第6話 兄弟

 以前の兄弟関係は冷え切っていて、抱擁もなければ喧嘩もなく、ただ淡々とした空気が流れていただけだったら、兄貴がガチギレするとあれほど恐ろしくなるのだとは、いざその場になってみるまでまるで知らなかった。

 精神的には二十四歳の俺が、十八歳の青年に真面目に説教されているのだ、それも言い返す隙のないほどの完璧な正論で。泣けてくる。 

 数時間に及ぶ説教の末、ため息と共に兄貴は言った。


「先方が自分たちの態度も悪かったと引き下がらなければ、大変な騒ぎになったところだ。彼らに感謝するんだな」


 感謝など、もう一度死んだってしたくない。


「でもあいつらおかしいだろ、魔法が使えないってだけで、セラフィナに虐待まがいのことをしてたんだ」


「私もそれは間違っているとは思うさ。だが手を出しては我々の立場が悪くなる一方だ。もっと広い視点で考えろ」


 ぐうの音も出ないほどの正論だ。ショウは更に言った。


「お前の処分は、二ヶ月の外出禁止だ。旅行も食事も遊びも、友人と会うのも禁止だ。それで手を打つことにした」



 ◇◆◇



 北部の秋は短く、謹慎の間に冬が来そうだった。すっかり外も冷え込み、庭の花もあまり咲かなくなっているにも関わらず、セラフィナは庭の散歩を続けたがった。

 繋ぐ手は冷たく、そろそろ手袋が必要だなと考えていた矢先だ。


「きんしん、つまらない? フィナのせい?」


 何を思ったかセラフィナが俺を見上げてそう言った。吐き出す息が白い蒸気となって昇っていく。


「そうだよ」


 半ばなげやりに答えると、しん、と静寂が訪れた。セラフィナを見ると涙目になっていた。


「アーヴェルは、フィナのこときらいになる?」


 間を置かずぽろぽろと涙が流れ落ちる。


「じょ、冗談だよ。俺の短気のせいだって」


 というかお前の兄貴のせいだけど。


 焦って否定しかがみ込むと、自分の服の袖で、急いで彼女の涙を拭った。別に女が泣くくらいどうってこともなかったはずだが、セラフィナの涙は本当に苦手だった。こうして急に泣き出しては、いつまでも泣き止まないということが時たまあった。


「フィナのこと、きらいにならないで――」


「ならんならん。大丈夫だ、くそ、泣くな」


 我ながらもっとましな台詞が出てこないものかと思うが、困ったことに出てこない。誰かを慰めるなんてセラフィナが生まれて初めてかもしれない。

 

 本当のところを言えば、別につまらなくはなかったし、セラフィナのことも嫌いではなかった。補足すると、今のセラフィナのことはだ。


 謹慎中、つまらないどころかむしろ俺は、セラフィナを真っ当にしようと計画を考えては実行に移していて、充実した日々を送っていた。

 偏食していては碌な大人になれなくなると、料理人と手を組んで、ありとあらゆる魚料理を食卓に出しては様子を見た。多くは俺の胃袋に入ったが、それでも少しずつは食べるようになっていた。

 俯きがちな彼女に、胸を張れお前はフェニクス家に選ばれたんだと何度も言ったし、魔法が使えないくらいで卑屈になるなショウをを見ろあれほど傲慢で偉そうじゃないかとも言った。俺としては魔法が使えないセラフィナのままでいてくれた方が都合がいいのは確かだ。


 努力のかいがあってか、セラフィナが俺の家に来てから一ヶ月ほどで、以前に比べ明るい少女になったと思う。俺の呼び名も“お兄ちゃん”から呼び捨てに変わった。その方がいい。セラフィナの方が義理の姉になるのだから。

 

 俺の袖がセラフィナの涙でびちゃびちゃになった頃、足音が聞こえた。せわしない足音から予想はしていたが、生け垣の奥から現れたのは、やはりというかショウだった。


「何を泣かせているんだ」


 セラフィナはショウを見るとぱっと顔を輝かせ、その体に飛びついた。涙はもう出ていない。もしや嘘泣きか?


「ショウ! 今日はもうずっといるの?」


 兄貴が頷きながらセラフィナの頭を撫でると、彼女は照れたようにはにかんだ。

 こうして並べて見ると婚約者と言うより兄妹だ。自分の妻になるのだから当たり前なのかもしれないが、兄貴は意外にも面倒見がよく、セラフィナも懐くようになっていた。


「いつもどういう風に散歩しているんだ?」


 兄貴の問いにセラフィナは答える。


「アニキノキまで行って、ぐるっと回って帰ってくるの」


「アニキノキ? なんだそれ……。ああ、あれか」


 兄貴が枯れた木を見た後で視線を俺に移したため、慌てて目を反らした。“兄貴の木”とは俺が心の中で勝手に名付けた名称で、兄貴に言ったことはないのだ。

 そんな微妙な空気を感じさえしないセラフィナが、無邪気に言う。

 

「切らないの? あれだけ枯れちゃってる」


 馬鹿! セラフィナめ! 

 兄貴を見るが、怒っている様子はなかった。


「まあ、そのうちな」


「切らなくてもいいだろ、周囲の木が葉を落とせば目立たなくなるだろうし、いつか花が咲くかもしれない」

 

 兄貴の言葉に被せるようにして思わず言った。あれは兄貴が大切にしているもので、兄貴の木は兄貴の木であり、俺たちが簡単にどうのこうの言っていいものではないように思えたのだ。 

 兄貴は俺の言葉に驚いたように目を開いた後、小さく静かに微笑んだ。

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