第16話 乾いた体

 カチカチカチ――。



 時計の音がやけにうるさく感じる。


 

 カチカチカチ――。



 時間の流れが、酷く長く感じる。



 自分以外、誰も居ないこの家で。一人きり。



 どのくらい横になっていたのか、どのくらい食事を摂っていないのか、どのくらいの日が経ったのか。


 

 もしかしたら、ほんの数時間かもしれないし、もしかしたら、もう何日も過ぎているのかもしれない。



 ピンポーン――。



 玄関からチャイムの音が聞こえる。



 ピンポーン――。



 誰だろうか?出なければ。



 でも、体が動かない。手足を動かそうとしても、沈み込んでいるかのように体は布団に張り付いたままだ。



 「……樹!」



 聞きなれた声に乾いた唇を微かに動かす。



 「夏樹ー!」



 「……とう、や?」



 喉はカラカラに干からびて、声を出そうとしても掠れてまともに出て来ない。



 「夏樹ー!居るー?」



 冬夜は必死に声を張り上げて、こちらからの反応を待っているようだった。



 ちら、と目だけを横に動かす。部屋の戸は開けっ放しだった。



 「と、う……」



 冬夜の耳にも届くように、声を張り上げようとしたところで――。



 「ゴホッ、ゴホ!」



 ヒュッと吸い込んだ空気が変な所へ入ったのか、勢いよくむせこんでしまった。



 「夏樹!入るよー!」



 トントン、と階段を登ってくる足音が近づいてくる。



 「夏樹……」



 開けっ放しの部屋の戸に、律儀にノックをした冬夜を布団から見上げる。



 何日か振りに顔を合わせた冬夜は、心配そうに顔を歪めていた。



 「よう」と自分では手を挙げて返事をしたつもりだったが、腕は思いと反して布団に沈んだままだった。



 冬夜は枕元に膝をつくと、ガサガサとコンビニ袋からスポーツドリンクや軽食を取り出し始めた。


 

 「せめて、水分は摂ってよ……」



 冬夜は、俺の背に手を回し布団から起き上がらせようとする。



 冬夜の肩を借りて、何とか上半身を起き上がらせることが出来た。



 「ご、めん」



 たどたどしく声を発する。ただ、それだけなのに酷く、疲れた。



 冬夜がペットボトルの蓋を開けてから差し出す。



 「飲めそう?」



 冬夜に体を支えてもらいながら、手をゆるゆるとペットボトルへと伸ばす。



 ゆっくりとゆっくりと、少しだけ口に飲み物を含む。



 「ゆっくりね、少しずつ飲みなよ」



 ほんの暫くの間、口の中で冷たい水分の感覚を感じ取り、飲み込む。



 一滴ずつを、噛み締めて飲み込んでいくように。



 水分急激にが体に染み込んでいく。



 干からびていた喉が、鼻奥が、胃が、体中の全てで水分を受け止める。



 ふと、急に鼻奥がツン、と痛くなり目じりから涙が滲みだしてきた。

 

 

 せっかく水分を吸収したのに。これでは、また体が乾いてしまうんじゃないか。



 「なぁ……」



 「ん?」



 「宮田、は……」



 「あの後、病院に運ばれたよ。何とか、大丈夫」



 俺は、宮田に馬乗りになって殴りかかった後、担任によって指導室に連れて行かれた。



 それから何を話したのかは、よく覚えていない。謹慎処分になって、自宅待機になっているということだけは分かっている。



 「そう、か……」



 あの瞬間の自分は、あれが本当の自分だったのか。内に秘めていた暴力性?



 俺は本気で宮田が死んでも良いと思っていたのか。



 「はっ……」



 ふいに、乾いた笑いが零れた。



 冬夜はそんな俺を黙って見つめていた。



 「夏樹、他に必要な物はある?買ってこようか?」



 話題を変えようとしてくれたのか、明るい声で冬夜が言う。



 「いや……だい、じょうぶ。冬夜、ありがとう」



 俺がそう言うと冬夜は、一瞬だけ人形のように表情を無くしたように見えた。

 


 「そっか、わかった。なにかあったら、すぐに呼んでくれて構わないから」



 無表情なのはいつものことだが、さっき見た表情は……どこか、違和感を覚えた。



 「と……」



 冬夜に手を伸ばそうとして、まだ体に力が入り切っていないことを思い出す。



 「今はゆっくり休んで。お父さんのお見舞いには僕が行くから」



 「じゃあ」



 冬夜は立ち上がり、来た時と同じようにトントン、と階段を降りていった。



 その背をじっと見つめたまま、俺は何も言葉を発せず冬夜を布団の上から見送った。



 冬夜が買ってきてくれた軽食に目を見やる。



 だが、今はまだ食事を摂る気分にはなれなかった。



 再び、体を倒し布団に横になる。



 天井を見つめ、糸を手繰るように記憶を辿っていく。



 『愛してるよ――』

 

 

 ぎゅっと、目を瞑り現実から逃避するかのように、眠りの中へ落ちようと俺は必死にもがいていた。



 

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海の体温、君の温度 結紀ユウリ @on_yuuki00

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