02.【未定】


「た~っち! えへへ~!みゆちゃんがつぎオニだよ~!」

「あ~!やったなぁ~! すぐにしょうくんもつかまえちゃうんだから~!!」


 バタバタガヤガヤと、中規模のグラウンドを子供たちが楽しげな声を上げて駆け回っている。


 とあるグループは鬼ごっこをしているのか手を伸ばしながら誰かが誰かを追いかけていて、そのまた別のグループは隅に設置された鉄棒で逆上がりの練習を。

 更に他には砂場で砂遊びや謎の取っ組み合いをしている子たちと、みんな思い思いの時間を過ごしていた。


 ここは子供たちが集まる幼稚園。

 まだ小学生にも満たない子供たちが元気に過ごしているのを見ながら、私は教室とグラウンドをつなぐ縁側で足をプラプラしながらその姿を眺めていた。

 正面に手を伸ばせば自身の脳内よりも遥かに短く小さい手が視界に収まる。足も短く、視線も低い。どう考えてもその体は園児そのもの。

 もしかしたら夢かも!なんて思いもして頬をつねったりもしてみたけどやっぱり意味なんてものはなく痛みが頬に走るだけでわかりやすく肩を落とす。


 むしろ夢だとしたら朝から昼過ぎの今までしっかり意識があるって寝過ぎじゃないの。早く起きなさいって。


 でも頬をつねって確信した。これは間違いなく現実だってことを。

 確信した………けど、それだと1つの疑問に衝突することになる。


 そうだとしたら、これまで私が過ごしてきた24年間はなんだったの?

 あっちこそが夢?でもそうだとしたら鮮明すぎるしどれだけ長い夢を見てきたというの?


 それに23歳だった時の西暦は2023年だったのは間違いない。

 でも今は2006年。未来に行ってきたなんてどう考えても夢というスケールを超えている。

 それに幼稚園に来る前ニュースでやっていた出来事……先月冥王星が太陽系から外れたというニュース。あれは23歳だった私の記憶とも合致する。その記憶が夢だとして、幼稚園の私が知った情報から補完されたと言われたら否定出来ないけど。


 仮に23歳の私が真実だとして……じゃあタイムスリップでもしたというの?未来の私が過去に戻ってきたとでも?

 いや、それは確実に無いと言えるわ。だって、そうだとしたら――――


「あら、みおくん。今日は随分ノンビリさんね。昨日まで自由時間のたび元気に走り回ってたのに」

「いやぁ……あはは…………」


 その声に私はパッと現実に意識を戻して適当に愛想を振りまいてみせる。

 ここは幼稚園。たくさんの園児が遊んでいるがその中にはその子らを見守る大人ももちろん存在する。

 その先生のうち一人が私がボーっとしていることに気づいて話しかけてきてくれた。


「どうしたの?お腹痛くなったりした?」

「えっと……今日はなんだかボーっとしていたくて」

「そう?なんとも無いんだったらいいけど、何かあったらすぐ言ってね。 男の子たるものいつも元気でなくっちゃ!」


 「もちろん、女の子もね」と付け足しながら別の子たちの元へ去っていく先生が室内に入っていくのを確認して、私は人知れずため息を付いた。

 そう、これこそがタイムスリップではないと確実に言える理由、私が男の子だということ。

 朝トイレに行って気づいていたけど、こうして先生にも言われると見間違いや勘違いではなく男の子で間違いないのだと実感してしまう。


 精神と肉体の乖離とかそういうお話ではない。昨日まで私は間違いなく女だったのだ。

 肉体的にも精神的にも間違いなく女。けれど今日目が覚めたら身体は幼くなってるわ、なにより男の子になってるわで今朝は記憶が朧気になるほど混乱した。

 でもこうして言われることで納得する。今の私は間違いなく男の子なのだと。


 それに、さっき先生に促されたけど私が遊び回っている子たちの中に入るとなると、だいぶ抵抗が感じられる。

 24歳だった昨日までの記憶……?記憶でいいや。が残っているからこそ湧き上がる抵抗感。


 昨日までの私は知らないが、今の私がこの状況を見るとおままごとをする子たちやごっこ遊びに興じる子たちなど、見ていて明らかに幼いと感じるのよ。

 いや、幼稚園児なのだからそれはもちろん当然のことだってのも理解してる。幼いというのは筋違いとも。でもあの子達と同じように私が遊べるかと言われるとちょっと……ねぇ。


 そんな入りたくても入れない、むしろ入る気がない中遊んでいる子達を見ていると、一人、また一人と徐々に生徒たちが減っていっていることに気づく。

 その理由は簡単。今は放課後だからだ。

 一日の終わり、園児たちが帰るまでの僅かな自由時間。子供たちによって大小様々ながら誰も彼も保護者であるお父さんお母さんが姿を現すと、喜びを露わにして駆け寄っていく。

 大きく手を振って先生と別れを告げる元気な姿。私も昔はあんな感じだったのかな…………。


「みおく~ん! みおく~ん!………あれ?」

「?」


 そんな遊びの輪から抜け出して親御さんとともに帰宅していく園児を眺めていると、ふと別の方向から私を呼ぶ声が聞こえてきた。

 さっき私に話しかけてきた先生とはまた違う先生。その先生はグラウンドにいる園児の一人に「みおくん知らない?」と呼びかけ、指差された方向から私の姿を発見するとホッとしたように駆け寄ってくる。


「あぁよかった。見つけた。 みおくん、お母さんのお迎えが来てるよ」


 少しづつ、一人づつ帰っていく園児たち。それはもちろん私にも当てはまることでその言葉から順番が回ってきたんだなとすぐに理解できた。

 ここから迎えに来てくれた姿は確認できないが、きっと玄関で待ってくれていることだろう。


「さ、それじゃ行こっか。荷物はもうお母さんに渡してあるからね」

「ありがとうございます。すぐに向かいますね」

「………………」


 順番が来たのなら私も早急に向かわなければなるまい。

 あの会社では帰宅時間はルーズなくせして会議や呼び出し、始業の時間には非常にうるさかったから急いで準備するにももう慣れてしまった。

 縁側から立ち上がって先導する先生についていこうとすると、その目が私を見つめたまま大きく見開いていることに気が付いた。


「………? なにか?」

「い、いや!なんでもないよ!うん! たぶんお硬い映画を家で見たんだね!」

「?」


 しばらくボーっと見つめていた先生だったが私の呼びかけを機に弾かれたように早足で玄関へと向かっていった。

 それを私も短い足ながら小走りでついていく。


須田すださんおまたせしました~! みおくんをお連れしましたよ~!」


 縁側を奥に進んで幾つかの角を曲がった先。

 園の端に配置されている玄関に、目的となる人物は立っていた。

 足元に荷物を置き、玄関に掲示されている園児たちの制作物を眺めていた女性は先生の呼びかけに振り返って私を確認すると同時に笑みを浮かべる。


「澪!待たせたね! 今日も楽しかった?」

「――――――」


 彼女は私のお母さん。

 写真で見ていた姿とそんなに変わらない私の大好きな人。


 染めた茶色の短い髪をたなびかせ、仕事帰りなのか私の荷物の他にリュックを背負った優しい笑みを浮かべる女性。

 ただでさえ大変だろうにそれを一切顔や口に出すことはなく、一心に私を愛してくれることがわかる思い出そのまま・・・・・・・の人。


 朝は色々混乱して言われるがままに行動し、何一つとして現状の実感が無かった。

 けれど今再びこうして母と対面し、会いたくても一生会えないと諦めていた姿が目の前に生きて立っている現実を目の当たりして、私はそこに立ち尽くして動けなくなってしまった。


「みおくんのお母さん、報告によるとみおくんは今日随分と大人しかったみたいです。風邪引いちゃったのかもしれません。朝何か兆候とかありましたか?」

「いえ……朝は主人も私もバタバタしていてそこまでは……。澪、頭痛いとか暑いとか、そんなもの感じな………澪!?どうしたの!?」

「みおくん!?」

「…………あれ?」


 先生とお母さんが話しているさなか、私に問いかけるように視線をこちらに向けると、お母さんは何かに驚いて慌てて私のもとへと駆け寄ってきた。

 そんなに慌ててどうしたの?………そう思ったが、即座に目の前の景色が透明な何かに遮られて見えづらくなったことで、自らに起こっている身体の変調についてようやく気が付く。


 ――――涙だ。

 私は知らず知らずのうちに涙を流していた。


 どんどんと目から溢れ顔から滴り落ちていく涙。

 それに気づいてせき止めようとするも涙は止まってはくれない。私の意思とは無関係に出てきて拭うために引っ張った服を濡らしてしまう。


「澪!何かあったの!?それともどこか痛いの!?」

「ううん……何も……何もなかったよ……」

「でもそんなに泣いて――」

「だいじょうぶ……だいじょうぶだから……」


 原因もわからずどうすればいいかわからないお母さんに私は大丈夫と繰り返すも、お母さんは困惑の表情を浮かべたまま。

 当然だ。怪我もなにもないのに前兆なく私が勝手に涙を流したのだから。腕やら脚やらいろいろなところを弄って怪我がないと判断したお母さんは、そのままギュッと私のことを抱きしめてくる。


「大丈夫よ澪。ママがいるから。ちゃんと側にいるから」

「お母さん…………」

「えぇ。何も心配しなくていいから。ちゃんとママが守ってあげるからね」



 ――――あたたかい。



 人の温もりを感じなくなってどれくらい経ったのだろう。

 社会人になってから?いや、もっと前……学生時代の、10年以上前になってしまう。

 きっとこの身体は昨日もその前の日ももっともっと前の日も、お母さんと話し抱きしめてくれたと思う。

 でも私の記憶は……私の心はそれ以上に遡り、十数年ぶりに触れ合えることの喜びを感じていた。



 もはや記憶の彼方となってしまったお母さんの声、温もり、心を受け取り、ようやく私は実感する。


 あぁ、私は過去に戻ってきたんだと。

 あの時白い空間で映し出された映像に飛び込んだのは、その時に戻りたいと心から強く願ったからかもしれない。

 原理や理由、特に何故男の子になってしまったかなどわからない部分は多いが、今こうしてお母さんと再び触れ合えたことでそれはもうどうでもいいとさえ思うようになってきてしまった。


「……お母さん、何もなかったから平気だよ」

「ホント? お友達に嫌なこととかされてない?」

「うん。ちょっと目にゴミが入っただけ。もう取れた!」

「そう? ならいいけど……」


 お母さんを心配させまいとにかっと笑って見せると、戸惑いつつもホッとした表情をしてくれた。


「さ、お母さん!早く帰ろ! 今日の夕飯はなに!?」

「今日は……って、ちょっと待ちなさい! 先生、本日もありがとうございました」

「いえいえ。また何かあれば力になりますので仰ってください。 みおくんも、バイバイ」

「バイバイ!先生!」


 私が早く帰ろうと急かすもお母さんは礼儀正しく挨拶し、私も元気いっぱい手を振ってアピールしてみせる。


 そうして私とお母さんはともに手を繋いで家までの道を歩いて行く。

 "なんで"とか、"どうして"とか色々と考えるべきことは沢山あるが今はもう構わない。


「今日の夕飯だったわね。澪は何が食べたい?」

「えっとねぇ~……ハンバーグ!」

「またぁ?昨日も食べたでしょ。他にはなにかない?」

「それじゃあお母さんが作った卵焼き!」

「あら、そんなのでいいの? だったらママたっくさん卵焼いちゃう!」

「やったぁ!!」


 他愛もない話をしながら私たちは歩いて行く。

 私は久方ぶりに母と再会することができた喜びに心委ね、その温もりを一身に享受するのであった。

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ブラック勤めの私。会社で眠ったら過去に戻っていた上、男になってしまいましたが強く生きていきます。 春野 安芸 @haruno_aki

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