第17話 前世の記憶

 日本にいた俺の生業は、父が社長を努める探偵事務所の一調査員だった。

 警察庁OBの曽祖父が始めた稼業で、主な取引先は公安調査庁だった。

 浮気調査などの類をする探偵ではない。

 官僚や政治家や企業の決して知られたくない情報を秘密裏に調査するのがメインのお仕事。

 顧客の性質上、秘密裏に活動することが暗黙の了解の仕事。

 なので俺は髪型も服装も所作も目立たないことを訓練し身につけていた。

 人は自分が望まないものは聞かないし見ようともしない。

 一見で陰キャ寄りの姿をした人物を人は目に入れても記憶に留めようとはしない。

 あまりに陽気だったり陰気だったりと振れ過ぎるのは最悪だ。必ず多くの人の記憶に定着してしまう。振れ過ぎたものを望む者は多いのだ。

 決してそれを記憶した者たちが、そういう振れ過ぎた人物に憧れているとか嫌悪しているというのではない。もちろん一定数そういう人もいるが…。

 そういう振れ過ぎた人物というのは、時代時代の社会の特徴を顕著に表している。

 そのため、その時代の雰囲気を掴み、時代の波に乗り遅れないように、参考情報として記憶させる。

 熟成した大衆社会文化の日本では、良い悪いは別として、特にその傾向が強い。

 で当然、おれの基本的な容姿は普通よりやや陰キャ寄りが基本だった。


 職業柄、日本人や諸外国人の専門家、いわゆる「その道のプロ」と言われる人々との接触も多かった。

 こっちは隠し事探るプロ、あっちは隠し事を守るプロ。

 俺の生業は、表で陰キャ寄りのビジネスマン、裏でプロ同士の格闘を勝ち抜くことで成り立っていた。格闘といっても肉体的な格闘がメインじゃない。ハッキングや尾行追跡などが主だ。

 

 思い出したくないが忘れられない、俺には家族がいた。

 愛する妻と二歳になる女の子がいた。

 女の子は妻に似ており、将来間違いなく別嬪さんになると信じていた。

 いつものようにその日も妻は俺に愛妻弁当を手渡すと、大好きな笑顔で子供を玄関先で抱っこし俺の出勤を手を振り見送ってくれた。

 この日常になりつつあった朝の風景が、ある日決して忘れられない二人の生きていた最後の姿となった…。


 その日俺は勤務を終え急ぎ帰宅した。

 仕事柄帰宅時間の安定しない俺は、妻にメールを入れてから帰るのが習慣となっていた。

 扉を開け「ただいまー」と呼びかけるが、いつもの返事が返ってこない。  

 買い物でも行ってるのかなっと靴を脱ぎながら、そこで始めて違和感を感じた。

 いつが整然と置かれている妻のお気に入りの靴が乱れている。胸騒ぎを覚え急ぎ靴を脱ぎ妻の名を呼びながら部屋に入る。

 そこには全裸の妻と二歳になったばかりの愛娘が横たわっていた。

 職業的経験から一目で目の前に横たわる二人には、すでにほんのわずかな命の灯すら宿っていないことを頭の片隅が伝えてきたが、俺の心と身体はその事実認識を拒否した。

 急速に膝の力をなくした俺は、ストンっとその場に崩れ落ちた。

 なんとか四つん這いになり妻と子供を抱き寄せ、やり場のない感情を慟哭に代えた。

 その後の記憶は断片的だ。

 思い出せるのは、驚いた隣人の顔、俺を妻と娘から引き離そうとする父の顔、そして最愛のかけがえのない二人のうつろな顔…。

 通夜も葬式のことすらよく覚えていない。

 思い出せるのは、失った二人との確かに存在した時間だけ。


 俺はいつの間にか職場に寝泊まりし、家に帰ることを拒否した。

 俺から何より大切だった二人を奪っていった犯人を捕まえることしか考えられなくなっていた。

 ほどなく妻の体内に残った精子のDNAから、一人の男がリストアップされ逮捕された。

 強姦の犯罪歴がある男だった。

  

 犯罪を犯しても改心する可能性があるはず。

 だったら例えどんな悪逆非道を犯そうとも悪人を改心させるための機会を与えるべきだ。

 そんな戯言を宣う狂人が日本にも多くいた。

 無法にも許されてしまった犯罪者のその多くは再犯を繰り返す。

 武器も武力も持たない慎ましく暮らす人々へ何ら躊躇いもなく凶刃を振り下ろす。

 実は俺もそんな戯言を信じる狂人の一人だった。

 自分よりも何よりも大切なものを失ったあの日までは…。


 そんな狂人達は犯人を無罪にしようと悪戦苦闘していた。

 俺には犯人同様、狂人たちも許しがたい存在に映った。

 一方で犯人が無罪になり娑婆に出てくるのも望んだ。娑婆に出てくればこの手で仇を討つことができるからだ。

 結局犯人は無期懲役となり、復讐の機会は10年以上待つ羽目になった。

 その機会を夢見ることが俺の生きる理由となった。


 仕事に復帰した俺は、以前より精力的に仕事をこなしていった。

 悪人をのさばらせておくことを許すことができなかった。

 法を犯した金儲けにしろなんにしろ、善良に生きる人々の血を啜り舌を舐め生きる悪党どもの悪行を暴くことに全精力を注入した。


 そしてある時、やり過ぎてしまった。

 俺は目立ってしまった。

 基本を犯し、焦り急いてしまった。


 そしてあっさりと捕まり海に沈められた。


 これが俺の生涯だった。


 結局妻と娘の仇も討てず、海の藻屑になってしまった、やり場のない怨念を抱えたまま、拷問され殺されてしまった。

 普通の人生より、ちょっぴり塩っぱかったかもしれない。

 塩辛いのも仕方ない。最後も塩水に沈められてしまったんだしな…。


 そんな俺が異世界で六歳児としていまを生きている。

 この六歳児は、大人顔負けの驚異的な身体能力と魔法力を宿している。

 この子が六歳までどうやって生きてきたのか俺は知らない。

 誰か知っている人をいつか探さなくてはと思ってたら、何か知っていそうな大人たちが突然現れた。

 その大人たちは、俺の知る悪党だった。

 しかもその大人たちは、、コシローを「対象」と呼び、コシローを拘束する任務を帯びたプロ集団だった。

 本物のプロだった。

 今後もこの大人たちはコシローを拘束するまで襲いかかってくるだろう。

 目の前の大人たちをやっつけても、次々と代わりの人材を補充してくるだろう。

 例えコシローが逃げ去っても、必ずどこまでも追ってくるだろう。

 それが今日現れた大人たちの仕事なのだから、生き残る術なのだから。


 あのさぁ、神様…。

 あんたはいったい俺に何を期待してコシローに送り込んだんだい。

 ハードモード過ぎだろ!

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