第3話 お友達になってほしいの
数日の間、セラフィナは俺たちの屋敷に滞在するとのことだった。時が戻る前の世界でもそうだったのだろうと思うが、思い出は一切なかった。かつての俺はセラフィナが興味なかったからだ。
不思議に思ったのは、彼女の家の使用人が一人も外泊に着いてこなかったということだった。
「お前ん家の従者どもはどこに隠れているんだ?」
翌朝、兄貴のいない朝食の席で、感じた疑問をセラフィナ本人にぶつけると、栗色の瞳がぎこちなく向けられた。
「フィナは、いつも、ひとりで全部やってるの」
またしても、聞き取るのがやっとくらいの小さな声だ。
「嘘つけ。普通、お前ん家ほどの名家なら、山ほどの世話係を付けさせるものだろ。特にガキなら、一人で身の回りの世話などできないはずだ」
「だって、フィナは魔法がつかえないんだもん、使用人をもらうケンリなんてないの」
「誰がそんなことを言うんだ」
「みんな」
セラフィナは、消え入りそうな声でそれだけ言うと、小さな口でパンにかじりついた。
よく見れば彼女の手は赤くひび割れていたし、服のリボンは不器用に結ばれている。俺を殺しに来たセラフィナはド派手な金髪をしていたが、まだ染められていない素朴な色の髪はお世辞にも綺麗とは言えず、ボサボサだ。
どうして俺は気がつかなかったんだろう。
もしや、幼いセラフィナは、家で虐げられ、挙げ句の果てに落ち目の家に厄介払いされたとんでもなく可哀想な娘なんじゃないのか。
まあ、以前の俺が気がつかなかったとしても仕方がない。十三歳の頃の俺の興味と言えば、飯と女くらいなものだったから、九歳の少女など存在さえ気にも留めなかった。今の精神では、まあまあ周囲に目を向けられるくらいにはなってはいるが。
セラフィナは、またしても目線を下に置いたままおどおどと言う。
「ショウ……さんは、どこにいるの」
「兄貴は親族連中の見送りだ。多分帰りは遅いと思うぜ」
このところショウは商人達と手を組んで、いくつも商売を始めるようになっていた。皇帝の息子が商売人のまねごとなど、兄貴の母親が知ったら嘆きそうなことだが、セラフィナは、ほっと息を吐いたように思えた。
会ったばかりの冷徹な性格の男と婚約するなんて、確かに嫌なことなのかもしれない。
しかし、セラフィナのなんとみすぼらしいことか。いつだって外見に気を使い、化粧も濃く服装も派手で、根拠不明の自信に満ちあふれていた女と同一人物とはとても思えない。なぜだか俺は、無性に腹が立った。
俺にだって魔法くらいは使える。
なにせ死ぬ前は宮廷魔法使いをしていたのだから。
俺がパチリと指を鳴らすと、セラフィナの服は整えられた。髪も梳かし、適当な髪型に仕上げてやる。
精神力を主な糧としているせいか、魔力自体は、十三歳よりも成長しているようだ。
暗い表情をしていたセラフィナは驚いたように俺を見た。
「従者ごっこだ」
ふん、と鼻を鳴らしながら俺が言い訳のように言うと、察しが悪いのかセラフィナはぽかんと口を開けていた。
花だって、花瓶が悪いと悪く見える。見た目が悪い奴と食事をする気になれなかっただけだ。
「ありがとう」
小さく言うとセラフィナは、カップに入った紅茶で、自分の姿を確認しているようだった。
「後で風呂に入れよ。お前にメイドを付けるから、次からそいつに手伝ってもらえ」
毎日こいつの世話をするのは面倒くさい。プロに任せた方がいいだろう。
セラフィナは、目だけ俺に向けて泣きそうな表情になる。
「お風呂、のぞきに来ない……?」
「の、のぞくわけねえだろ!」
何を言い出すのかと思えばありえないことで、正直びびって思わず叫んだ。
いらぬ誤解を招きたくない。セラフィナに構うのは敵を観察する以上の意味はなく、兄貴は知らんが、俺はガキになど興味がないのだ。
俺の叫びに驚いたのか、びくりと体を震わせたセラフィナは、もう何も言わなかった。
どうやって兄貴が戦場に行くのを阻止しようかと考えながら食後の茶を飲んでいると、セラフィナが窓の外に目をやっていることに気がついた。
つられて目をやると、庭師の手によって整えられた庭がそこにある。
「花、好きか」
過去の俺はセラフィナの相手など微塵も興味がなかったが、未来を知る今は、この娘を知ることを第一の課題と考えたのだ。
セラフィナは小さく頷いた。
「じゃあ、見てみるか?」
セラフィナは、今度は俺を見上げて頷いた。きっと喜ぶだろうと思ったが、その瞳は不安げに揺れていた。
庭へ出ると、あろうことかセラフィナが手を繋いできた。
ぎょっとしたが、嫌な気はしなかった。平素、女が勝手に体に触れてくるのは死ぬほど嫌なのだが、相手が幼すぎる子供であると、そうでもないらしい。
驚くほど小さな手を、どの程度の力で握り返せばいいのか分からず、握られるまま庭を歩き回る。
これが同じ歳の女を案内するのであればいい雰囲気の男女にもなっただろうが、相手は九歳児だ。そうして俺も十三歳だ。午前の健康散歩と言ったところだろうか。
兄貴と違って花の種類など分からない俺は、ほとんど無言でセラフィナを案内したが、それでも彼女は楽しそうにしていた。
ふとセラフィナが足を止めた。視線の先を追うと、枯れた大木がそこにある。
疑問に思うのも無理はない。他の花たちがむせ返りそうなほど整理整頓されているのに比べ、あの木だけは黒く枯れており、異質な空気を放っていた。
「あれは兄貴の木だ」
「アニキノキ」
繰り返すセラフィナに、意味が通じていない気もしたがそれ以上の説明をする気もなかった。
あの木の前にショウはたびたび立って、物思いにふけるように、しばらく動かないということが過去の記憶の中にあった。その正確な理由を、俺は未だに知らない。
◇◆◇
他に相手をする人間がいないせいだろうか、午後になっても、セラフィナは俺の側を離れなかった。
特に用事もないので拒みもしないが、九歳児相手に何を話せばいいのか分からない。セラフィナにしたって、ソファーで本を読む俺の横に、何をするでもなくちょこんと座っているだけだった。俺が本当にガキだったならまだ話も合ったかもしれないが、あいにく立派な大人なのだ。俺に子供はいないし、普段関わることもない。つまるところ子供というのは、俺にとって未知の存在だった。
「やりたいこととか、ないのかよ」
耐えきれず声をかけると、セラフィナは目を丸くした。しかし何も答えず、大きな瞳が俺の言葉の意味を探るように、じっと見返してくるだけだ。
「なんでもいいぜ。食いたいもんとか、欲しいもんとかねえのかよ」
長い沈黙の後で、セラフィナは、やはり消え入りそうな声で言った。
「……らない?」
「あ?」と聞き返すと、先ほどよりも、わずかに声を大きくする。
「きらいにならない?」
「なにが」
「フィナが、欲しいものを言っても、お兄ちゃんは、きらいにならない?」
少なくないショックを受けた。今までセラフィナは、欲しいものを言ったら嫌われる場所で生活をしていたのだろうか。あの、欲しいものなら強引にでも手に入れる悪女セラフィナの幼少期が、これほどまでに悲惨であったと、誰が知っていただろうか。
欲しいものを言ったくらいで嫌われていては、人類は誰しも孤独になってしまう。
「……なんねえよ」
やっとの思いでそう言うと、あのね、と顔を赤らめ、内緒話をするように彼女は手を、俺の耳元に近づけて囁くように言った。
“お友達になってほしいの”
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