第36話 二人きり――。

 美男子が私を連れて部屋に現れると、琵琶を抱えた楽師の女性が慌てたように立ち上がる。「外してくれ」と美男子が命じると、すぐさま部屋を出て行ってしまった。

 私は、「い、行かないで~~」と、泣きそうになる。

 戸がパタンと閉まると、二人きりになってしまった。


「あ、あの私なんか、かまうよりさっきの美人の人と戯れていた方がずっといいと思うんですけどっ!」

 私は必死に訴えてみたけど、美男子は無言のまま私を奥の部屋に連れて行く。ギョッとしたのは、大きな寝台がそこにあったからだ。


 突き飛ばされて私は「うぎゃっ!」と、色気のない声を漏らしてしまう。飛び起きて逃げようとしたけれど、その前に両腕を押さえつけられ、覆い被さられてしまった。


「へ、変なことしたら、ひ、悲鳴を上げるわよ!!」

 私はなんとか逃れようともがきながら、甲高い声で言った。いくら美男子でも、こ、こんな無体なことが許されると思ったら大間違いよ。これなら、あの豚饅頭――ならぬ、周文雄のほうがまだましというものだわ。


 ちょっとでも服に手を入れようとしてきたら、噛みついてやるんだから。私は顔を強ばらせて、ギッと美男子を睨み付ける。

 けれど、相手は力強くて私は身動きできない。

 う、うわーん、恩玲さん、助けて~~~っ。


 なんて、言っても恩玲さんが駆けつけてくれるわけがないのはわかっている。あの人は山から出られない。私がこんな目に遭っていることも知らない。もちろん、知っていたら絶対、なにを置いても助けにきてくれる。


 恩玲さんはあの豚饅頭――じゃない周文雄や、この顔のいい獣馬鹿とは違うんだから。

 美男子は私の腕から、スッと腕輪を引き抜くと、少しだけ押さえつける力を弱めた。


「ああっ、返してよ。それは私の命よりも大事なものなんだから!!」

 私は体を起こし、美男子の服の袖を引っ張った。

「これを誰からもらったのか、素直に教えるなら返そう」

「そ、そんなの決まってるじゃない。私の愛する……こ、婚約者よ! 将来を誓い合った証にくれたんだから。盗んだものでも、拾ったものでもないわよ!! わかったら、返してちょうだい!!」


 私は必死に彼の手から腕輪を取り戻そうとした。意外にも美男子は大きく目を見開いて、驚いた顔をしている。

「婚約者……」

「な、なによ。悪い!? 私にはもう心に決めた人がいるんですからね! 気安く触らないで!」

 私はいささか唖然としている美男子の手から、パッと腕輪を抜き取り、しっかり襟の中に押し込んだ。腕につけていると、また取り上げられかねない。


「婚約者……っ」

 彼は独り言のように繰り返してから、顔を片手で押さえる。私は急いで寝台の端に逃げると、ギュッと膝を抱きかかえた。その間、美男子は笑い続けている。


「な、なによ、わ、私に婚約者がいたら、おかしいって言うの!?」

 私だって年頃の娘で、もう結婚していてもおかしくはない。

「いいや、確かにその通りだな……君、名前は?」

 笑うのをやめると、美男子は急に改まったようにきいてくる。一瞬、名乗るのを躊躇ったけれど、答えなければすぐに帰してくれないかもしれない。私は早く、この部屋から逃れたかった。


「わ、私は……杜……杜梨花よ!」

 そう答えると、美男子は「杜梨花」と繰り返す。

「そういう、あ、あなたは……だ、誰なのよ。人に名前を聞いたんだから、自分も名乗りなさいよ!」

 美男子って名前で呼ぶのも、疲れるのよ。


「ああ、これは失礼した」

 美男子は寝台を下りて私のそばにやってくる。逃げようとする私の手を取ると、彼はあろうことか唇に運ぶ。 手の甲に唇がそっと触れて、私は仰天した。

「私は、瑞俊。驚かして悪かったね。けれど、どうしても確かめておかなくてはならなかったんだ」

 まっ赤になってポカンとしている私に、彼は悪戯っぽく微笑んだ。


「わ、私は……私は…………こ、婚約者がいるって言ったでしょ――――っ!!」

 寝台の枕をつかんで、私は瑞俊と名乗った美男子に叩き付ける。本当は婚約なんてまだしていないけれど、いずれはきっとそうなるんだから、少しくらい大げさに言ってもかまわないわよね。これは、身を護るためよ! 

 だから、きっと恩玲さんも許してくれるはずだ。


 枕は美男子の顔にバフッと当たる。

 彼は咄嗟に受け止めた枕を見て、「私に枕を叩き付けた女性は初めてだ」と目を丸くしている。

「それはよかったわね。次は花瓶を投げつけてやるから! わかったら、もう二度と気安く触れないで!」

 私は指を突きつけて言うと、寝台を飛び降りて部屋を飛び出す。廊下に出ると、襟元を押さえて深呼吸した。


 この腕輪はやっぱり、部屋にしまっておくほうがいいわね。いつもつけていたかったけれど――。

 私はすっかり乱れてしまった髪を急いで整えると、急ぎ足で階段を下りる。あまり戻るのが遅いと、サボっていると思われるじゃない!


 まったく、これも全部あの美男子、瑞俊のせいだ。

 もう二度と、近付かないようにしようと私は心に誓った。

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