第一章 始点交錯

1. 女の子を困らせちゃダメだろ‼︎

 ただそこに在るというだけで心が晴れるもの。

 そう、例えば雲一つない晴天の空などがそれにあたるだろう。どんなに憂鬱な心を抱えていても、晴れ渡った空を見上げると多少なりとも気が晴れるものだ。

 どこまでも、どこまでもただ青い空。なにもないけれど、それでも見飽きることはない。いつまでも眺めていたい……。

 そうして、その通り空を見上げながら歩いていた猫耳と長いしっぽを持つ猫科亜人種の青年ジャムは、盛大につまずいた。


「ぎゃっ」


 一声叫んで、一般人の視界から消えてしまう。


「なにやっているんです? ジャム」


 そんなジャムに至極真面目に声をかけてきたのは、ジャムの隣を歩いていた鳥科亜人種の友人ケツァールである。ジャムを助け起こそうとかがんだその肩からは、長くて美しい白銀の髪が流れ落ちる。それはまるで後光かと思うほどに美しい。その背にある緑の翼も相まって天使かと思えるほどだ。

 そのケツァールが空を飛んでいないのは、ジャムに合わせているのではない。そもそも彼は飛べないのだ。


「あいたたたたた……」


 猫科亜人種特有の身の軽さで、頭を強打することは免れた。しかし歩道にダイブしてしまった格好になり、照れたように起き上がる。その金色の前髪からのぞく額には少しだけ血がにじんでいた。


「すりむきましたね? あとで消毒をしてあげます」


 そう言うケツァールは医師だ。しかも宮廷医師。ジャム自身はあまり知らないが、医師としての腕が良いのだろう。


「あぁ、うん、ありがと」


 なんとも恥かしい姿を周りにさらしたジャムに、他人のふりもせず手当てまでかって出てくれた七つ歳上の友人に苦笑を返す。

 ケツァールの場合「他人のふり」という思考が全くないのだが、それはこの際関係ない。素直に感謝する。

 そう、彼はいつでも至極真面目でおそろしく冗談の通じない男なのだ。


「あ、でもそれって食事のあとでいいんだろ?」

「そうですね。時間に遅れればパフィーラが怒るでしょうからね」


 そう答えたケツァールに、ジャムも真面目に頷く。

 二人は、パフィーラと食堂で待ち合わせをしているのだ。酒場じゃないのは、そこではパフィーラが目立ってしょうがないからである。

 パフィーラ——青い瞳に空色の髪、そして真っ白なドレスを着た外見十歳程度の美少女である。人間が魔法の力を失った今の時代において、魔法を自在に操ることのできる不思議な少女だ。

 ジャムも、なぜか魔法の力を持ってはいる。しかし、他人のためにしか発動しないジャムの魔法の力に比べると、パフィーラの力はすさまじい。彼女は魔法の力を好きなように操れるのだ。そのパワーも大きい。

 その彼女は、ジャムを導くと言ってはばからない。そして、ジャムはそのパフィーラによって、すでにいくつかの事件に巻き込まれていた。よく考えれば、パフィーラに導かれたからこそ出会った事件ばかりだ。

 そして今現在はジャムの暮らす部屋に転がり込んで同居している。

 そんなパフィーラは、すばらしく気分屋だ。彼女の機嫌を損ねると大変なことになってしまう。いくら空が晴天でもジャムには雨降りだ。

 そうならないためにも、約束はきちんと守らねば。


「行きましょうか」

「ああ」


 遅れてはたまらないとばかりに先に立ってケツァールが歩き出す。その背をジャムは追いかけ——ぶつかった。


「なっ……なんだよっ」


 ジャムの視界が緑色のもふもふで遮られた。ふわふわしていて気持ちいいなと思ったのは内緒だ。


「ケツァール?」


 思いっきりケツァールの翼にめり込ませていた頭を引き抜き、自分より二十センチ程は背の高いケツァールを見上げる。


「おーい、ケツァール?」

「ジャム。あれ、見て下さい」


 そのケツァールが指差したものは。


「あ……!」


 熊科亜人種の男、人間の美少女にからむの図だった。

 濃い体毛にゴツイ体。粗野な容貌。体中全てが筋肉なのではないかと思わせるほど無駄にもり上がった筋肉。

 全ての熊科亜人種がこうだとは限らない。しかし、そいつはすばらしくお約束な姿形をしていた。

 ひきしまって無駄のない体つきとは言え、細身のジャムとは大違いだ。


「どうします?」

「どうします、って……」


 力で敵わないのはよーく知っている。なにせ鳥と猫だ。ジャムなど力が弱いせいで、母親に護身術をたたき込まれてしまったほどなのである。

 ケツァールはというと……その職業からしておして知るべし。

 つまり、どうあがいたところで二人は力では敵わないのである。

 男は、少女の細腕をつかんでニヤニヤとしている。どうやらこれからどこか行かないかと誘っているようである。

 対して、少女の方はかなり嫌がっていた。肩に届かないくらいのウェーブした茶髪をふりみだして、首を横にふり続けている。髪と同色の瞳はきつくつり上がり、眉間に皺まで刻んでいる。


「きれいだな、あの人……」


 つい、ジャムはそんな感想を述べてしまう。それくらいの美人だ。小づくりな顔をつつむ髪も品がいい。

 美というならば、ジャムは毎日毎日パフィーラという美少女を見てはいるのだが。


「ジャム?」

「あ、いや、わかってるって」


 ジャムが他の女性にきれいなど言おうものなら、パフィーラにどやされてしまう。


「えーっと……。じゃあ急所狙いってことで」

「わかりました。方法は?」

「俺が背後から気を引くから、彼女の手引いて逃げてくれ。とりあえずパフィーラのところまで」

「いいアイディアです」


 パフィーラのところまで逃げればひと安心だろう。彼女に勝る者など、ちょっとやそっとのことではいない。


「じゃ、作戦開始ってことで」

「わかりました」


 頷き合って二手に別れる。ジャムは男の背後へ。ケツァールはさりげなさを装って少女の後ろへ。

 そして、ジャムはため息を一つ。

 大きい。その背中はとてつもなく大きい。十七歳男子にしては小さめのジャムから見るとまるで壁である。縦にも横にも大きすぎる。


(うわ〜大丈夫か俺……?)


 つい自分で自分を心配してしまうジャムだ。しかし、そんなことばかり言っていられない。


「いいじゃねえか。悪いようにはしねえよ」


 男の野太い声、そして下品な笑い。


「嫌です」


 きつい少女の声が返る。気は強そうだ。


「来いよ」

「あのう……」


 おそるおそる、男の背に呼びかける。


「ああ⁉︎」


 ギロッとふり向いた熊科亜人種の男に一瞬本気でひるむ。熊を相手にするのなんか初めてだ。

 ははっと乾いた笑いがもれた。どうしよう。


「え、えーっと……」

「ん? 猫か。なかなか可愛い顔してんじゃねえか」


 ずいっと男の粗野で下卑た顔がジャムに寄った。それだけならまだしも、彼は空いた方の手でジャムのアゴをくいっと上向かせたのだ。

 その行為と、舐め回すような粘着質な視線に全身が粟立つ。


(ぎゃっ‼︎)


 心の中で悲鳴を上げる。これは一体、これは一体どういうことだ⁉︎


「よし、お前も来い」

「ええっ⁉︎ 俺は男だぞっ」

「わかってる」

「え……?」


 もしかして、両方オッケー?


(うわーうわー、嫌だッ絶対に嫌だあぁぁ‼︎)


 これではなにをしに来たのかわからないではないか‼︎

 ジャムは少女を助けに来たのだ。それなのに逆に襲われてどうする⁉︎

 男の後ろにちらっと見える少女は、ジャムを見てなんとも複雑そうな顔をしている。


「あの、ちょっと、失礼しますっ女の子を困らせちゃダメだろ‼︎」


 さっと素早く一歩飛びのき、右足をふりかぶった。

 勢いに乗せて、ジャムの右足の甲は見事に男の金的にヒット。


「うぬがあああっ‼︎」


 瞬間、あまりの痛みに少女から手を離し男は両手で股間を押さえてうずくまる。護身術として金的蹴りまでしっかりマスターしているジャムの一撃は伊達ではないのだ。


「さぁ、行きましょう」

「ええっ?」


 少女の後ろに控えていたケツァールが少女の手を取りうながす。


「早く‼︎」


 とまどう彼女の背を押し、ジャムはかけ出す。ケツァールが少女の手を引いて、やっと彼女も足を前に出した。走り出す。


「ちょっと、どういうことなの⁉︎」

「だって、あんな態なんかに俺らが敵うわけないじゃんかっ‼︎」


 本気の本音で答えたジャムに、少女は少し呆れたらしい。そういうことね、と冷静な返事が返ってくる。


(うううう、よ、良かったぁ……)


 一時はどうなることかと思ったがなんとか無事である。

 まだ、あごを上向かせられた時のおぞましい感覚が残っている。あの状況を思い出すだけで鳥肌が立つ。


(くっそぉ〜‼︎)


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