第15話 勧誘

 まだ暑さの残る夜道を足音を忍ばせつつ女が一人で歩いている。

 トボトボでもなくヒタヒタでもなく、ひっそりと静かに歩みを進めている。

 幾人かとすれ違うが誰も見向きもしない。

 どこにでもある地味な服に地味な髪型。唯一特徴的なのは大きめの胸。

 

 女の名前はビラ。

 四人家族の長女として貧しい家に生まれた。

 父親は魔法器具開発を生業とした個人経営者だったが、その生活は借金で成り立っていた。

 ビラの容姿は普通だったが、学業の成績が抜群に良かった。

 特待生として最終教育を優秀な成績で終え、国家官僚組織の一員となった。

 ビラの栄達を親族一同は誉めそやした。ビラは謙遜しながらも鼻が高かった。


 ある日食堂でビラがいつものように一人で昼食をとっていると、向かいの席に好々爺然とした老人が座り食事を始めた。

 ビラは混んだ空間で食事をするのが苦手だった。人混みが得意ではなかった。なので仕事の許す範囲で食堂が立て込む時間帯を避け昼食をとることにしていた。今も閉店間際の食堂はガラガラに空いている。

 なぜそこに座るのかとビラが嫌悪感の籠った視線を老人に送る。

 すると、老人は目線を食器に並んだ惣菜から目を話さずにしゃべりだした。

 ビラが耳を澄ましようやく聞き取れる音量の声だったが、目の前の好々爺が独り言のように語る内容は、自分の家族に関する詳細な情報だと気づき驚愕した。

 父親の経歴から銀行別の借金の内訳、母親の日常からへそくりの場所や金額、弟の学業成績から彼女との会話内容、そしてビラが今取り組んでいる仕事内容から自分しか知りようがないプライベートなことまで。

 すっかり箸を止めあんぐりと口を開け老人を見つめるビラへ老人が食事を進めるよう指示する。

 空いた食堂で一人固まっていたビラは、慌てて周囲を見渡し食事を再開するが、もはや何も口に入りそうにない。

 この男はいったい何者なのか? どうしてこんなにも我が家のことを知っているのか? なぜ私にこんな話を聞かせるのか? 何を目的として接触してきたのか?

 ビラの頭は?マークでいっぱいだ。

 食器を片付け始めた老人は最後に一言ビラへ告げると悠然と立ち去っていった。


 「私に興味があるなら、明日のディナーをここでご一緒しましょう」


 呆然と老人を見送り、テーブルに置かれたレストランのショップカードを手に取る。

 そこは会員制の高級シーフードレストラン。貯金が趣味のビラは、もちろん行ったことはない。

 ビラはその日帰宅すると家中をくまなく調べつくしたが、監視器具のようなものを見つけられなかった。

 レストランへ行くかどうかあれからずっと考えてみたが、行かないという選択をする勇気がなかった。

 あれだけの諜報をやってのける組織に、抗がう術を持たない非力な自分。

 翌日正装に身を包んだビラはレストランの受付へ声をかけた。


 テーブルに並べられたのはシーフードではなかった。

 一度も見たことのない金額の高く積まれた札束だった。


 後にビラはこの時のことを思い出し、幾度も後悔の原因を探る旅に出ていく。

 あの時まで一ミリも疑うことのなかった自分の自分なりに誇らしかった人生。

 不幸にも貧困家庭に生まれ落ちたが、神は私に回転が早く記憶力の良い頭脳を与えてくえた。

 この社会は私に挽回のチャンスを与えてくれ、その機会を決して逃さず必死でしがみついた。 

 自分の足で一歩一歩人生を歩んでいる安心感があった。


 あの日までは…。


 自分に残された歩みなど存在しない、絶望タイムのアラームが死ぬまで鳴り止むことはない…。

 私の生は、もはや彼らの奴隷としてしか使い道がない。

 それでもこんな生を全うしないといけないのだろうか…。

 今の私は寝ることだけを楽しみに生きている。

 寝てる時間だけが私に残された唯一の自由時間なのだから。


 ビラはニルダの待つ隠れ家へと足を運ぶ。

 ビラにとって、今回の任務は楽なレベルのものだった。

 ただ現地アセットと上司であるニルダの情報交換をアシストするだけのもの。

 同僚のミスで午後は慌ただしかったが、それもイエローカードを提示されるだけのことだろう。

 すでに数えることを止めたイエローカードを今さら掲げられても私には何の意味もない。

 できればいっそのことレッドカードを突きつけられてみたい衝動にかられる事の方が最近は増えてきた。


 喧噪の大きくなった飲み屋街の明りが照らす光を避けながらビラは進む。

 その先を曲がれば臨時に借りている隠れ家だ。


 私の心はもう壊れかけている。

 早くベットに入って眠りにつきたい。


 物思いに耽るビラは、まったく気づいていなかった。

 自分の頭上に浮かび放電を始めた小さな雲の存在に。




 俺は地味な女を追跡しながらも電磁気探知を試していた。

 電磁気探知は電磁気を地面に流すために地面に手を着ける必要がある。

 これはこの探知技術の欠点だ。

 探知が求められる状況は、地面に手を着けてられないケースの方が多いだろう。

 例えば今のように探し物を追いかけている時や、逆に何かに追いかけられている時がそうだろう。緊迫した状況下では探知する時間も限られているだろう。


 そこで今のように歩いて移動しながら電磁気探知ができないか試してみることにした。

 歩いているということはどちらかの地面に足を着けているということ。それならば手の代わりに両足から電磁気を地面に送り込んでやればいいのだ。


 新たに雷雲を浮かべ電気を起こし溢れた電気を両足から地面に送る。


 うーん、うまくいかない。

 歩いてるときって片足は交互に地面について着いているけど、着いた足の逆足は離れてしまう。この離れた足から漏電した電気が干渉し安定した電力を送り出せない。さらにこの影響で雷雲内の電力も一定に保てなくなってしまう。

 かといって両足を地面に着けたまま歩くのは難しい。

 一応試してみた。

 歩けないことはないが歩く速度がかなり遅くなってしまう。


 そこで接地した方の足にだけ電気を流し、それを左右交互の足へ切り替えることにする。

 結果は上々だ。

 ただ慣れが必要だ。

 電気を左右の足に切り替えることに意識が行き過ぎ、油断すると左右の手足を同時に出してたりしてしまう。

 普通の歩き方を忘れてしまいそうだ。


 いち、に、いち、に、いち、に、いち、に……


 二人三脚のように掛け声をかけるとスムースだ。もちろん掛け声の声は頭の中だけで唱えている。


 いち、に、いち、に、さん、し、ご、ろく、しち、はち、いち、に、さん、し


 八まで数えた方が歩きやすい。

 運動部の準備運動で使う掛け声に二人三脚から切り替える。


 あれこれ移動式電磁気探知の模索をしてたら、追跡する女から少しずつ遅れてしまっている。

 歩きなれてきたので、送電する範囲を地味な女のいる方向に限定してみる。


 できた。

 そして地味女を探知でも捕捉した。

 40mほど前を移動している。

 目視より鮮明だ。暗い夜間では電磁気探知の方が有効だ。

 よし少し歩くペースを上げよう。

 少し早めの準備運動だ。


 早めの掛け声に運ぶ足と送電切り替えを同調させ女との距離を縮めていく。

 女を捕捉しながらの歩行は何気に難しいが、慣れてしまえばどうってことないだろう。


1,2,3,4,5,6,7,8、1、2,3,4,5,6,7,8……


 イメージはひらがなより数字の方が早いペースに合っているようだ。


 おっと、地味女が繁華街に入ろうとしている。

 いよいよ怪しい雰囲気になってきた。

 こんな人の多い繁華街にわざわざ足を進めるってことは、どうしてもここを通らないいけないってことだろう。

 多い人ごみに紛れるように、あえて自分たちを目立たなくさせてるんだろうか。

 念のため女をいつでも無力化できるよう地味女の頭上へ雷雲を浮かせておく。

 しばらく歩くと繁華街の中心を外れた暗い路地へと女が入っていった。

 俺は路地に入らず表通りの軒下の暗がりに留まり、引き続き探知だけで地味女を尾行する。

 地味女は路地から20mばかり入ったところで立ち止まった。


 さあ第二ラウンドのゴングが鳴ったぞ。

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