第50話 炎の中で

 日暮れに戻った私たちは、激しく火に包まれている屋敷を見て愕然とする。

「お嬢様、屋敷が……っ!!」

「お、お爺ちゃんと、恵順は!?」

 私は焦って、周りを見回した。黒煙が広がっている。桶を手に消火活動をしてくれているのは、瑞俊さんの連れてきた使用人の人たちだ。それに、近所の人たちも集まってきている。だけど、火の周りが早く、水をかけてもほとんど効果はなかった。「姉さん!」

「恵順! よかった、無事だったのね。お爺ちゃんはもしかして、まだ中に!?」

「いいや、僕が戻った時には火がまだ弱かったから、連れて出たんだ」

 お爺ちゃんは石に腰を下ろしている。親切な近所の人がそばについて慰めてくれているようだ。

 お爺ちゃんは家が燃えていることも、あまり気にしていないようで、もらった饅頭をモグモグと頬張っている。私はその姿を見て、胸をなで下ろした。


「ということは、家の中には誰も残っていないのよね!? あの人は!?」

「瑞俊さんなら、昼間から留守にしていたみたいだ。僕が戻った時にはいなかった」「そうなの……みんなが無事ならそれで……」

 私は言いかけて、ハッとする。


「腕輪……」

「え? 腕輪?」 

 恵順が眉を寄せて聞き返してきた。そうよ、私――恩玲さんからもらった大事な腕輪を、部屋に置いているじゃない!!

 箱に入れているとはいえ、この火の中では無事ではないかもしれない。

 あれは、恩玲さんのお母様の形見の腕輪なのに。

 私は焦って周りを見る。


「お嬢様、何か大事なものでも?」

「明々、小芳をお願い」

 私は抱きかかえていた小芳を明々の腕に渡して、家の近くの川に向かって駆け出した。

「姉さん、どうするの!?」

 驚いた声で恵順がきいてくる。家の前を流れる川は浅い。その水面は、燃える炎を映して赤く変わっていた。バリバリと木が燃える音がして、夜風に火の粉が舞う。

 私はスカートの裾をつかんで川に入ると全身に水をかける。そしてすぐに川からあがり、水浸しのまま駆け出した。


「姉さんっ!!」

「お嬢様、何をっ!!」

 顔色を変えて叫んだ二人を振り返り、「大丈夫、すぐに戻るわ!」と答えると、私は口もとを袖で押さえながら、煙が広がる門の中に飛び込んだ。


 回廊の柱が燃えている。その熱と煙が、屋敷中に充満していた。厨房の方はほとんど崩れてしまってしまっている。窓や扉から炎が吹き上がっていた。

 私は中庭を走り抜けて、自分の部屋へと向かう。まだ、火がそれほど回っていないようだった。これなら、まだ腕輪は無事かもしれない。

 あれだけは、どうしても、持ち出さないと――。

 恵順さんの表情が頭に浮かんでくる。

 

 一部が燃えている部屋の扉に体当たりして中に飛び込んだ私は、煙を手で払いながら棚に駆け寄る。ベッドの布団にはすでに火がついていた。ここもすぐに燃え広がりそうだ。私は棚から箱を取り出すと、中から腕輪を取り出す。

「よかった……っ!」

 私は布に包んだその腕輪をギュッと握り締めて、急いで部屋を出る。

 回廊を走っている途中で、不意にバキッと木の割れるような音がした。


 上を見上げた瞬間、燃えていた回廊の屋根崩れ、梁が目の前に落ちてくる。

 悲鳴を上げる間もなく倒れた私の周囲は見る間に火に撒かれていった。

 

 立ち上がってすぐに逃げないと。そう思うのに、体が動かない。

 目に映るのは真っ赤な炎ばかりで、肌が焼けこげそうだった。

 煙を吸い込んでしまい、むせながら肘を立てる。

 

 起き上がれなくて、私はそのままうつ伏せになる。 

 ――もしかして、私、また死ぬの?

 そんな考えが、頭を過る。白く靄がかかるように、頭がぼんやりとしてくる。

 

 この腕輪、ちゃんと返さなきゃいけないのに。

 それとも、燃えても腕輪は玉だから大丈夫なのかな。傷がついたり、焦げ後がついたりしなければいいけれど。

  

 こんなことなら、もっと早く、思い切って告白しておけばよかった。

 そうすれば、また肉まんをやけ食いして、死んだかもしれないけど。

 どうせ死ぬなら、そっちの方がいい気がした。


 好きだって伝えられないまま、さよらなするなんて、嫌だよ――。

 あの世に行く前に少しだけ時間があるなら、会いに行けるだろうか。

 幽霊の姿になっても、好きだったと一言伝えられたらいいのに。


 涙ぐんだ私は、懐にしまった腕輪に手をやる。

 つくづく、私の恋ってうまくいかないみたい。

 来世なら、幸せに結ばれるのだろうか。

 もし、そうだとしても、今度も恩玲さんとがいい。

 

 ぼんやりと考えている私の視界に、白い人影が映る。

 私は驚いて、瞬きして目を懲らした。それは私の、梨花さんの姿をしていたから。

 綺麗な衣をまとった、薄幸そうなその美人はスーッとやってきて私を見下ろしている。幽霊――だろうか。私は戸惑って、何度も瞬きしながら目を懲らす。


『ありがとう……私を、清明湖の龍神廟まで連れていってくれて……』


 そう声がしたような気がした。彼女は私の額に手を伸ばしてくる。

 触れた感触もなければ、体温も感じられなかった。


『ありがとう……私の家族を守ってくれて……』

 

 その言葉を最後に、梨花さんの姿は微笑みを残して消えてしまう。

 私は「待って……っ!」と、声を出そうとしたけれど、喉が焼けるように熱くて咳き込んでしまった。ああ、そうか。きっと、私に最後のお別れを――。

 

「梨花さんっ! 梨……花さんっ!!」

 そう呼ぶ声がして、私は閉じかけた目をもう一度開く。

 燃えている梁を避けて、駆け寄ってくる人の姿を見て、私は唇を必死に動かす。

 胸が詰まって、涙があふれてきた。

「恩……玲……さん……っ!」

 ああ、神様。龍神様。これが幻でもいい――。

 最後にあの人の姿を見れて、声が聞こえたのだから。

 

 抱き起こされる感触と、すぐそばにあるあの人の顔に、私はホッとして弱く微笑んだ。手を動かして、彼の頬に手を伸ばす。



『あなたが、好きです――』

 

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