第二章 愛、碧天より降る

4. ブラウニーは無事なんだろ?

 優しい朝日の降りそそぐ部屋。

 その家具らしい家具もない白い部屋で眠る少女と青年の朝は長い。

 たった一つのベッドで丸まって眠る二人の姿は、朝日に祝福されて輝く。その姿を見る者がほほ笑まないではいられないほど愛らしくて無垢な寝顔。

 しかし、今朝の客だけは違った。荒々しい足音とともに扉が開いた音でジャムは目を覚ます。

 誰なのか尋ねる暇もなかった。


「二人とも、いつまで眠っているつもりですか起きて下さいッ」


 急に響いた声に驚いてベッドの上で身体を跳ね上げる。瞳孔をいっぱいに開いて見上げた先にいたのは、見慣れた銀髪と緑の翼。


「ケツァール、な、なんだ……?」


 いつもは沈着冷静で物静かな彼は、今ジャムの目線の先で息を切らしている。その顔にはありありと焦りの色が浮かんでいた。

 なにかただごとではない事がある。そう察するには十分だった。


「もぉなんなのぉ……?」


 対してパフィーラはまだ半分夢の中。布団にくるまったまま、寝ぼけまなこで両目をこすっている。


「なんだじゃありませんッ、早く起きて下さい」


 まだベッドから起き上がれずにいるパフィーラの肩をゆすり、ケツァールは無理矢理彼女の上体を起こす。

 そのケツァールらしからぬ行動に、さすがのパフィーラもぱっちりと瞳を見開いた。ジャムと顔を見合わせてから、二人でケツァールを見上げる。


「いいですか、よく聞いて下さい。殺人事件が起きました。三人が惨殺され、他五人が外傷もないのに死亡しています」

「ざん、さつ……?」

「ええ。伝え聞いたところによると、ブラウニーもその事件に巻き込まれたようです」

「は……?」


 寝起きの頭が今聞いたことを受け付けない。

 惨殺事件があった。八人も死んで、ブラウニーも……?

 まさか……。


「私たちが紹介した『道程』のホールでのことです」

「じゃ、じゃあ、死……」


 ガクガクと体が震え、うまく言葉を発することが出来ない。


「いえ、落ち着いて下さい。彼女は死んでいない。しかし、狙われたのはほぼ間違いないということです」


 狙われた⁉︎

 まさかこれがブラウニーの訳あり⁉︎


「わたしは今から医師として行って来ます。早くお着がえなさい、ジャム」


 それだけ言うと、ケツァールは駆け足で部屋を出て行く。荒々しく階段を駆け降りていく足音がしばらく続いた。


(狙われた、って……)


 三人は惨殺され、その他に五人も死んだ?

 頭の中がぼうっとする。なにを考えたらいいのかわからない。


「ジャム」

「え?」


 突然背後からかかった声にふり向くと、そこにはキチンと身じたくを整えたパフィーラの姿があった。髪にリボンまで結び終えている。


「なにボケッとしてんのよ。早く行くわよ!」

「わ、わかった」


 慌てて頷き、ベッド台の上に積み上げていた着替えを手につかむ。勢いで床に雪崩れたが気にしている余裕はない。

 何枚かベッドの上に放り投げ、中からとにかく着られるものに腕を通していく。

 髪はボサボサのままだが、そこまで整えている暇はない。

 パフィーラと二人で部屋を飛び出す。

 ジャムは猫であるため、かなり身は軽いし足も早い。パフィーラを置いて行こうと思えばそれもできる。しかし、そういうわけにもいかないので、パフィーラの手を引いて走る。

 やがて、「道程」の前にたどり着くと、そこは大勢の治安警備隊とやじ馬の人だかりで山のようになっていた。

 その人ゴミをかきわけて前へ出るものの、あっさりと「立入禁止」のロープに阻まれてしまう。

 ケツァールの姿はない。きっと彼は医師として中に入っているのだろう。こんなところに出入り可能ということは、ケツァールの腕はそれだけ信頼されているということか。


「なぁ、ちょっと」


 ぐいっと腕をのばして、ロープの中でやじ馬を牽制している治安警察隊の男の服を引っ張る。


「なんだ、やじ馬はお断りだ」

「違うんだっ、ブラウニーは無事なんだろ? そうだよな?」

「ブラウニー?」


 男は一瞬考え込み、ああと頷く。


「あの娘か。知り合いなのか?」

「ちょっとした。なぁ、無事なら会わせてくれよ」


 しかし、男は首を縦にはふらなかった。駄目だと言ってシッシッとジャムを追い払おうとする。


「なんでだよッ」

「今から取り調べがあるからだ」

「あら、じゃあなおさら会わせてくれたほうがお互いのためだと思うわ」


 ぐいっと首をつき出すようにして、パフィーラが割って入る。


「どういうことだ?」

「だって、わかんないの? ブラウニーは襲われたんでしょ? ただでさえ怯えているはずだわ」


 そうだ、しかも死者も出ている。

 どんなに怖かっただろう。それを思うと胸が苦しい。

 どんな理由があったとしても、人を殺めるなんて到底許されない行為だ。


「そこに取り調べとかされてみなさいよ。怖いだろうし、心細いはずよね。そんな状態で有意義な証言なんて得られるかしら?」


 さぁどうなのと詰め寄るパフィーラに、男はううむと唸っている。


「その点、知り合いがそばにいれば、それだけで少しは心の支えになるとは思わない? そっちのほうがその時のことを喋ってくれそうでしょ」

「そうかもしれないが、あの娘と知り合いという事が嘘の可能性もある」

「わたしたち、宮廷医師のケツァールとも親しいわ。身分は彼が保証してくれるわよ」

「ふむ……」


 こちらを疑ってかかるのも彼の仕事。確かに、犯人が知り合いを名乗って面会を求めないとも限らない。

 その点、彼らもケツァールのことは知っているだろうから、彼の名を出す方が話が早い。


「待ってろ」


 男は人混みに紛れるようにしてどこかへ行ってしまう。

 やがて戻って来た男は、仏頂面ながらジャムとパフィーラを手招いた。


「確認が取れた。案内しよう」


 彼はロープから出ると、二人をやじ馬の外へと誘導していく。


「近くのホテルに部屋を取っている。彼女はそこだ」


 * * *

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