第56話 決意

 山道を上っていくと、アヒルの鳴き声が聞こえた。それがなんだか懐かしくなる。

 最初にこの山を登ってきた時、あのアヒルを捕まえようとしていたのよね。私――。


 そして、恩玲さんに出会った。

 最初は、失恋した先輩によく似ていて驚いたっけ。

 今はもう、その先輩の顔も思い浮かばない。浮かんでくるのは、恩玲さんの表情ばかりだった。

 

 私は門を通り、中に入る。「恩玲さん!」と、声をかけてみたけれど、返事はなかった。部屋の扉を開いて中に入ると、本を抱えていた宇音先生が振り返る。そして、「なんだ、お前か」と落胆したように呟いた。

「宇音先生……恩玲さんは?」

 私は部屋の中を見回して訪ねる。

「もういない……」

「もういないって……」

「理由を言わせたいのか?」

 宇音先生は苛立ったように私を睨んできた。

「私の……せいよね……」

「ああ、そうだ。だから、言ったんだ……若君に関わるなって」

「恩玲さん、まさかもう……連れて行かれたの!?」

「知るもんか」

 宇音先生は散らかっていた本を片づけると、机に置いてあるものを布に包み、荷造りをしていた。

「ここにある本は……お前にやるそうだ。若君がそう言っていた……だから、好きにしろ」

「ちょ、ちょっと待って。宇音先生は、恩玲さんと一緒に行くの?」

「いいや……俺は……もう会わせてもらえない。だから、都に行く。若君がいないのに、俺がここにいる理由なんてないからな」

 宇音先生は、恩玲さんの後を追いかけるつもりなんだ。

 私はギュッと唇を結んでから、自分の胸を強く叩いた。

「それなら、私も一緒に行く!」

「はぁ!? 何を言ってるんだよ。お前には杜家の家族がいるだろう」

「ええ、そうよ。だから、家族みんな連れて都に行くわ。家も焼けちゃってなくなったんだし……それに、考えてみれば、恵順が勉強をするにしても、ここより都にいる方がいいでしょう?」

 瑞俊さんが紹介状を書いてくれた塾の先生も、都にいる。あの紹介状が、役に立つかもしれない。


 言っているうちに、私の決意もすっかり固まっていた。

 梨花さんやその両親には申し訳ないけれど。私は都に行く。

 

「生活なら……何とかなるわよ。また、肉まんを売ればいいだし!」

 この世界に来てからだって、そうやって小銭を稼いできた。私は「それに、宇音先生もいるんだしね」と片目を瞑って見せる。

「お前……本気で言っているのか?」

 宇音先生は呆気に取られてポカンとしていた。

「もちろん! それに、宇音先生はまだ子どもなんだし。一人旅なんて危険よ。私たちと一緒にいる方がいいわ。小芳の話し相手にもなるしね」

「冗談じゃない! 勝手に決めるだ。だいたい、俺は子どもじゃない!」

「ええ、わかってるわよ。頼りにしてるもの。だけど、見かけはまだ子どもでしょー? 宿を取る時だって困るわよ?」

 私がニンマリと笑うと、宇音先生はグッと言葉に詰まっていた。

「決まったら、私も片づけを手伝うわ!」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る