第34話 酒楼で敵情視察

 春節も終わり、街も人もすっかりいつもの日常に戻った頃、私はというと――酒楼で働き始めていた。 その酒楼というのが、あの高級フカヒレ入り肉まんと、鮑入り肉まんを売っていた仙睡楼だ。


 その仙睡楼の表に、臨時雇いの募集が出ていたのを見て私はすぐさま応募した。

 どうやら、人手が足りいみたい。儲けているくせに、賃金をケチるからだわ。

 私の肉まんは、このところさっぱり売れなくなってしまった。


 その理由はこの仙睡楼が、店の表で毎日のように肉まんを売り始めたから。春節でたくさん売れたから、調子に乗っているのね。


 みんな、仙睡楼の肉まんを買っていくから、私たちが作る肉まんには目もくれない。毎日、余るようになってしまって、売り上げもすっかり減ってしまった。

 こうなったら、あの店よりおいしい肉まんを作るしかないじゃない!


 そうなれば、まずは敵情視察よ。あの、気前のいい美男子がくれた資金もすっかり使い果たしてしまったし、また元手を稼がなければお肉も買えないじゃない。また、あんまんだけになってしまうなんて駄目よ。私はなんとしても、肉まんを売るんだから!


 もちろん、あんまんも好きよ。あんまんも好きだけど――肉まんにはやっぱり代えがたい。うちの目玉商品だ。


 明々に話すと、「お嬢様が酒楼で働くなんて無理ですよ! それなら私が行きます!」と大反対された。明々は何度か酒楼で働いたことがあるみたい。だから大変さもよくわかっている。でも、明々にはお爺ちゃんや小芳の面倒を見てもらいたい。それに、毎日饅頭売りに付き合わせていたけれど、家の畑の世話もしている。


 私は「大丈夫よ! 接客業にはなれているもの」と、私は胸を叩いた。これでも、前の世界では、コンビニでバイトをしていたし、夏休みにファストフード店でバイトをしていたこともある。


 私は学校の勉強はさっぱりだけど、意外とお店では手際がいいし、覚えも早いからと、店長や先輩に褒められることも多かった。働くのは嫌いじゃない。むしろ、楽しいから好きだった。なによりも、お給料がもらえるもの。せっかくだから、しっかり稼がないとね!


 といっても、こちらの私は酒楼の仕事は未経験。簡単には雇ってもらえないだろうと思ってた。けれど、面接を受けてみると、あっさり受かってしまった。

 それも、すぐに働ける人が必要だったからみたい。よっぽど人手が足りなかったのね。私は翌日からお店で働き始めたけれど、ようやくその理由もわかった。


 どうやら、仙睡楼は高級酒楼で儲けているのに、ドケチでお給料が他に比べて安いみたい。

 別の酒楼に引き抜かれた人が大勢いるらしく、すっかり人手が足らなくなってしまったのね。店で働いている他の子たちも不満たらたらで、「私も辞めようかな」なんて話していた。


 仙睡楼で働き始めて十日ほどが過ぎて、少しばかり仕事にも慣れて、要領もわかってきた。私の仕事は、料理の注文を取って、料理を運んで、お客さんが帰れば片付けをすること。本当は厨房の手伝いの方が良かったんだけど、お客さんの接客に回された。これじゃあ、肉まんの秘密がわからないじゃない。


 そう思ったけれど、厨房に出入りすることはあるし、厨房の人とうまく仲良くなれば、作り方の秘訣を教えてもらえるかもしれない。

「梨花ちゃん、これ、お願いね!」

 私は先輩の女性から、料理の皿を渡されて「はいっ!」と元気に返事をする。

 酢豚と、焼売だ。できたてで、ホワホワと湯気が立っている。

 酢豚の甘酸っぱい香りに、私は「おいしそう……」と思わず漏らした。


「つまみ食いしちゃ、駄目だからね~」

 ニヤッと笑った女性に注意されて、「しませんよ!」と慌てて首を横に振る。


「ああっ、でも……上で宴会しているお客さんなら、料理はほとんど手つかずだから、帰る時余ってたらこっそり持って帰ってもいいわよ」

 そう、女性は私に耳打ちする。仙睡楼は三階立てで、特別なお客さんや、予約客は上の階の個室に案内される。三階の部屋は内装も豪奢で、宿にもなっているようだった。


 宴会をしているお客さんたちはお酒ばかり飲んでいるから、料理はいつも余ったまま厨房に帰ってくる。それはみんな、こっそり持って帰っていた。

 肉まんも余らないかしらねと、私は密かに考える。持って帰って、うちの肉まんとどう違うのか、じっくり研究しないと!


 私は酢豚と焼売を一階のお客さんのところに運んだ後、すぐに厨房に引き返す。「これ、上の階!」と、すぐにお酒が載っているお盆を渡された。


 今日は二階も三階も宴会のお客さんがいるから、大忙しだ。休む暇もなく、みんな動き回っている。

 私は返事をして、徳利を落とさないように気をつけながら階段を上がっていく。上の階では、琵琶や胡弓の優雅な音色と、女性たちの笑う賑やかな声も聞こえた。


 お酒を注文したのは、二階の一番奥の部屋のお客さんだ。随分盛り上がっているみたいで、騒がしい声が聞こえてくる。


 私が廊下を歩いていると、その部屋の戸が開いてふらつきながら男性が出てくる。すっかり酔っ払っているその相手を見て、私は「うっ」と嫌な顔をしてしまった。


 周知県のどら息子、周文雄だ。顔を合わせたくなくて、私はクルッと足の向きを変える。すぐに立ち去ろうとしたけれど、どうやら遅かったみたい。

「なんだ、杜家の娘じゃないか。酒楼なんかで、なにをやってるんだ? ああっ、そうかあの犬の餌みたいな饅頭を売るのをとうとう諦めてここで働くことにしたんだな。いい心がけじゃないか」


 ふらふらしながらやってきた周文雄は私の肩に、遠慮なく腕をかけてくる。酒臭い息が顔にかかって、私はげんなりして腕を払い退けた。


「お客様、他のお客様のご迷惑になりますので、おやめください」

 私はそっけなく言って、すぐに立ち去ろうとした。けれど、「待てよ、どこに行くんだ?」と、周文雄は私の腕をつかむ。


 乱暴に引っ張られて、私は「やっ!」と声を上げた。揺れた拍子に、徳利が倒れてしまう。慌てて直したけれど、お酒がこぼれてしまった。

「ちょっと、やめてと言ってるでしょう!」

 私はこの柄の悪い酔っ払い男を、ドンッと突き飛ばした。

 足下がおぼつかなかった周文雄は、ふらついたあげくにドスッと尻餅をつく。ふんっ、ざまあみろよ。私は顎をしゃくって、軽蔑の目で見下ろしてやった。

 お酒のせいで赤くなっていた周文雄の顔が、ますます赤くなる。


「こいつ……っ! 俺はお客だぞ! よくもその俺に……っ!」

 立ち上がってきた周文雄は私の胸ぐらにつかみかかってきた。おかげでお盆をひっくり返し、お酒の徳利が全部床に落ちて割れてしまう。


「ああっ、ちょ……っ! どうしてくれるのよ! あんたのせいで怒られるじゃない!」

「怒られる? 当然だ。お客に口の利き方も知らないような無礼な店員なんて、すぐにクビになる。それより、俺を突き飛ばしたんだ。膝をついて謝れ!」

 大声で喚きながら、周文雄は私を両手で突き飛ばす。「キャアァ!」と私は思わず声を上げた。

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