7.ダッテ、アノ人ハワタシノ……
「さーてっと。なに食べようかしらっ」
食堂で椅子に座ったパフィーラの瞳が子どもらしく輝いた。食事を前に嬉しそうにしているパフィーラになにも言う気になれず、ジャムも大人しく彼女の隣の席につく。ケツァールとブラウニーは二人の向かい側の席だ。
一昨日も来ていた食堂だ。ジャムとしては酒場のほうが好きだが、酒場では美少女二人は目立ちすぎる。
「ブラウニー? 本当に食べたくないのですね?」
「ええ」
「そうですか。では……」
そう言ってケツァールはメニューに目を落とした。そのメニューを向かいから身を乗り出し、ジャムものぞき込む。
食堂にはあまり来ないため、どういうメニューがあるのかよく知らないのだ。
これは? こっちは食べれそう? などとうつむいているブラウニーに向かって顔を上げ、テーブルの左手にある入り口にその人物を見つけた。
それは、女だった。
ずいぶん年上、三十代ほどに見えるその女はこちらへ顔を向けている。短い黒髪と、鋭く光る灰がかった青い瞳。
体にぴたりと沿う黒服は、住民たちで賑わう食堂で異様に浮いている。一歩踏み込んだ編み上げのブーツが足音を立てた。
そして その手には一丁の自動小銃。
「——ッ危ないっ‼︎」
ジャムが叫んで立ち上がったのと、女が銃口ををこちらへ向けたのは同時だった。
女の瞳が四人を、いやブラウニーを捉える。その瞳が一瞬だけ細まり笑みを形作ったように見えた。そして。
「愛しているわ、ブラウニー」
聞き間違いかと思う間も無く、平和な食堂内に銃声が響き渡る。派手な破壊音の後に、砕けた食器が宙に舞った。
そして、人々の怒号と悲鳴。
しかし、銃弾が狙った人物以外に当たることはなかった。まわりの無機物は壊しても、人を傷つけはしない。
狙いはただ一人。
女の狙ったただ一人の少女を、ジャムは守る。銃弾が届くより早く発動したジャムの力がブラウニーを覆い、その銃弾を弾いた。悲鳴を上げたブラウニーが頭を抱えて椅子の背に隠れるように小さくなったのが見えた。
銃弾がブラウニーに当たらなかったことに女が目を見張る。一瞬激しい動揺を見せたが、それはまばたきほどの間。あっと言う間もなく、女は踵を返して外へと走り出して行く。
あの女が、ブラウニーの命を狙っている張本人だ‼︎
「待てッ‼︎」
目を見開いてガタガタと震えているブラウニーを横目に、ジャムはテーブルの上に飛び乗った。そのままテーブルをジャンプ台にして女を追って一気に外へと飛び出す。
街道の左右を確認する。左手に黒い服の女が駆けていくのが見えた。それを確認し、全身のバネを弾いてトップスピードでその背を追う。
ジャムは猫だ。多少間が空いていても、この距離ならまだ追いつけるはずだ。
(絶対に逃すものか‼︎)
* * *
女の逃げていった店の出入り口から、ブラウニーはどうしても目を外せないでいた。
(わたし……どうしたの、わたし)
胸がドキドキして苦しい。
突然また銃撃されて、本当に怖かった。結果的に銃弾は当たらなかったが、殺されると思った。おそらくジャムが魔法の力でブラウニーの周囲に障壁を張ってくれたのだ。ブラウニーを光が包んだのは見たが、あれがそうだったのだろう。そうでなければ今頃ブラウニーは生きていなかった。
それなのに、ただ一言だけが頭の中を回っている。
『愛しているわ、ブラウニー』
誰とも知らない襲撃者の言葉。もしかしたら、それはこれから命を奪う人間に対する弔いなのかもしれない。いや、無差別に人の命を奪う女の狂った狂愛なのかもしれない。虫ケラのように殺される自分に対しての皮肉なのかも。
そう思うのに、その台詞はブラウニーの中から消えない。それどころか、ますますその声が大きくなっていく。
愛している、愛している、愛している……。
(あの人は、誰……?)
彼女がブラウニーを狙っていたのは間違いない。
そう、彼女はブラウニーを狙っていた。それなのに。
(どうして笑ったの?)
わからない。
(どうして、あんなこと言うの……⁉︎)
一瞬だけ見せた彼女の笑みは優しかった。優しく笑って彼女は言ったのだ。愛している、と。
(誰なの……)
その笑顔が脳裏にこびりついて離れない。
どこかで——どこかであんな笑顔をする人に会ったことがある気がするのだ。あるいは、それは彼女自身のことなのか。
それはわからないけれど。
彼女が誰なのかもわからないというのになぜか彼女を懐かしく思うのだ。あの顔を、笑顔を、声を、姿を……。
懐かしい(ズット、ワタシハ会イタカッタ……)。
「ブラウニー、大丈夫ですか? 怪我はありませんか?」
「ええ」
心配そうに顔を覗き込んできたケツァールに、ほとんど無意識で答える。
あの笑顔に(会イタイノ……)もう一度、会えないだろうか?
彼女に命を狙われているのはわかっている(ソウヨ、ワカッテイル)。
わかっているけれど、もう一度会えないだろうか。話が、できないだろうか?
(あなたは 誰?)
(アノ人ハ、ワタシノ……)
(なぜ、あんなことを言ったの?)
(ダッテ、アノ人ハワタシノ————)
(なぜ⁉︎)
わからない。
会いたい、あの人に会いたい‼︎
その時。ブラウニーのずっと見つめ続けていた出入り口に人影が現れた。
(あの人が戻って来たの————⁉︎)
しかし、そう思ったブラウニーの期待は荒々しい足音で打ち消された。苛ついた様子で食堂に入ってきたのは金髪金目の猫。ジャムだ。
彼は仏頂面で三人の側まで歩みより、ダンッとテーブルを拳で叩いた。
「巻かれた、くそっ」
では、あの人は逃げた?
「あら、追いつけなかったの?」
「ああ。足が速いだけなら追いつけたかもしれないけど、めちゃくちゃ持久力があってさ」
「なるほどそうですか。猫ではそう長く走れませんからね」
「ああ。それより、ブラウニー無事か?」
ジャムがブラウニーの顔をのぞき込む。苛立った表情を和らげ、気づかうように。
「ええ。あなたのおかげで、大丈夫」
「なら、よかった……」
「それにしても妙ねぇー。向こうはブラウニーのことよく知ってたみたいな言い方だったわね?」
「そうですね。それに『愛している』とはどういう意味なんでしょうか」
「さぁ? ブラウニー、もしかしてあの女と知り合い?」
「いいえ」
知らない。知り合いではない。そのはず。
「知らないわ」
首を横にふって、うつむく。
けれど……。
「ふうん。なのに『愛している』じゃあ割に合わないわねぇ」
「でも、知らないの……」
彼女が誰なのかわからない。わかっていたら、こんなに気になることだってないかもしれないのに。
胸が熱い。
「————っ‼︎」
のど元を急激に駆け上がって来た熱いものを我慢するかのように、ブラウニーは両手で顔をおおう。しかし、その熱は止まらない。
両手の間からこぼれる嗚咽を止めることが出来ない。瞳から一気に涙があふれ、手のひらとほおの間にたまっていく。
そのブラウニーの肩にそっと手のひらが重ねられた。ケツァールだ。
「怖かったですね。もう、戻りましょうか 」
「そうだな」
頷くジャムの気配。しかし。
(違うの……)
怖かったのじゃない。そうじゃない‼︎
いや怖かった。それは事実。だが、今涙を流している理由ではない。
なぜなのかわからないけれど、涙が流れて止まらないのだ。
『愛している』と言ってくれたあの人。
懐かしいと感じるあの人。
(違ウノ————……)
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