第23話 新しい家族

 宇音先生に教えてもらった通り、川沿いの肉やに向かっていると、柳の木のそばにしゃがんでいた女の子がパッと立ち上がって駆け寄ってきた。


「あら、あなた……この前の子じゃない」

 先日、あの性悪の周文雄に蹴っ飛ばされてひどい目にあっていた子だ。あんまんをあげた私の顔を、覚えていたみたい。

 ニコーッと嬉しそうに笑うと、女の子は私の服の袖をクイッと引っ張る。ほっぺは汚れているけど、お餅みたいに白くて柔らかそうだ。


「あなた、お名前は? お父さんか、お母さんは一緒?」

 私がしゃがんで尋ねると、女の子は笑顔のまま首を横に振る。

 お父さんも、お母さんも、いないってこと――なのかな?


 服も汚れていて、靴も履いていない。もしかして、家がない子なのかも。私がそう思っていると、「小芳、こっちにおいで」と呼ぶ声がした。

 振り向くと、サンザシの飴を売っていた女性が手招きしている。私は小芳と呼ばれたその子の手を引いて、女性のもとに向かった。


「ごめんなさいねぇ、お嬢さん。その子は誰にでもくっついていくもんで」

「あの……この子は?」

「小芳っていうんですよ。両親がなくなってしまって……薄情な親戚はほったらかしで、面倒を見ようともしない。まったく、ひどい話ですよ!」

 女性は深くため息を吐く。


「それじゃあ、一人で……?」

「ええ……街の外れの廃廟で寝起きしているみたいで……私も何とかしてやりたいんですけど、うちも子どもが多くてねぇ……」

「他に誰か世話をしてくれるような人もいないんですか?」

「それが……この子の両親がちょっと訳ありで、街の者はみんな関わりたがらないんですよ……」

 言葉を濁す女性に、私は「訳あり?」と聞き返した。


 女性は「あまり大きな声では言えないんですけどねぇ」と、声をひそめる。

「この小芳の両親は、小さな茶店を営んでいたんです。それはもう、人が羨ましがるくらいの仲のいい夫婦でしたよ。ところが、周知県が小芳の母親を気に入りましてね……無理矢理妾にしようとしたんです」

「周知県って、あのお妾さんが十人もいる人でしょう? それなのに、どうして結婚をしている小芳のお母さんにまで手を出そうとするの?」

 私はびっくりして思わず声が大きくなった。


「小芳の母親はそりゃあもう、街での評判の美人でしたから……」

 女性は口もとに手をやって、辺りを用心するように見回す。

 私は「息子も息子なら、父親も父親だわ」と、すっかり呆れ果てた。

 小芳は柳の木のそばにしゃがんで、女性からもらったサンザシの飴を美味しそうに頬張っている。


「小芳の母親は、もちろん嫌がったんですけど……屋敷に無理矢理連れて行かれましてね。翌日には……なくなってたんですよ」

 女性は小芳には聞こえないように、顔を寄せてヒソヒソと話してくれた。小芳の父親はそれを知って悲嘆にくれ、どうしてなくなったのか真相を調べてくれるように訴えを起こしたけれど、取り上げてもらえないどころか、逆に殺人の濡れ衣を着せられて捕らえられてしまったのだとか。


 その上、獄中でなくなったのだという。自殺ということになっているようだけど、本当はどうだかわからない。街の者たちは、知県の周文達を怖れて事件のことには口を噤んでいるみたいだった。


 家屋敷も没収され、残された小芳はこの通り行き場もなくなり、面倒見てくれる人もいなくて、今日まで一人で生きてきたのね――。

 私は、「飴のお代は払います!」言ったけれど、女性は「これくらいしか、あたしにはしてやれないから」と笑って首を横に振った。


 小芳の手を引いて、私はこの子が寝起きしている街外れの廃廟に向かった。

 竹が鬱蒼と茂っている道を通り抜けると、崩れかけた塀が見えてくる。『文帝廟』と額が掲げられていたけど、雨風に晒されて文字が薄れ、今にも落ちてきそうだった。


 こんな寂しい場所に、こんな小さな子が一人で寝起きしていることに胸が痛んでくる。けれど、小芳は笑顔で私の手を引っ張った。

 中に案内してくれるつもりなのだろう。門をくぐると、穴だらけの屋根の小さな廟が建っていた。外れた扉が、風に吹かれて揺れている。


 暮れかけた空から、雪が落ちてきた。

 私は冷たくなっている小芳の小さな手をしっかりと握る。

 雨の日や、風の強い日は、どうしていたのだろう。寒くて凍えそうな日もあるのに、暖はちゃんととれているのだろうか。


 お腹が空いても、食べるものもなさそう。だから、通りすがりの人の服を引っ張って、何か恵んでもらっているんだ。私は涙がこみ上げそうになる。


「ねぇ……小芳」

 私は声を詰まらせながら呼びかける。小芳は不思議そうな目をして私を見上げていた。

「うちに来る……?」

 うちも決して裕福ではない。明々のお給金だって払えない。

 弟が勉強するための本も買えない。お爺ちゃんだっている。

 

 それでも、私はこの小さな手を離せなかった。だって、このままこんな寒い場所で一人っきりで生活していたら、そのうちに病気になってしまう。

 風邪をひいても、世話をしてくれる大人もいない。

 小芳は少し目を丸くしてから、ニコーッと嬉しそうに笑って頷いた。



 宇音先生に教えてもらったお肉やさんで、大きな肉の塊を買うと、私は大通りに戻る。荷車のそばで待っていた明々が「お嬢様!」と、心配そうな声を上げた。


「どこに行ってらしたんです? 随分遅いから……探しに行くところでしたよ」

 明々はそう言ってから、「あら?」と私が手を引いている小芳に目をやる。

「その子……この前の?」


「小芳って言うの。今日から、うちで雇うことにしたから」

「うちで雇う!? で、でも……お嬢様……」

 明々はびっくりしたように、私と小芳の顔を交互に見る。戸惑っているのは表情からわかる。


「わかってるわよ……うちにそんな余裕がないことは……でも、家もない子だし……両親もいないの。その分、私がしっかり肉まんで稼ぐから! それに、明々にも手伝いがいたほうがいいと思うの!」

 私は拳を強く握って説得する。


「それはそうですけど……本気なんですか?」

「もちろんよ!」

 私は任せてちょうだいと、自分の胸を強く叩いた。


 明々は「仕方ないお嬢様ですね」と、ため息を吐いて苦笑する。

「わかりました。お嬢様がそのおつもりなら、私も文句は言いません。でも……雇うからには、私がしっかり役に立つように教育しますからね! それはもう、厳しくしますから」

「ええ、任せるわ。明々なら、絶対大丈夫だもの」

 私は笑顔で答えてから、「お饅頭、少しは売れた?」と、尋ねてみた。


「見ての通り、さっぱりです」

「じゃあ……今夜のお夕飯はこのお饅頭ね」

「お嬢様のほうは、お肉は手に入ったんですか?」

「もちろんよ。それもいいお肉よ!」

 私は紙包んで紐でしばってあるお肉の塊を明々に見せた。

 もうすっかり日暮れだ。私は小芳を荷車に乗せると、明々と一緒に押す。


「子どもを連れて帰ってきたなんて知ったら、恵順が仰天するわね……」

「なんて説明するんです?」

「そうね……帰りながら考えるわ」

 なんとかなるわよと、私は楽観的に笑った。心配ばかりしていても仕方ないもの。

 

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