそめた、その時。

 その変化は激的だった。突然ドクンと心臓が跳ねたかと思うと、急激に血の気が引いて一瞬目の前が真っ白になる。身体中から力が抜け、スプーンが手から滑り落ちた。それががちゃんと音をたて、ブラウニーの意識を微かに揺さぶる。

 そして、体の底から一気にこみ上げて来たのは、強烈な吐き気。


「ブラウニー⁉︎」


 慌てたジャムの声。


「ブラウニー、ちょっと、なぁに⁉︎」

「どうしました?」


 心配そうな声に応える余裕すらない。

 胃の中からせり上がってくる異物の臭いが鼻につき、口を両手でおさえて必死で立ち上がる。

 吐く‼︎


「ブラウニー、こっちです」


 そのブラウニーの体を抱きかかえるように二本の腕が伸びて来た。ケツァールだ。

 ひくっとのどが鳴る。異物がせり上がってくる。


「ブラウニー、ここへ」


 そう言ってケツァールがブラウニーを導いてきたのは流し台だった。

 ケツァールは素早く水道の蛇口をひねり、水を勢いよく流す。

 そして、そこでブラウニーも限界だった。両手を口から離し異物を吐き出す‼︎


「いいですか、落ち着いて……なにも気にしなくていいですから」


 静かなケツァールの声。そして背中をなでてくれている手のひら。しかし、それをどうとかこうとか思う余裕はブラウニーにはなかった。

 ただ、ただ胃の中のものを吐き出す。ツンとした異臭が辺りを覆い、その臭いがさらに吐き気をもよおさせた。

 もともとなにも入っていなかった胃だ。胃液ばかりである。しかし、その臭いはすさまじく、あっという間に部屋に充満していく。


「ジャム、窓をあけて下さい」

「わかった」


 答えたジャムが、窓を開けたらしい物音。そして吹き込んでくる空気。


「ごめ……ごめんなさい……」


 外界からの風がほんの少しブラウニーのほおをなぜた。それが吐き気を治めていく。


「いえ、気に病むことはありません。無理に食べさせようとした私に責任はあるでしょう。さあ、どうぞ」


 いつ用意してくれていたのか、ケツァールが濡れタオルを差し出してくれる。


「ありがとう……」


 それで顔、特に口のまわりをきれいに拭く。それを終えると、今度は水入りのコップを差し出された。


「口の中もきれいにして下さい」


 やはり医師だからだろうか、一つ一つの作業が淡々としているわりには素早い。それが多少事務的に行われていようとも、それは職業柄仕方ないことだろう。

 いちいち感情的になっていては務まらない仕事だ。嘔吐をくり返す患者は決して珍しくはないだろう。慣れているのだ。


「ブラウニー、大丈夫?」

「ええ。ええ、大丈夫よ……」


 うがいをして空になったコップを置いて、ブラウニーはジャムに向き直る。身体はだるいが、吐いてしまったら、気分はずっと良くなった。


「やはり、そうですか……」

「えっ?」


 少し驚いて、ブラウニーはケツァールをふり返った。なにが『やはり』『そう』なのだろう。


「いえ、やはり精神的ダメージが大きかったですね、と。たしかにあんなものを見てしまっては、食欲もわかないでしょう」


 そのケツァールの台詞が、取って付けたように白々しく聞こえたのはブラウニーだけだったのか。

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