6. 俺が絶対守るから
目の前に転がっている三つの物言わぬ物体は、まさに惨殺されたとしか言い様がなかった。三人とも、全員顔もわからないほど全身がグチャグチャになってしまっている。
それを見下し、ケツァールは顔をしかめた。
まるで、なにかに溶かされたような————。
「銃でここまでやるとはひどいものだ」
治安警備隊の男がケツァールの隣に並んでその遺体を見下してくる。
「銃の乱射があったのは間違いないのですね?」
「ええ。ほら、銃痕が残っているでしょう」
男は、三つの死体をよけて、その後方の壁へと歩いていく。そして、コンコンと壁を叩いてみせた。
たしかに、そこには無数の銃痕が残っている。
「なるほど」
たしかに銃の乱射はあったらしい。しかし。
「それがなにか?」
「ええ。これは、銃の乱射が死因ではありませんから」
「なんですって⁉︎」
医師としての言葉に、男は慌てたようにケツァールの前まで戻ってくる。
「それは本当ですか⁉︎」
「ええ、間違いありません。あなたにはこれが銃痕に見えますか?」
死体には銃で撃たれた痕は一つも見あたらない。
「うーむ。言われてみれば……」
男もケツァールの診断に納得したようで、しきりに首を傾げている。
「死因は銃ではなく、この溶けたような傷。そういうわけですか」
「そうです」
「一体これは……」
「さあ。そこまではちょっと」
本当になんなのだろう。外傷なしに死亡している五人も気になる。全てはこの場で起こった出来事だ。
「薬? いや、まさか」
人体をこれほどまでに損傷させるような強い薬が一般に出まわっているはずがない。医師のケツァールだって持ってはいないのだから。
しかし、それが可能だろうと思われる組織にケツァールは心当たりがある。先日総合病院の地下に巣食っていたあの<黒蝶>という組織……。
しかし、それはそれで違和感がある。なぜブラウニーが狙われるのかがわからない。
ならばまるで溶かされたようなこの傷はなんだという?
(溶かす……?)
じっと遺体に視線をそそぐ。
そして、軽い既視感に襲われ、緑の双目を細めた。
これによく似たようなものをどこかで……?
「いや、考え過ぎですね」
「ん? どうかしましたか?」
「いえ、なんでもありません。急用を思い出したので私は皇宮へ帰ります。総合病院に遺体を移送し終わったら呼んでください。検死には立ち合いますので」
きびすを返す。背後で男の困惑した返事が聞こえたが振り返らなかった。
<黒蝶>の元メンバーであり、今は皇宮に雇われている科学者たちに話を聞いた方がいいだろう。検死にも数名立ち合わせよう。
<黒蝶>の技術力はとんでもない。皇宮に保護されてから、皇帝の命でその技術を再現させているようだが、正直興奮せざるを得ない。教えてくれと懇願したくなるほどに。過ぎた技術は人を救いもするが、新たな争いも生むだろう。それでも知りたいと思ってしまう。諸刃の剣だということがわかっていても。
* * *
あの惨殺事件から一夜が過ぎた。ジャム、パフィーラ、ケツァール、そしてブラウニーの四人はとりあえずジャムの部屋に集合していた。
元々はジャムの一人暮らしの部屋だ。椅子は三脚しかなく、ブラウニーはベッドに座らされている。その周りに椅子を移動し他の三人も腰かけている形だ。
ブラウニーは一応の取り調べは終わり、今はケツァールを身元引受人として解放されている。
「なるほど、そうだったのですか。大変でしたね」
たった今ジャム達に合流したケツァールが、改めてブラウニーの話を聞いて頷いている。ブラウニーの話でなにかわかったことがあるのだろう。
「そっちはどうだったの?」
「惨殺された三人の遺体を見ましたが、ひどいものでした」
滅多に表情を変えないケツァールの顔が痛ましげに歪む。
ブラウニーの顔色は真っ青だ。かすかに震えている。
自分のそばで誰かが殺されたというだけでもショックは大きいだろう。それなのに惨殺され、その遺体を見たとなればその心の傷はどれほどのものか。
ジャム自身はその遺体を見ていない。だからその衝撃を受け止める事が出来ない。心の底から理解してやれない事がもどかしい。それと同時に、絶対に目にしたくない光景だとも思う。
「まずブラウニーの証言から、三人の惨殺が先にあった。その後銃声。その銃弾は三人に一発も当たっていませんでした」
「あ、あぁ……」
「後方の壁に残る銃弾の痕と、ブラウニーの話した三人の座っていた位置からして、むしろ銃弾は三人を避けるように撃たれています」
「つまり、そいつは三人を撃つ気はなかったってことね?」
その通りですとケツァールは神妙な顔で頷いた。
「はじめから、狙いはブラウニー一人だったのでしょう」
「なんで……」
「ジャム、人間どこで恨まれるかわかりませんよ」
「ブラウニーに覚えはないんだぞ⁉︎」
「それでもです。少なくとも、私は多勢の人間から恨まれているはずです。医師ですからね」
「なんでだよっ、医師は」
人を助ける仕事だろうと続けようとして、その言葉はケツァールの静かすぎる眼差しに阻まれてしまう。
ごくりと言葉をのみ下し、その苦さにジャムは顔を歪めた。
ケツァールの緑の双眸が、言葉よりも深く語りかけてくる。
そうなのだ。ケツァールは医師だ。人を助け、救っている。多勢の人々から感謝され、慕われている。
しかし、医師の彼にも助けられないものはある。どうしても救えない命もある。
その時、その者の遺族はどう思うだろう。どこに悲しみを、怒りをぶつけるのだろう。
「恨みが原因かどうかはわかりませんが。そういう可能性もないわけではありません」
そうだ。その可能性はゼロではないだろう。たとえ、本人に自覚はなくとも。
「じゃ、じゃあ。その三人は、なんで死んだんだ? なんで惨殺されたんだ?」
「それが謎なのです」
ケツァールは軽く首をふり、ジャムを見つめる。
「死因は、肉を溶かしてしまったような広範囲の傷です」
ケツァールの声に、ひっと小さな悲鳴が上がる。ブラウニーだ。ますます青白くなった顔が引きつり、歯がカチカチと鳴っている。
その様子を見ていられなくなり、ブラウニーの隣へと移動する。そっと背に触れると、驚いたように身体を揺らした。
そのまま背をさする。こんなことしかできないのがもどかしい。
「溶かす、ってなんだよそれ」
「そうとしか表現できません」
「酷すぎる……ブラウニーが目撃者だから銃撃したのか?」
「あり得るでしょう。普通ならば三人と一緒に惨殺する。それができるほど近くにいたのですから。ですが、そうしようとした時に人が来たとしたら、逃げながら撃ったとしてもおかしくはありません」
「ふーん、なるほどねェ」
パフィーラもそう言って頷く。
「なんでブラウニーを……」
「愉快犯とも考えられます。その場合は、ブラウニーを狙う明確な理由はないでしょう」
「そんなこと……」
その可能性はジャムの中からは出てこない類のものだった。しかし、言われてみればその可能性はあると言わざるを得ない。
亜人種への蔑みや、人間同士のいざこざや争いはもちろんあることをジャムだってわかっている。それでも、人を殺すことを楽しむような人間がいるのだということは受け入れ難い。
それは同時に、ジャムがどれほど周りに恵まれていたかを示している。
捨て子だったジャムは愛されて育った。それなのに、ブラウニーは命をつけ狙われずっと逃げ続けている。
「もしかして、ブラウニーの周りの人を傷つけて……愉しんで、るとか……」
ふと脳裏に浮かんだことを口に出し、その言葉にめまいを起こす。
そんなことがあっていいわけがない。あってはならないことだ。だが、もし、そういう狂気を持つ人間がいるとしたら。たまたま、そいつのターゲットになってしまったのだとしたら。
「どんな可能性もあり得ます。外傷なく死亡していた五人のこともありますし、今の段階ではわからない事だらけですから」
今さらながらに背筋が寒くなる。ブラウニーが助かったのが奇跡のようだ。
ブラウニーはうつむいている。膝の上できつく組んだ手が小刻みに震えた。
「ふうん。まあいいわ。わたしお腹すいたー。なにか食べに行かない? 腹が減ってはなんとやらって言うじゃない?」
「そうですね、行きましょう」
「……って、2人とも‼︎」
軽く食事に行こうと決めてしまった二人に、さすがのジャムも青筋を立てる。
こんな時に‼︎
「ブラウニーは狙われてるんだ外出歩いたら危ないだろっ⁉︎」
「あら、なに言ってんのよ」
しかし、パフィーラはけろっとしたものだ。
「ジャムが守ってあげてればいいでしょ?」
なんのためにそんな力持ってるのよ、とパフィーラが肩をすくめる。
彼女の言うそんな力とは、ジャムの他人のためにしか発動しない魔法の力のことである。ジャムの力は他人を救うためだけにしか発動しない。つまり、ジャム自身を守ることはできないが、ブラウニーのことを守ってやることはできるのだ。
パフィーラと出会ったことによって、その力の使い方にはようやっと慣れて来た。やろうと思えばやれるだろう。
「わかった」
どうせこの二人は言い出したらきかないのだ。従うしかあるまい。
それに、昨日からろくになにも食べていないのは事実だ。食事のことなどすっかり忘れていたが、思い出すと空腹を感じてしまう。
いつも外で食事をしているため、まともに食事を作れるような食材も今はない。
「ブラウニー。なにか食べに行こう」
さすっていた背を軽く叩き、立ち上がる。ブラウニーに右手を差し出した。
彼女はうつむいたまま首を左右にふり、ジャムを見ようともしない。
「わたしはお腹なんて、空かないわ。とても……食べる気になんてなれない」
「でも。ブラウニー昨日からなにも食べてないじゃないか」
昨日も彼女は同じことを言ってなにも食べなかったのだ。一昨日ジャムたちと別れてから食事を取ったのだとしても、かなりの時間が空いているはずだ。
事件のショックもあるからとそっとしていたが、さすがにもうそろそろ食べなければ体調に関わるだろう。
「でも、本当に、食べたくないの。ほっといて……」
「ブラウニー……」
そこまで言われてしまうと、なにも言えなくなってしまう。
あんな光景を見たのだ、ショックで食べ物がのどを通らないのだろう。
ジャム自身はその光景を見たわけではない。だからブラウニーのショックがいかほどのものなのかわからない。知らない。
だからこそ、なにも言えない。
「わたしは残るわ」
「それはダメ」
ほとんどオウム返しにブラウニーの言葉を切り捨てたのは、もちろんパフィーラだ。
「あなた、狙われてるんだから。わたしたちと一緒のほうが安全ってもんよ。ジャムならあんたを守れる。だから来るだけ来なさいって」
食べなくていいから、と彼女は続けて腕を組む。
「さ、立って。行くわよ」
「ブラウニー?」
そのパフィーラの声に乗せて、ジャムは再度右手を差し出した。そして、今度は自分からブラウニーの手を取る。
「行こう。俺が絶対守るから」
「ジャム……」
やっとブラウニーは顔を上げ、ジャムを見つめる。その瞳が透明な雫でぬれた。
「ありがとう……」
* * *
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