第39話 嵐の一夜
それから四日ほど経った日のことだ――。
夜、外は雨と風が吹き荒れていた。窓や戸を揺するその音が、余計に不安感を誘って心臓の音が早くなっていた。
暗い部屋を照らすのは、明々が手にしている灯りだ。
私はギュッと絞った布を、小芳の額にのせる。小芳は寝台に横になったまま、苦しそうに呼吸を繰り返していた。顔がまっ赤で額や首のまわりがびっしょりと汗で濡れている。いくら拭いても、すぐに滲みだしていた。
額にのせた布も熱のせいですぐ温くなってしまう。
「お嬢様……」
後ろに立った明々が、心配そうに呼びかける。
「困ったわね……熱が少しも引かないわ……」
具合が悪くなってから、半日ほど経つのに熱が下がるどころか上がっているようだった。目がトロンとして、私が「小芳?」と声をかけても、返事をしない。意識が朦朧としているみたいだった。
この家には、熱冷ましの薬がない。私が飲んでいたのは咳を抑える薬だ。小芳にはきっと効かないだろう。
部屋の戸が開いて、雨具を着た恵順が部屋に入ってきた。
「姉さん、医者の先生のところに連れて行くよ。こんな時間じゃ、来てもらうわけにはいかないし……」
「それなら、私も行くわ!」
寝台のそばにしゃがんでいた私は、すぐに立ち上がった。
「けど、外は……」
「お嬢様、それなら私が行きますよ! 雨に濡れてはお嬢様の方がまた体を悪くしてしまいますから」
「私はいいの。それより、明々、雨具を用意してちょうだい」
私は小芳を抱きかかえながら言った。腕が熱い。そうとう熱が高くなっているみたいだった。辛そうに目を伏せて、私の服をギュッと小さな手でつかんでくる。
「大丈夫、小芳、すぐによくなるわ」
私は小芳を抱き締めて、安心させようと言う。でも、本当は私が不安でたまらなかった。
雨具を着て、小芳は雨に濡れないようにしっかり毛布にくるんだ。外に出ると、ゴーッと吹き荒れる風の音がする。恵順が私と小芳に傘を差し掛けてくれる。自分は瞬く間にずぶ濡れになってしまっていた。
空が黒々として、飲まれそうなほど深い闇が辺りに広がっていて、私は怖じ気づきそうになる。けれど、今は不安がっている場合ではない。私はしっかりするのよと、自分の胸に言い聞かせて、恵順と共に夜道を急ぐ。
恵順と向かったのは、私の病気を診てくれていた医者の先生だ。村に唯一の先生で、私は覚えていないけれど、何度も世話になっているみたい。
だから、小芳のこともなんとかしてくれる。
先生の家に向かうと、家の灯りが見えた。
「先生、いますか!? 先生っ!」
そう声を張り上げながら、恵順が門の扉を強く叩く。私は早く、早くと祈るように、小芳を抱く腕に力を込める。その間も、袖で何度も小芳の額の汗とかかった雨を拭ってやった。
そのうちに、門の扉がギッと開いて、白髪頭の老人が顔を出す。
「先生っ、夜分にすみません。うちの……小芳の熱が、どうしても下がらないんです。見てもらえませんか!?」
恵順が言うと、老人は私の顔を見てギョッとしたように顔を強ばらせる。そしてすぐに、私が抱いている小芳に目をやった。
「わ、悪いんだが……他所に行ってくれ」
先生はそう言って、扉を閉めようとする。私と恵順は驚いて、「えっ!?」と声を上げた。
「他所って、この村には先生しかお医者様はいないでしょう!?」
私は扉を咄嗟につかんで言う。
「今は休診中なんだ……悪いが……診られないんだよ!」
「お代なら、ちゃんと払います。お願いです。明日まで待てません!」
恵順も強い口調で訴える。けれど、先生は「うちではもうあんたたちのところの病人は診られないんだよ!」と首をしきりに横に振る。気まずいのか目を合わそうともしなかった。
「それなら、せめて熱冷ましの薬だけでもいただけませんか!?」
「無理だと言ったら、無理なんだっ! あんたたちを診ると、うちが周家の若君に……っ」
医者の先生はハッとしたように口を噤む。そして、「とにかく、うちでは診れない!」と無理矢理に扉を閉めてしまった。
「先生っ、先生っ!!」
恵順が何度も扉を叩いたけれど、返ってくる声はない。私と恵順はずぶ濡れになりながら、その扉の前に立ち尽くしていた。
「周家の若者にって……周文雄のせいなの?」
私は呆然として呟く。あの人がこの村の人たちにまで、私たちと関わらないように言いふらしたということ?
そうでなければ、今まで私の病気を診てくれていた医者の先生が、急に診てくれなくなるなんてことはないはずだ。
「あいつら……っ!」
恵順が悔しそうに、扉に拳を叩き付けて唇を噛む。
「恵順、ここから一番近い村は? そこにはお医者さんはいる?」
「いや……東花鎮まで行かないと……いないと思う」
「この村のお医者さんが診てくれないんですもの。街のお医者さんなら、なおさら診てくれるはずがないわね……」
薬屋も同じはずだ。恵順は私の顔を見て俯く。
「一度、家に帰ろう……濡れると小芳の熱がひどくなる」
こんなところに立っていてもどうにもならない。私は「そうね」と小さな声で答えて足の向きを変えた。
その時、東花鎮の薬屋で薬を買っていた宇音先生のことをハッと思い出す。そうだ、宇音先生は、熱冷ましの薬も買っていた。自分で調合すると話していたじゃない。
「姉さん……?」
歩きだそうとした恵順が、傘をしっかりとさしかけたまま私を振り返る。
「恵順、先に戻っていて……」
「えっ、姉さん!?」
驚く恵順にかまわず、私は小芳を抱いたまま雨の中を駆け出す。「姉さんっ!」と、恵順の呼ぶ声が暗闇に響く。
走るたびに、裳裾が泥塗れになって汚れる。
恩玲さんと、宇音先生なら――。
「小芳、もう少し我慢して……絶対、助けるから」
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