第42話 家に戻ると――。

 山を下りて家に戻ると、眠らずに待っていたらしい明々と恵順がすぐに部屋から飛び出してきた。

「お嬢様!」

「姉さん、小芳は!?」

 駆け寄ってきた二人に、「もう大丈夫そうよ」と笑顔を見せる。腕の中で眠っていた小芳は、ようやく目を覚ましたのか眠そうに瞬きしていた。その顔色はすっかりよくなっているのを見て、二人とも胸をなで下ろしたようだ。


「けど、いったい……どこに行ってたの?」

「そうですよ! 私も若君も心配で、心配で……」

 明々は目を潤ませ、「うっ」と袖で涙を拭う。

「ごめんなさい。えっとその……薬に詳しい人を知っていたから、その方に診ていただいたの」

 私は小芳を明々に預けて、頬をポリッとかきながらごまかす。嘘ではないけれど、少しばかり後ろめいたい。でも、禁山にまた入ったなんて話すわけにはいかない。そんなことを話せば、明々は心労のあまりに気を失ってしまいそうだ。

 けれど、恵順は怪しむようにジーッと私の顔を見てくる。


「姉さん……」

「な、何かしら~?」

「薬に詳しい人って……誰?」

「誰って……詳しい人は、詳しい人よ」

「だから、誰?」

 すっかり問い詰める気なのか、恵順の目が据わっている。私は「うっ……」と、痛くなる胸を押さえて、視線を逸らした。


「それは……た、旅の人みたいだから、よくは知らないけど……」

「旅の人が、どこにいたの?」

 私は返答に窮して、「それは……その……」と口ごもる。

「姉さん……」

「ああもう、どこだっていいじゃない! とにかく命の恩人よ! それに、ちゃんと薬だってくれたわ。効果てきめん! 飲めばすっきりよくなる特効薬よ!」

 懐に押し込んでいた薬の包みを、「ほら!」と取り出して恵順と明々に見せる。


「ものすごく怪しい薬じゃないか! いったい、何が処方されてるんだよ。その相手は、薬師か何かなのか!?」

 恵順は私の手から薬の包みを奪うように取ると、顔をしかめながら包みの匂いを嗅いでみている。

「大丈夫よ! 宇……その先生は、信頼できる人だもの。材料だってちゃんと薬屋から買ったものだわ。おかしな薬じゃないわよ」

 その薬の材料を薬屋さんから買うところを、私はちゃんと見ていたんだから。それに、処方してくれたのは宇音先生だ。


「だから、その先生って誰なんだよ。姉さんは、昨日一晩どこにいたんだ」

「それは……言えないけど……とにかく、小芳の熱だってその先生の調合してくれた薬で下がったのよ。あのまま放っておけば、今頃どうなっていたかわからないじゃない!」

 私は怖い顔で睨んでいる恵順に、そう言い返す。恵順は眠そうに目をこすっている小芳をチラッと見て、押し黙る。昨日のぐったりした様子を見ているから、さすがに薬がまったくのでたらめだとは思えなかったみたい。私は「私を信じてよ!」と、胸を叩いてみせる。


「ですが、お嬢様……昨日は、恵順様も本当にひどく心配されていて……」

 明々が私と恵順の顔を交互に見ながら、おずおずと口を開いた。それを、「明々、もういい」と恵順が不機嫌そうに遮った。

「恵順あのね……っ、本当に……」

「もういいって言っただろ。姉さんを信頼してないわけじゃない……」

 背を向けると、恵順はさっさと部屋に戻っていく。私は肩を落として、明々と視線を交わす。

「本当に、心配されていたんですよ……それはもう……ずっと門のところで待っていらして……小芳のことも心配されていたんだと思いますけど、お嬢様の病がまた悪くなってはと……」

 そう言われて、私はハッとする。そうだ。恵順はずっと、体が弱かった元の梨花さんの看病をしてきたんだ。それなのに、雨の中いなくなってしまったから。気が気ではないのも当然だ。恵順にとっては、梨花さんは唯一の血縁者だ。この体をもっと大事にしないとね。借り物の体ですもの。後でちゃんと、宇音先生が私に調合してくれた体力回復の薬を飲んでおこう。


「ごめんなさい……明々。それに恵順にも本当に悪いことをしたわ……」

 私は反省してうな垂れる。

「いいえ……お嬢様が悪いわけではありませんもの。ですが、小芳もお嬢様もご無事でよかった……きっと、若君もそう思っていらっしゃるのですよ」

「そうね……後で、うんと美味しいものを食べさせてあげないと」 

 私は明々と一緒に屋敷の中に入る。


「お爺ちゃんは? また、庭に出ているのかしら」

「ああ、大旦那様はお部屋にいらっしゃいますよ。後で、お嬢様が顔を見せれば、安心なさいますわ」

「そうね。薬湯は私が届けるわ」

「ええ……お願いします。私は小芳を寝かしてきますから」

 明々は小芳を抱え直して微笑んだ。

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