第4話 救世主

 小川沿いを歩いてくる少年に初めに気づいたのは妻のプティだった。


 「ねぇタルバ、あそこに少年がいるよ」


 小川に背を向けていたタルバは妻のプティが目線で示す方へ振り返り少年を確認する。


 「おや、本当だね。まだ幼い子供みたいだね。こんな所を一人で歩いてどこに行くんだろうね」


 タルバとプティ夫妻は、その珍しい光景にしばし注目する。


 すると少年はこちらへ顔を向け一度立ち止まりお辞儀した。


 タルバとプティも座ったまま頭を下げ少年を再度見つめる。


 少年はどこか緊張した面持ちでこちらへ歩いてくる。


 食べかけの弁当を横に置き、こちらへやってくる少年へタルバが話しかける。


 「ねぇ君、どこから来たんだい?」



 

 おーっ、言葉がわかるぞ!

 俺は心内で歓喜した。

 第一関門突破!!


 「丘の上から歩いてきたんです」


 俺は歩いてきた丘を指さし返答した。


 ご夫婦だろうか?

 無事俺の言葉も通じてるようだ。

 何気に普通に話したのはこれが初めてだったので、甲高い自分の声音に改めて違和感を感じるが…。

 二人とも20才前後にみえる。2人とも灰色の作業着を着て麦わら帽子を被り首にタオルのようなものを巻いている。

 肌は白く髪は赤い。


 「丘の上って…、今君が下りてきてた方の? それってあの山のほうかい?」


 大人の女性の方が少し目を見開きなにやら心配顔で聞いてきた。


 「ええ、たぶんその仰っているほうになるんだと思いますけど…」

 なにやら二人とも顔を見合わせて困惑してるみたいだ。


 これは早くもテンパってしまったのか…と窮していると、男性の方が話題を変えてくれた。


 「まぁ、とにかく、よく来たね。少し休んでいきなよ」


 と男性の横の地面をポンポンと叩く。


 ここに座れってことだよな。


 「ありがとうございます。それではお邪魔します」


 腰掛けながら当たり障りのない話を振ることにした。

 いきなり記憶障害とかの告白をしたら、また困惑されてしまうだろうしね。


 「この白い花を咲かせている植物は蕎麦ですか?」


 女性が淹れてくれた飲み物の入ったカップを男性が仲介し俺へ笑顔とともに手渡してくれる。


 「どうぞ。家で採れたお茶だよ。そうこれはソマって言うんだ。君の地方ではソバって言うのかな?」


 冷えたお茶を口に運びながら、


 「はい、私がいたところではソバって呼ばれてました」


 お茶を口に含むと、日本茶より香りが強く、紅茶に近い色と味わいだった。

 とても美味しい。


 「そうか、君の地方でもソマを食べる習慣があるんだね。ここアルカナは土地が痩せてるから作れる作物が限られているんだ。ソマは瘦せた土地でも元気に育ってくれるから、アルカナでは貴重な作物なのさ。っと、そうだ遅くなったけど俺はタルバ、隣が妻のプティ。よろしくね」


 二人の名前を紹介されたタイミングで、俺のことを告白することにした。

 俺には2人に紹介する名前も何もないからね。

 これ以上は引き延ばすのは厳しいし、この良心的な人達を相手に余計な小細工をしても罪悪感しかない。


 自分の名前がわからないこと。そればかりか昨日以前の記憶を完全に失っていることをゆっくりと伝えてみた。

 ただし憑依といっていいのか、この幼児体に30才のおっさんが乗り移っていることは敢えて伏せた。

 記憶喪失なら受け止められても、憑依とかを出会ったばかりの子供が「実なこの身体の中におっさんがいます」なんて話しても気持ち悪がられるだけだし。


 俺の告白を聞いて二人はとても驚いていた。

 当然だろう。


「という状況ですので、なんとかここまで歩いてきましたが、俺はこれからどうすればいいのか、正直途方に暮れているところなんです」


 唖然としたタルバ夫妻は顔を見合わせ困ってしまっている。


 だけど俺は構わずに話を続けた。

 

 「とりあえず生きていかなければなりませんので、生活できる場所まで移動しようと思って丘を下ってきました。俺のような者でも生きていける場所はあるでしょうか?」


 タルバ夫妻は突然の告白に明らかに動揺している様子。


 「えーと、その、ちょっと驚いちゃって…。ごめんね、もう一度状況を整理させてくれ。その、昨日以前の記憶が君には全くないのかい?」


 タルバさんは自分を落ち着かせようとお茶を一口含み改めて俺に聞いてきた。


 「はい、俺にも原因はわからないのですが、全く記憶がないんです。驚かせてしまったようですみません。俺自身、昨日以前の記憶がないもので、ここがどこで俺がどうやって生きてきたのかすらわからないといった次第で…」


 「…これは困ったねぇ。君のご両親もきっと君のことを探されていることだろうし、なんとかしないとね…」


 そう言うとタルバさんは考え込んでしまった。

 


 話してみてタルバ夫妻が優しい方々だとわかった。

 俺のことを親身に思ってくれているのが伝わってくる。

 この世界は悪いところではないのかもしれない。

 少なくともタルバさんからはどこかそう感じさせる温もりが伝わってくる。


 きっと弱みをみせても悪用しない人柄だと思えたので、正直な今の気持ちを話すことにした。

 ついさっきまでは、いきなり縛られ奴隷として叩き売り払われるようなことにならないとも限らない世界かもしれないと恐れていた。

 なのでこの子の不条理な状況を第3者に打ち明けられただけでも、かなり肩の力が抜けた気がする。


 それにしても残念だ。

 もしもこの身体が大人だったなら、街にさえ行けば何かしらの仕事にありつけると思う。言葉も通じるようだし。

 だけどこの身体は幼児だ。

 幼いこの子が仕事にありつくことは難しいだろう。

 肉体労働も知的労働も、たぶん無理だ。素性の知れない記憶喪失者なんてハードルが高すぎる。

 何もわからないこの世界で、これからどうやって生活していくか…。

 正直悲観的な未来しかみえてこない。

 昨夜のような野宿を続けててはいけない。

 今日は幸い天気がいいけど、明日から雨が10日間連続で降り続いてもおかしくないわけだし、仮になんとか屋根のある寝床を確保できたとしても食料が確保できる保障もない。

 この子にそんな過酷な生活を強いるわけにはいかない。

 この世界の社会常識を持たない人間が、この社会で円滑に生きていけると思えない。

 社会勉強をする機会と時間がない現状、1人で生きていくには、人里離れた場所で自給自足生活を送るほか思いつかない。人里離れた場所ってことは、人が住み難い何かがある場所ってことだろう。住みよい場所なら人が住み着くはずなのだから。

 そんな人が住みにくい場所で、幼子が1人で生きていけるとはとても思えない。

 地球でもそんな生活をした経験など皆無な俺に、果たして相当過酷だと容易に推測できる生活環境で生きていけるだろうか。はっきりいって自信は無い。

 そんな生活をして命を落としたら、この子に申し訳なさすぎる。


 タルバさんに告白した後、お互いにいろんな葛藤が漂うなか、俺は意を決して伝えてみた。


 「タルバさん、先ほどお会いしたばかりで誠に恐縮なのですが、畑作業などを手伝わせてもらえないでしょうか?」


 タルバさんの赤茶の瞳が俺を見つめる。


 「俺の記憶はいつ戻るのか、果たして戻ってくるのかどうかすらわかりません。だけどできるなら畑を手伝いながら自立できる目途を見つけていきたいと思います。その、自立する目途が立つまで、そのための時間と機会がほしいんです。初対面なのにとても図々しいお願いをしてしまっていることは承知してますが、なんとか助けてもらえないでしょうか?」


 いつの間にか俺は正座して頭を地面につけていた。


 …タルバさんからの返事はない。


 タルバさん達の都合を全く無視した図々しいお願いをしているわけだし、俺の申し出は断られて当たり前。だけどこの子の安全を確保するためおっさんである俺ができることをする。

 諦めるという選択肢はない。

 俺も必死だ。



 「頭を上げなよ」


 どのくらい地面に額をつけてただろう。

 タルバさんは俺の肩に優しく手を置いた。


 「うちはね、恥ずかしいけどあまり裕福じゃないんだ。だから人を雇える余裕がないんだ」


 タルバさんはやんわりと断り口調で語り始めた。


 (やっぱそんな甘くない…)


 「でもね、困っている人を見捨てるなんてこと、ご先祖様のお墓の前でできるはずないじゃん。ね、そうだろプティ」


 「ええ、もちろんよ」


 プティさんが優しく俺に笑いかける。


 (えっ…、てっきり断られると思ってたけど…)


 「とりあえず君が自立するまでっていうことで、申し訳ないけど贅沢できない生活でも君がいいなら、これから僕たちと一緒に生活していこう」


 そういってタルバさんが手を差し出してくる。


 な、な、なんですと…。

 耳を疑った。

 えっ、本当にいいの、タルバさん?

 こんなさっき初めて出会ったばかりの見ず知らずの記憶も靴も無い子供なのに…。

 本当の本当に…?

 この世界ってこんなに良心的なところなの?

 何か裏があるんじゃないの?

 ねぇ、何か裏があっても恨まないから正直に教えて教えて。

 

 面食らった…。

 こんな展開を切望したけど…、したけどもこんな現実に直面して…、俺は言葉を失うほどの衝撃を受けていた。

 そしてタルバさんの言葉を安易に鵜呑みしない、顕現した俺のクズさ加減にも面食らってしまった…。


 この人は、タルバさんはそんな人じゃない…。

 この人達は違う。

 この人たちは俺とは違う。

 …裏があるのは俺だ。

 腐ってんのは俺だ…。

 腐ったミカンな俺がこの人達を腐らせようとしている…。

 濁った泥水な俺が、澄んだ湧き水なこの人たちを濁らせようとしている…。

 俺なんかが気安く接触してはいけない人達だったんだ、この人たちは。


 もしここが地球で腐りかけたおっさんの俺だったなら、俺がタルバさん達に持ちかけた話はきっと躊躇う以前に速攻で断るたぐいのもの。

 そう、問答無用だ、

 俺にとっては、そういう分類に区分されてしかるべきもの。

 損しないとか、馬鹿を見ないとか、勝ち組になるためとかっていつの間にか自分に設定されたクズ基準で、そう分類すべきもの…。

 地球ではできるだけ現状の生活を維持をしたいと思っていた。そんなにいい生活をしていたわけでもないのに…。

 それを見ず知らずの記憶喪失の子供に壊されたくないって思っただろう…。

 何のために?

 こんな一方的なお願いをしてくる子供にきっとむかつきさえするだろう…。

 なんでムカつく?

 この子がこの先どうなろうと、それは自分のせいじゃないとかなんとか世間向けの言い訳作って、突然降ってきたこの面倒ごとでしかない子供をどこかの相談所か施設かなんかに押し付けて逃げてしまってただろう…。


 おっさんだった30才の男が生きていたところは、そんな大人があふれてた世界だった。

 そして俺もそんな大人だった。

 どんな小細工でもいい、たとえそれが自分を守るためなら嘘だっていい、しょうもない自己防衛を施しつつコツコツ生きないと馬鹿を見る世界だった。

 騙す方も悪いが騙される方も悪い、なんて平気で説教される世界だった。

 何言ってやがる、騙す方が悪いに決まってんだろ!

 そもそも騙す奴がいなければ騙される奴はいないんだから。

 騙す奴がいるから無駄に身構えて生かされる。

 そんな生活に億万の心が悲鳴を上げ、そして夜な夜な酒場なんかで心の慰撫に時を費やす日々を送る。

 それが日常茶飯事の世界だった…。


 でも今、俺の前にいるタルバ夫妻は違う。

 この世界の常識は未だわからないが、この夫婦はこの生活力の低い男の子のために、自分たちの現状を守ることなく、まさに無償の善意でその手を差し伸べてくれている。

 

 太古の日本には八百万の神がいたそうだが、この世界のいま俺の目の前に、その神がいる…。


 俺は意味も分からずこの幼子の安全を期するため、闇雲にタルバさん夫妻に縋りついた。

 そしてこの子はたぶん、助かった…。


 思い切ってタルバさん夫妻に相談してよかった…。

 そしてこんな清い心を持った人に出会えて良かった…。


 長いこと触れてなかった人の温もり。

 少なくともここ数年は感じたことのない温もり。

 

 ついさっきまで猛烈に張りつめていた心の糸が、すぅーと溶け落ちた。

 

 タルバさんに何か言わなきゃ…。

 タルバさん達にお礼の一言だけでも伝えなきゃ…。

 でもなぜだか返事ができない。

 いろんな思いが錯綜し過ぎて適切な言葉が出てこない。

 まともな声すら発せられそうにない。

 どんどん込み上げてくる感情を抑えられない。

 安堵、感謝、歓喜、後悔、謝罪…。

 涙と嗚咽を止められない。

 無理やり意識しないように抑え込んでたけど昨日からため込んでいた多くの不安や恐怖、そして地球で生きていたクソったれな俺の卑屈な人生観。

 それでも、こんな俺でもとりあえずこの幼子の命を救えそうだってことが嬉しくてたまらない。

 そして、タルバ夫妻の太陽のような心に触れられた喜びに感極まってしまう。

 

 結局この時の俺にできたのは、ただタルバさんが差し出してくれた優しさを両手で懸命に握りコクコクと頭を下げることだけだった。



 それから少し落ち着きを取り戻し、俺はタルバ夫妻の日常やこの地域のことを教えてもらった。

 総じて、ここアルカナは気候も良く人も良くみんなで仲良く助け合って暮らしているところのようだ。

 

 いい所で良い人に出会えて本当によかった。

 もしかするとここは、神の国ではないのか。

 俺は神の子供…、もしかすると天使に乗り移ったのかも…。


 …この時の俺は、半ば本気でそう思い、長い間その疑念を祓うことができなかった。


 さっきまで飄々とした感じを醸しだしていた大人ぶった子供が、突然見事に大泣きしてしまった照れくささが残るものの、俺はタルバ夫妻の気持ちを裏切らない生活をしていくことを心の奥底で硬く誓った。


 清らかな水を汚すわけにはいかない。


 今日の作業が残っているタルバ夫妻は、午後の畑作業を始める準備を始めた、

 俺も何か手伝おうと立ち上がると、


「今日はそこで休んでな。昨日から歩き詰めで疲れてるだろう」


 とタルバさんがさっきまでいた木陰を指さしながら気づかってくれる。

 実は疲労もなく肉体的には元気そのものの俺は、なんでもいいから手伝わせてほしい気持ちで一杯だったのでその親切を断ろうとするが、背中からプティさんが両肩を掴んで、俺を木の下へ連れていく。


 俺は申し訳なさを感じながら勧められるまま木陰へ座り、明日から自分が手伝うことになるだろうタルバさん達の作業を見学する。

 タルバさんは、ソマの株間に肥料と思われるものを粉を蒔いている。

 プティさんは、畝に生えつつある草を抜いている。

 広大なソマ畑。

 見る限りこの作業はあと10日ぐらい続くんじゃないだろうか。

 明日から俺が手伝うことになるだろう作業について思いを巡らせつつ、1人だけ木陰で休んでいる後ろめたさに耐えつつ、昨日からの謎過ぎる冒険を軽く振り返りつつ、タルバ夫妻の作業風景を眺めていた。


 それにしても昨日からまだ1日しか経ってないのに、もう昨日目覚めてからの一連の出来事が朧げな夢のように思えてくる。

 人間って、ほんとご都合主義にできた生物だよな…。

 しみじみ実感する。


 いや俺がご都合主義すぎるってことかな。

 また悲しくなる。

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