第41話 うさぎ饅頭の約束。
もう少し小芳を休ませてあげたいけれど、家に戻らないと明々や思玲さんが心配して待っているはず。私は思玲さんに相談し、小芳と一緒に山を下りることにした。思玲さんも「そうですね。その方がよいかもしれません」と、頷いてくれたから。
帰り際に、宇音先生がぶっきらぼうに渡してきたのは、紙に包んである薬だ。
「小芳の薬なら、もうもらったわ」
私は紙で包まれている薬を、「ほら」と見せる。持ちやすいように紐でしっかりと結んである。恩玲さんに頼まれて、宇音先生が調合してくれた三日分の薬だ。
「それは、梨花さんの分ですよ」
フンッと横を向いている宇音先生の頭に手をやって、恩玲さんが笑みを浮かべる。
「私? 私はもう平気だし、薬なんてもったいないわ」
元いた世界でも、私は元気なのが取り柄で、風邪をひいてもすぐに直った。こちらの世界の梨花さんは体が弱かったようだけど、私は食欲旺盛なせいか体力もついてきたし、この山に登るのにも慣れた。
(私がいた世界と違って、こちらじゃ薬は高価なものだもの……小芳の薬のお代だって、ちゃんと払えないのに。私の分まで薬をもらうわけにはいかないわよ)
「昨日、熱を出したんだから平気なもんか」
宇音先生は腕を組んだまま、不機嫌そうな顔で言う。
恩玲さんも「宇音の言うとおりです」と、頷いた。
「看病する側が倒れては困るでしょう。それにその薬は、体力を回復させるものですから。飲んだ方がいい。私もあなたに何かあったら心配です」
私はそう言われて、「恩玲さん……」と感極まって涙ぐみそうになる。小芳を抱えていなかったら、思わず抱きついていたかもしれない。そんな私を、宇音先生が横目でジロッと睨む。
「それなら……遠慮なくいただいておきます。宇音先生、ありがとう。薬代はそのうち……必ず……お饅頭で大もうけできたら!」
「まだ、饅頭売りを諦めてないのか……」
宇音先生が顔をしかめて呟く。私は「当たり前よ!」と、ニッコリした。
あの周文雄に邪魔をされていなければ、順調だったんだから。私は何がなんてもお饅頭を売って一儲けして、家を修理して、恵順にもちゃんと私塾に通わせたり、好きな本が買ってあげられるようになりたい。それに、明々にもちゃんとお給料を払いたいし、お爺ちゃんに温かいお布団を作ってあげたいわ。あと、小芳が結婚する時のために支度金だって貯めなきゃ。
私は「う……やっぱり、お饅頭を売って大成功しないと、無理だわ!」と、頭も胸もお腹も痛くなってくる。恩玲さんは目を丸くしてから、口もとを手で隠すようにフッと笑っていた。目尻もわずかに下がっている。
「薬のお代なんて、気にしないでください。たいしたことじゃない」
そう、恩玲さんは私を見つめて言う。
「たいしたことだわ! だって、こんな親切なこと、他の人はしてくれないもの!」
雨の中、助けを求めたお医者の先生なんて、門前払いだった。その時の絶望的な気持ちを思いだすと、腹立たしいやら、悲しいやらで、泣きたくもなってくる。だから、恩玲さんや宇音先生が私たちを見捨てないで助けてくれたことが、嬉しくて、どれほど心強かったか。その恩返しは、しないわけにはいかない。ううんっ、絶対する。百倍にして返すわよ!
「それなら……またうさぎ饅頭を作ってきてくれますか?」
「もちろん、それくらいお安いご用ですとも! うさぎ饅頭の一つや二人、ううん、百個や二百個!」
恩玲さんのためなら、いくらでも作るし、なんならこの先ずっと作り続けたっていいわ。あっ、もちろん、それを結婚の約束って思ってくれても、私はかまわないのよ? 私はポッと赤くなる。
「若君、うさぎ饅頭ならそいつに作らせなくたって、俺がいくらでも作ります。もっと、うまいやつを!」
宇音先生がムッとしたように言うと、「うん、宇音のうさぎ饅頭もおいしいよ」と恩玲さんはニコニコして答えていた。宇音先生はすっかり頬を膨らませている。
(って……あれ? 恩玲さんってそんなにうさぎ饅頭が好きだったのかな?)
私は首を捻る。恩玲さんは宇音先生や私が作ったものに文句を言ったことは一度もない。いつも美味しそうに食べてくれるから。
「それじゃあ、また来ますね! うさぎ饅頭を持って」
私は宇音先生に視線を向け、ちょっと意地悪くニマーッと笑う。宇音先生は何か言いたそうに口を開いたけど、すぐへの次に曲げていた。勝手にしろって顔だわ。私は「それと、ありがとうございました」と、畏まって二人に頭を下げる。
「梨花さん、気をつけて……」
恩玲さんの目が心配そうな色を浮かべていた。私は「はい!」と、笑顔で答える。そして、すっかり眠っている小芳を抱えたまま背を向けて山道を歩き出した。
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