第5話 北壁のフェニクス家

 いつも以上に無口なセラフィナの身支度を手伝い、早朝に出発し、馬車を乗り継ぎ、セント・シャドウストーンの地に着いたのは夜と言ってもいい時間帯だった。


 姓はシャドウストーン。その上に「聖なる」を付けて、セント・シャドウストーンとも名乗っていた。


 セラフィナの家族の話をすると、父親ロゼッタ、長兄クルーエル、次兄ジェイド、そして長女セラフィナがいる。セラフィナ以外、全員が魔法使いだ。

 母親はすでに亡くなっている。男家族の中で無魔法。いかにセラフィナの肩身が狭かったか、これだけで推し量れた。


 屋敷の前に馬車をとめ、俯くセラフィナの手を引き歩かせつつ、俺も周囲を観察した。

 さすが由緒正しき伝統あるセラフィナの家は他を寄せ付けぬ威厳と重厚さを放っていた。門構えだけでなく、その内面にもである。孤高の精神が、そのまま建物にも反映されているかのようだった。


 出迎えた使用人は、玄関先でセラフィナを見ると明らかに嫌そうな顔をして、無機質な声でこう告げた。


「あいにく旦那様は留守にされております。お嬢様はここで引き取ります。あなた様もお帰りくださいませ」


 握るセラフィナの手の力が、わずかに強まった瞬間、俺の中で微かな違和感が疼いた。

 これでいいんだろうか。

 セラフィナはなぜ悪女になったんだ? その明確な原因を知らないが、この家だって関係しているのは間違いない。疎外感と孤独が人間の精神に影響を及ぼすことくらい、俺だって知っていた。

 この家はおかしい。俺の家もまともとは言えないが、それでも常識はこの家よりはある。 

 九歳の娘が婚約者の家からやっと帰って来たというのに、出迎えたのはたった一人の使用人で、それさえ彼女を敬っていないのだ。


 いつまでもセラフィナの手を離せずにいる俺を不可解そうに見つめる使用人の奥から、一人の人物が現れたのはその時だった。


「なんだ、帰ったのか役立たず。二度と帰ってくるなと言ったものかと思ったが」


 背丈は俺よりも低く、顔立ちはセラフィナに似通っている少年だ。

 こいつのことは知っていた。

 ジェイド・シャドウストーン。後に南部総督となるクルーエル・シャドウストーンの弟であり、セラフィナの兄で、年は俺と同じだったはずだ。


 ジェイドは俺をちらりと見ると、馬鹿にしたように薄ら笑いを浮かべた。

 

「北壁のフェニクスか。随分と無能の娘をかわいがったようだ。穢れた成り上がり一族は、出来損ないだとしても権威を大事に扱うのか? 卑しいことだ」


 これほどまでに混じりけのない純度百パーセントの悪意を向けてくるとは、こいつはまず間違いなくクソ野郎に違いない。

 「北壁のフェニクス」とは、中央から北に追いやられた俺とショウを軽蔑する際、皇帝一家と区別するために使われる陰口だ。面と向かって言ってくるとはそれだけジェイドが子供であり、捻くれているということだろう。


「おいセラフィナ、突っ立ってないでさっさと来い! またかわいがってやるからな」


 そういって、セラフィナの片腕をつねって家の中へと引っ張った。


「いたっ」セラフィナがそう言った。


 セラフィナはそう言っただけだ。腕を引っ張られて、痛がっただけだ。そうして助けを求めるように、俺に向かって手を伸ばした。それだけだ。


 愕然とした。俺はとんだ間抜けだ。遅ればせながら、メイドが言わんとしていた意味を悟った。セラフィナの体にある痣は、何者かによって付けられたものだということに。


 ふつふつと、怒りが沸いた。

 この女を、誰だと思っているんだ? 俺の家の当主の、妻になる女だ。 

 これはつまり、俺の家に対する侮辱だ。

 俺へ対する侮辱と同義だ。

 ここまで誇りをコケにされて引き下がったら、それこそ間抜けというものだ。

 

 ――バチンッ!


 俺が放った魔法はジェイドが防衛のために放った魔法とぶつかり合い、空中で炸裂し方向を変え、玄関の一部を破壊した。


「馬鹿め! いくら貴様に魔法が使えようとも、シャドウストーンの血に勝てるはずがないだろッ!」


 ジェイドが高笑いをした。それは悪女セラフィナの姿によく似ている。だが二度と、こういう笑い方をする奴に負けるつもりはなかった。


「馬鹿はお前だ、クソ野郎」


 俺は陽動と実動の、二つの魔法を放っていた。相手が浅はかな子供でよかった。派手な陽動に引っかかったジェイドは、隠れたもう一発に気がつかなかったらしい。腹に小さな爆発を食らったジェイドは後方へと吹っ飛び、壁に激突した。

 やはり俺の魔力は、本当に子供だった時よりも増しているようだ。とはいえ、ジェイドを殺す気はなかった。


 のろのろと体を起こしたジェイドは自分が攻撃を受けた事が信じられないかのように絶句して、唖然と目を見開いていた。

 思い知ったかクソガキめ。


 一方で俺は腕に、セラフィナをがっちりと抱きしめていた。小さな体温が震えている。


「セラフィナは連れ帰る」


 俺は、自分に言い聞かせるように言った。


「こいつは兄貴の婚約者で、もうほとんど俺の家の者だ。どうしたって、こっちの自由だろう!」


 それだけ言うと、セラフィナを抱え、乗ってきた馬車に再び乗り込んだ。


「お前ん家の兄貴に攻撃したけど、別にいいよな」


 セラフィナは、小さく頷いた。


 馬車に座ってもセラフィナは、俺の体にしがみついたまま、離れそうもない。それでいいと、俺も放っておいた。頭はひどく、混乱していた。


 以前の記憶だと、セラフィナを送りに行ったのは兄貴であったし、きっちりと返却して、俺たちの家に住むなんてこともなく、兄貴が死ぬまで、表面上、二人はそれなりに付き合いを続けていたと思う。

 だが俺はセラフィナを連れ帰ってしまった。どうなってしまうかは分からない。以前とはまるで、違う展開なのだから。

  

 でもいいだろう、と言い訳のように心の中で呟いた。

 セラフィナを悪女にせず真っ当に育て上げれば、俺の命は守られるし、叔父上も操られず、処刑された多くの奴らが救われるのだから。これは世のため、俺のためだ。


 セラフィナを伴って帰ったとき、兄貴が怒らなかったのは意外だった。苦笑を浮かべてはいたものの、俺が彼女の家の話を伝えると、納得したようだった。セラフィナの痣に気がついていたメイドの援護があったことも功を奏したのか、


「お前がそう思ったなら、それでいいさ」


 とさえ言ったのだ。もしや、見た目がよくなったせいで、セラフィナへの態度が軟化したのかもしれない。あるいは少しのうぬぼれが許されるのならば、兄貴は俺を信頼したのだ。


 まあそれも、俺がシャドウストーンの屋敷の玄関を破壊して、ジェイドにちょっとした怪我をさせたことがばれるまでの短い間だったが。

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