第4話 セラフィナの滞在

 滞在中、セラフィナは庭が気に入った様子だったので、たびたび伴って外に出ていた。実際のところ、本当に庭が好きだったかは知らないが、窓の外を見てそわそわしていることが多く、声をかけると頷くので、仕方がないから一緒に行った。よもや一人で外に行かせるわけにもいかない。どんな悪事を働くか分からないからだ。

 

 ところで最低なことがあったのはそんな折りだ。

 セラフィナが手を繋いでくるのはいつものことだから慣れたもので、外で知り合いに見られるわけでもないからと俺も何も考えず、繋いだまま屋敷の中に戻った。瞬間だった。


「驚いた。使用人から聞いてはいたが、お前がそれほど面倒見がいいとはな」


「げえ」


 変な声が出た。

 玄関先で兄貴が眉根を寄せ、俺とセラフィナを物珍しそうに眺めていたのだ。


 だっていつもいないから、今日だっていないと思っていたんだ。どうやら書斎に引きこもっていただけだったらしい。


 何一つ悪いことなどしていないにも関わらず、兄貴の婚約者を連れ出したことに微妙な後ろめたさを覚え、加えて気恥ずかしさと気まずさで、俺は急いでセラフィナの手を離し、背中を押して兄貴の方へと歩かせた。

 勢い余って転びかけたセラフィナを兄貴が慌てて受け止め、不快そうに俺を見た。


「危ないだろう。どういうつもりだ?」


「別に」


 時が戻った今でさえ、兄貴と何を話していいのかよく分からない俺は、最低限の受け答えだけをした。兄貴はますます眉間に皺を寄せる。


「アーヴェル、私は時々お前が分からなくなるよ」


 そんなの、俺だって分からねえよ。


 部屋に戻って一人になったとき、兄貴とまともに話すのが、恐ろしいほど久しぶりであったことに気がついた。未来では兄貴は死人だったし、生きていた頃も、顔を合わせて会話など、数えるほどしか経験していなかったのだ。



 

 俺はセラフィナをよく観察していたが、分からないことも多々あった。セラフィナに魔法を使える素振りはなく、一体いつから使えるようになったのかということも疑問の一つではあるが、考えたところで答えは出ない。

 それよりももっと実際的なところに謎はあった。


 あるとき俺が、高いところにある物を取ろうとした時だ。いつだって俺の後ろをついてくるセラフィナもこのとき側にいて、だが両手で頭を覆ってしゃがみこんだのだ。いくら鈍感な奴だって分かる、それは防御の体勢だった。

 俺は確かに屑であるが、女を殴ったことは一度もない。殴るような男に見えたのだろうかとほんの少しだけ傷ついた。


 奇妙なことはまだあった。

 セラフィナの世話を任せている壮年のメイドが、俺に話しかけてきた。


「アーヴェル坊ちゃま、セラフィナ様のことでご相談がございまして」


 ショウではなく俺に伝えに来たのは、セラフィナの世話を頼んだのが俺だったからという単純な理由だろう。


「なんだ、わがままに振り回されているのか」


 所詮あいつは悪女だからな。


「まさか! とても大人しくて可愛らしいお嬢様でいらっしゃいます。その、お伝えするか迷ったのですが……」


 などとまどろっこしい前を置きをした後で、彼女は言った。 


「セラフィナ様の体に、痣がいくつかあるのです」


 意図が分からず聞き返した。


「はあ? 痣くらい誰にだってあるじゃねえか」


 得に子供だったら、あちこちぶつけるものだろう。俺の子供の頃だって、全身痣と切り傷だらけだった。わざわざ呼び止め、声を潜めて伝える話だろうか。

 新人メイドならともかく、ショウが子供の頃からいるであろうベテランメイドが深刻そうに話す内容とも思えなかった。


「本人は転んだんだとおっしゃっているのですが、そうは思えなくて」


「本人が転んだと言ってるなら、そうなんだろ。他に理由があるのかよ?」


 俺が言うと、メイドは何かを言いたそうに口を開きかけ、ゆっくりと首を横に振った。


「いえ……恐れ多いことで。ただ、彼女のことを気に留めていただけたらそれでよいのです」


「まあ、いいけどさ」


 俺ほど彼女を気に留めてる奴もいないが。

 メイドはそれ以上は何も言わずに、引き下がっていった。

 



 ともあれ数日は穏やかに過ぎた。初日に魚を食ってやったせいか、セラフィナは俺に懐き、心を開かない娘をどうやって手懐けたのかと、兄貴に驚かれたほどだ。

 あまりみすぼらしい姿をした人間と一緒にいたくない俺は、毎日せっせと彼女の身支度を手伝った。

 元々外見がいいせいか、他の美少女が泣いて嫉妬しそうなほどセラフィナは可愛らしくなった。身内のひいき目も多少あることは否定しない。誰だって、自分が手を入れたものには愛着が沸くというものだ。


 俺はセラフィナと友人になったか? については、まあ多分そうだ。少なくとも、彼女が退屈しないように、相手にはなっていた。あくまで俺にだけだが、セラフィナは、時折小さく笑みを見せることもあった。


 だから兄貴がこう言って来たのも、納得はできた。


「アーヴェル。お前がセラフィナを家まで送ってやれ」


 驚きはあったことはあった。それがたとえ、気難しい少女が俺に奇妙に懐いたからで、当主として忙しい兄貴の代わりという理由だけであったとしても、兄貴が俺に頼み事をするなんて過去に一度もなかったからだ。

 分かった、と頷くと、頼んだぞ、と兄貴は俺の肩を叩いた。俺の精神年齢は今の兄貴より上だが、それでも頼られたことについて、俺の胸はこそばゆくなった。

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