第37話 嫌がらせ
「お前は、もう来なくていいぞ」
そう、お店から言い渡された私は、翌日から饅頭売りに戻っていた。
「だから、お嬢様には無理なんですよ。酒楼で働くなんて」
「あの周文雄に絡まれなければ、問題なく続けていられたわよ……」
私は小芳と一緒に荷車に腰掛けて、頬杖をついていた。小芳も私の真似をして頬杖をつきながら、一緒にため息を吐いている。
「それにしても、今日は少しも売れないのね」
もうそろそろお昼になるというのに、買ってくれる人は一人も現れない。それどころか、道行く人たちはなぜか目を合わせようとせず、避けるように通り過ぎていく。呼びかけると、慌てたように逃げていってしまった。
その様子が、いつもと違うことに気づいて私は首を傾げる。明々も、「ほんと、そうですね……」と心配そうな顔をしていた。
「ちょっと、お嬢さん……」
小声で呼びかけられて振り返ると、店と店の間の狭い路地からサンザシの飴を売っているおばさんが、手招きしていた。おばさんは人目につかないように辺りをキョロキョロと見回している。
私は明々と顔を見合わせてから、立ち上がっておばさんのもとに向かう。
「おばさん、どうしたの?」
「あんた……周知事のところの息子を、随分と怒らしちまったみたいじゃないの」
「昨日のこと、もう噂になっているの?」
私は驚いて声を抑えながら聞き返す。おばさんは「それどころか……」と顔を寄せて耳打ちしてきた。
「あんたのところで饅頭を買えば、ひどい目に遭わせてやると大声で言いふらしているみたいなのよ……」
「なんですって!?」
私は驚いて、つい声が大きくなった。それで、街の日とはみんな私たちのことを無視して通り過ぎていったんだわ。みんな周文雄の報復を怖れているのね。仙睡楼の仕事を急にクビになったのも、きっと周文雄が何か言ったからだわ。なんて人なのよと、私は眉を吊り上げる。
「昨日のことは私が悪いんじゃないわよ。あの人が勝手に酔っ払って絡んできたんだから」
それに、追い払ったのは私じゃない。あの瑞俊という人と一緒にいた楽雲さんだ。
「とにかく、気をつけるんだよ。しばらく、この街には来ない方がいいかもしれないね」
おばさんは、私の腕を軽く叩いて立ち去る。親切に忠告してくれたのね。私はため息を吐いて荷車のところへと戻る。
「何を話してたんです?」
「今日はもう、肉まんを買ってくれる人は現れなさそうよ。片づけて帰りましょう」
明々は「え?」と、目を丸くする。
私たちが片付けをしていると、「おい、お前」と肩をつかまれた。振り返ると、周文雄が取り巻きを連れている。私は何か言おうと思ったけれど、その顔を見て呆気にとられた。
「あ、あなた……その顔、どうしちゃったの?」
周文雄の顔には、目の周りと顎に大きな青あざができていた。見るからに痛そうで、私は「うわっ」と自分の口もとに手をやった。
「どうしただと!? お前のせいで、ひどい目に遭わされたんだからな!」
周文雄は私に指を突きつけながら、怒鳴ってくる。けれど、急に寒気がしたのか身震いをして大きなくしゃみを連発していた。「わ、若君、しっかりしてください!」と、取り巻きが心配そうに倒れ込みそうになっている周文雄を後ろから支える。顔も若干赤いみたいだった。熱があるのかしら。
どうやら、あの楽雲さんに酒楼から連れ出された後、言葉通りひどい目に遭わされたみたい。きっと、川にも放り込まれたのね――。
「熱があるなら、家で大人しく寝ていればいいじゃない。なんなら、肉まんを食べる? もちろん、お代はいだきますけど」
せっかく親切で言ったのに、周文雄は「そんな犬の餌が食えるか!」とツバを飛ばしながら言い返してきた。おまけに私の目の前で、「ヘックシュンッ!」と大きなくしゃみをした。
犬の餌とは失礼してしまうわね。私は顔をしかめる。
「ひどいのはこっちの方よ。私がいったい何をしたって言うの? 言いがかりはやめてちょうだい。あなたが、街中の人たちにうちの肉まんを買わないように脅しているのは知っているんですからね! 言いたいことがあるなら、直接言えばいいんだわ。卑怯な真似をするなんて、男らしくないわよ」
「卑怯な真似だと!? 当然のことだろう。この俺を侮辱したんだ。二度とこの街で商売できないようにしてやる。お前の作った肉まんなんて、買うやつは一人もいあに。俺を怒らせるとどうなるか、思い知ればいい」
周文雄は腕を組んで偉そうに言ってくる。けれど、鼻水が垂れているから威厳なんて少しもない。こんなおバカさん、誰が怖いものですか。私も腕を組んで、張り合うようにフンッと顎をしゃくる。
「嫌よ。あんたが何をしようと、私は諦めたりしない。何一つ悪いことをしていないのに、謝る必要がある? 肉まんだって、美味しければ買ってくれる人はいるわ。あんたの言いなりになる人ばかりじゃないのよ。父親が偉い役人だからって、あんたまで偉いと思ったら大間違い。調子に乗っていると痛い目を見るのはそっちの方よ!」
「お、お嬢様、あまり言い返さないほうが!」
明々は私と周文雄の顔を交互に見て、おろおろしながら言う。小芳は、「ほうよ~っ!」と私の真似をして周文雄に小さな人差し指を向け、頬を膨らませている。まったくかわいいったらない。私は「ねー」と、小芳と一緒に笑みを作った。
「おい、女っ! 文雄さんが寛大だからって、生意気ばかり言ってると承知しないぞ!」
「文雄さん、この女、思い知らせてやりましょうよ」
そう、取り巻きの男たちが息巻く。通行人たちが足を止めながら、ザワザワしていた。
「せっかく、俺が謝る機会を与えてやったというのに……」
周文雄は苛立たしそうに言う。いったい、いつそんな機会を与えてくれたって言うのよ。
「まだ、わからないなら、わからせてやる。後悔しても遅いからな!」
文雄は「やってしまえ」と、取り巻きたちを促す。わっと私たちを取り囲んできた取り巻きたちは、荷車に積んであった蒸籠をつかみ、中に入っていた饅頭と一緒に地面に投げ捨てる。
「ああっ、ちょっと、何するのよ! やめてよ!」
私が止める声など、面白がっている取り巻きたちは少しも聞いていない。明々が「やめてください!」と、泣きそうな顔をして男の袖をつかむ。けれど、男は「うるせえ、退け!」と明々をはね除け、荷車の柄をつかむ。
他の取り巻きたちも手伝い、とうとう私たちの荷車をひっくり返してしまった。私は泣き出した小芳を抱きかかえ、ギッと文雄を睨み付けた。
「お饅頭台無しにしたお代を払いなさいよ! これは犯罪だわ!」
「犯罪だと!? だったら、訴えてみろ。俺の親父が逆にお前を捕まえて、牢にぶち込んでくれるさ」
文雄は私の両肩を乱暴に突き飛ばした。私は小芳を抱えたまま後ろにふらついて、「キャッ!」と尻餅をつく。
「お嬢様!」
明々が慌ててやってきて、そばにしゃがんだ。
もっと言い返してやりたかったけど、これ以上怒らせると明々や小芳にまで乱暴をするかもしれない。そう思うと、私は何も言い返せなかった。
文雄と取り巻きたちは笑いながら、饅頭を蹴っ飛ばして去って行く。
無残に散らばったお饅頭を見て、私は涙ぐみそうになった。朝から明々と一緒に作ったお饅頭だ。小芳も手伝ってくれた。それをこんなふうに――。
野良犬が駆け寄ってきて、饅頭をくわえて逃げていく。本当に、犬の餌にしちゃうなんて。許せなくて、私はギュッと唇を噛んだ。
「お嬢様……しばらく街でお饅頭を売るのはやめましょうよ。他に稼ぐ方法はきっとありますよ。なんなら、私がもっと畑を増やしますから」
「そうね……少し考えなきゃいけないかも。畑は私も手伝うわ」
私はよろよろと立ち上がり、お饅頭や蒸籠を拾い集める。小芳はその間も、怖かったのかずっと私にしがみついて泣き続けていた。
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