第43話 突然の来訪者

「お、お嬢様、お嬢様!」

 厨房で肉まんを包んでいると、明々が随分と慌てた様子で駆け込んできた。

「どうしたの? まさか、また小芳の具合が悪くなったんじゃないでしょうね」

 心配になって尋ねると、明々は大きく首を横に振る。

「あの、それがお、お客様がいらしたようで……」

「お客様?」 


 いったい誰かしらと、私は粉だらけの手を前掛けで拭って厨房を出ようとした。

 この屋敷を訪れる客人なんて、今まで一人もいなかった。すっかり落ちぶれているため、親類縁者もやってくることはない。明々の話では、両親が亡くなってからずっと疎遠になっているらしい。病弱だった梨花さんや、まだ成人になっていない恵順をの面倒を見ようという人もいなかったみたい。まったく、薄情な話だわ。


「あの、それがその……あの人なんです。ほら……あの!」

 明々は自分の後ろを指さしながら、もどかしそうに口を開いたり、閉じたりする。

 あの人? あの人って、誰のことよ。私はよくわからなくて、首を捻る。

「これはまた、なんとも趣のある荒ら家じゃないか。そう思うだろう? 楽雲」

 優雅に扇子を扇ぎながら、敷居を跨いで厨房に堂々と入っていた相手を見て、私はあんぐりと口を開く。瑞俊と名乗るあの美男子と、そのお供の楽雲さんだったからだ。明々がうろたえるのも無理はないわよ。


 楽雲さんは、無表情のままジロッと部屋の中を見まわし、「ええ」と簡潔に返事をして頷いていた。今日は、恵順が留守でよかったわ。この人たちのことをどう説明していいのかわからないもの。

「なんであなたがうちの屋敷にいるのよ!」

 瑞俊は私を見て、面白がるように目を細める。私は汚れた前掛けや、粉だらけの手が恥ずかしくなって、急いで後ろに隠した。


「いったいどうやってこの屋敷を突き止めたの?」

「街の者に尋ねれば、杜家の屋敷くらいすぐにわかる。それにしても、実に慎ましい暮らしぶりだ……ひび割れた壁に、雨漏りのしそうな蜘蛛の巣の張った屋根、それに、今にも吹き飛びそうな壊れかけの戸。全てが完璧じゃないか! これはまさしく幽霊屋敷と呼ぶに相応しいたたずまい」

 瑞俊は拳を握って感心しきったように言う。口調が心なしか嬉しそうだ。私は「それ、全然褒めてやしないじゃないの!」と、思わず言い返した。

 まったく、失礼してしまうわね。確かにうちはボロやだし、荒ら家――風ではあるわ。けれど、毎日明々と私が掃除をしているからこれでもちゃんと綺麗にしているのよ!


 断りもなくいきなり押しかけてきた人に、あれこれ言われる筋合いなんてない。私は腕を組んで顎をしゃくる。明々も「そうですよ!」、瑞俊を睨んでいた。

 けれど、楽雲さんが顔を向けると、「ひえっ!」と怯えたような声を漏らして首を竦めていた。その腰に差している大きな剣を見れば、誰だって怯みたくなるわよ。

「だいたい、うちは生憎と古くて色々と壊れかけてはいるけれど、幽霊なんて出やしないわよ」

 少なくとも、私は今まで一度もお目にかかったことはない。出るのは、鼠とか……それを追いかけて入り込んだ野良猫とか、そんなところよ。たまに、山の猿が飛び出してきたりもするけど……。


「気に入った。よし、ここにしよう」

 瑞俊は人の話をあっさりと聞き流し、ポンッと手を打つ。

「な、なにがここにしよう、なのよ……?」

 私は嫌な予感を覚えて尋ねた。瑞俊は私の顔をみてニコッと微笑むと、「楽雲、やってくれ」と扇子を閉じて命令する。

 楽雲が「はい」と、返事をして厨房を出て行く。そのうちに、表の方で大勢の賑やかな人の声や何かを運び込むような大きな物音がした。


 私と明々が顔を見合わせて厨房を飛び出すと、「おい、ぶつけるんじゃないぞ! ボロ家だから、柱が腐っているかもしれん」、「こいつはひどいボロ家だ!」と大きな声を上げながら男の人たちが続々と屋敷内に家具を運び込もうとしていた。

 その後から、女性たちが大きな塗りの匣を持ち上げながら入ってきた。「まったくひどいお屋敷だわ……これなら、納屋の方がましね」、「まずは掃除から始めないと住めやしない!」とみんな遠慮のない声で言い合っていた。

「ちょっ、ちょっと、いったい何事なのよ!? これは何!?」

 私は呆気に取られて声を上げた。進み出た中年の女性が、「若様の部屋はどちらかしら?」と偉そうな態度で私にきいてきた。

「若様の部屋!? そんなものはないわよ!」

 私が思わず答えると、中年女性は「では、勝手に空き部屋を使わせてもらうしかないわね」と、他の女性や荷を運ぶ男性たちを促して屋敷の奥へと入っていく。


 恵順の部屋の扉を開けようとするから「そこは、弟の部屋よ!」と、慌てて止めた。

「なんなんですか、あなたたち! 失礼じゃありませんか。勝手に。そこはお嬢様のお部屋ですから入らないでください!」

 明々は両手を広げ、私の部屋の扉の前に立ち塞がっていた。

「ああ、すまない。数日、この屋敷に滞在させてもらおうと思ってね」

 厨房から出てきた瑞俊が、実に涼しい顔をしてそう言った。

「滞在って……なにを勝手に……誰もいいなんて言ってやしないでしょう。だいたい、あなたお金持ちじゃない! なんだって、うちみたいなボロ家に泊まろうとするのよ。もっと高級なお宿がいくらでもあるでしょう。そっちに泊まるほうがうちよりずっと快適にすごせるわ」

「確かにその通りだ」

 瑞俊は開いた扇子を胸に当てながら頷く。

「だったら、すぐさまそうしてちょうだいよ。うちに客人を泊めるような部屋なんてないんだから。奥の部屋はすっかり物置になっちゃってるし……」

 そこは、梨花さんの両親が寝起きしていた部屋だ。今はほとんど使っていないから、掃除もしていない。

「奥の部屋が空いているそうだ。そちらに運んでくれ。ああ、掃除は念入りにな」

 瑞俊は先ほどの中年の女性にそう命じる。女性は「畏まりました、若様」と、膝を折るように一礼して他の人たちにすぐ指示をする。

「だから、空いてないって言ってるでしょ! 勝手に決めないでよ」

 私はギッと瑞俊を睨む。明々は「ああっ、やめてください。そこは旦那様と奥様の~」と、荷物を運ぼうとする男性たちを引き留めるために中庭を走っていく。


「高級な宿というのにも、飽きてきてね。たまには荒ら家で庶民の暮らしぶりを満喫するのも悪くはない……」

「だから、勝手に私の家で満喫しないでちょうだい!」

 私のといっても、梨花さんの家なんだけど。

 瑞俊はパチンッと扇子を閉じて、「楽雲」と呼ぶ。楽雲さんはそばにやってくると、懐から取り出した巾着を私に差し出してきた。思わず受け取ってみれば、ずっしりと重い。紐を解くと、中には目が飛び出そうな額のお金が入っていた。

「えっ……あの、これは!?」

「それくらいあれば、事足りるだろう?」

 文句は言わせないとばかりに微笑むと、瑞俊はゆっくりと中庭を歩いていく。

「事足りるって……こんなの……一年お饅頭を売ったってこんなに稼げやしないわよ!」

 それどころか、世の中の人が一生かかっても貯めるのが難しそうな額だ。それを、ポンッと渡してくるなんて、あの人、何を考えているのかしら!

「お、お嬢様~!」

 明々がわたわたしながら戻ってくる。

「明々……」

「はい?」

「仕方ないわ……ここは涙をのんで、我慢しましょう……!」

 私はずっしりとした重みのある巾着を明々の手に渡す。彼女はその口を開いて、悲鳴を上げていた。言いたいことは山ほどあるけれど……背に腹は代えられない!

 だって、これだけあれば、色んな問題が一度に片付くじゃないの。それに、恩玲さんにだって、薬代を返せるわ。

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