第22話 私の知らない事情

 翌日も東花鎮に向かった私は、明々に荷車を預けて、食材を買いそろえるために通りを歩いていた。明々は「私が行きましょうか?」と心配そうにきいていたけど、買い物くらい私にだってできるわよ。私の懐の巾着には、気前のいい美男子がくれた金が入っている。


「欺されて、ぼったくられたりしないように気をつけなきゃ」

 私は胸に手をやって、独り言をもらす。昨日、あれから明々と一番高いお宿に饅頭を届けたけれど、あの人はまだ帰っていなかったみたいだった。でも、宿の人に聞けば、数日前から滞在しているみたい。都から来た人じゃないかって、宿の人は話していたけれど、どういう人なのかまではわからなかった。


 身なりもいいし、お金持ちそうだったから、立派な商家の息子とかなのかもしれない。後ろに連れていた強面の男の人は、きっと護衛かお目付役ね。

「商売のためにきたのかしらね……」

 しばらくいるみたいだから、またどこかでばったり会うかもしれない。その時には、ちゃんとお饅頭のお礼を言わなきゃいけないし、あわよくばまた買ってくれないかななんて、調子のいいことを考えながら、私はとろとろと歩いていた。

 大通りが賑やかなのは、春節が近いからね。切り絵や、縁起物の飾り、焼き菓子や揚げ菓子を売るお店が並んでいて、人が集まっていた。

 私は「お肉屋さん、探さなきゃ」と、通りを見回す。


 その時、店に入っていこうとする少年を見かけて、「あっ」と追いかけた。

「宇音先生!」

 店の扉を開きかけていた宇音先生が私の声で振り返り、露骨に顔をしかめる。

「また、お前か……」

「そう、邪魔者扱いすることないじゃない。宇音先生こそ、何をしてるの? お買い物?」

 私は店の看板に目をやる。

「あら、書店なのね」

 私を無視すると、宇音先生はさっさと中に入っていく。


 私は気になって、その後に続いて店に足を踏み入れた。表の通りは賑やかだけど、店は他にお客さんもいなくて、シンッとしていた。

 狭くて薄暗く、棚には本が積まれている。


 宇音先生が「店主」と、呼びかけると奥の部屋から老人が顔を出した。

「注文していた本を取りに来た」

 店主は「ええ、届いております。少々お待ちを」と、勘定台の後ろの棚から数冊の本を取る。


 私はその間、棚の本を眺めていた。恵順を連れてきてあげたら喜びそう。せっかく昨日は思いがけないお金が入ったんだから、一冊くらい買って帰ってあげたい。

 そう思ったけれど、私には恵順がほしがる本なんてわからない。それに今は無駄遣いはできない。もっと稼げるようになったら、連れてこようと心に誓う。


 私は本を包んでいる宇音先生の隣に行く。

「それって、恩玲さんの本? 宇音先生が、いつもこうして買ってきていたのね」

 恩玲さんって意外とお金持ちなのかしら。山の管理人だから、お給金は入るだろうし。他にお金を使うこともないから、本を読んでいるのかもしれない。

 宇音先生は小うるさそうに私を睨んだだけで、無言のまま店を出る。私は店の主人に頭を下げ、急いで後を追いかけた。


 私が隣に並ぶと、宇音先生はようやく口を開く。

「なんだって、ついてくるんだ?」

「いいじゃない。せっかく、街で会ったんですもの。次はどこに行くの? 荷物を持つのを手伝うわよ」

 私は一緒に歩きながら、ニコッと笑った。


「そっちこそ、なんで街なんかにいるんだ……」

「お饅頭売りをしてるの。昨日はお饅頭が全部売れたんだから。すごいでしょう?」

 といっても、お情けで買ってもらったようなものだけど。

「だったら、さっさと饅頭を売りに戻ればいいだろう」

「それは明々に任せているから平気よ。明々はしっかりものだし。それに、私は買い出しをしなきゃいけないの」

「買い出し?」

「明日から、肉まんを売るんだから」


 上機嫌に答える私を見る宇音先生の目はすっかり呆れてる。売れやしないと思っている表情だった。

「そうだ、宇音先生。角煮の割包の作り方、教えてほしいの。ものすごくおいしかったから! あれなら、絶対売れるわ」

「嫌だっ、そんな暇なんかあるか」

 宇音先生は通りを曲がりながら、プイッとそっぽを向く。


「作っているところを一回見せてくれるだけでもいいわ。邪魔をしないから!」

「そんなもの、本を読めば書いてあるじゃないか」

「うちには料理の本なんて一冊もないわよ。宇音先生が、貸してくれる?」

 入り組んだ細い道を進む宇音先生の足どりには、迷いがない。いつも通っている道みたいだった。


「宇音先生は、山から出られるのね……」

 私がポツリと呟くと、先生の足が急に止まる。

「お前は……何にも知らないんだ」

 眉間に皺を寄せた先生は、私を振り返って言った。


「知らないから知りたいのよ」

 恩玲さんは、あの山から出られないみたいだった。管理人で、規則が決まっているのかもしれない。かわりに、こうして宇音先生が代わりに街まで出て、用事をすませているのだろう。


「お前が周りをうろつくだけで、若君に迷惑がかかるんだ。分かってないくせに……気楽にやってくるな」

 宇音先生は近くの店に足を向ける。

 そこは薬屋さんみたいだった。中に入ると、勘定台で帳簿をつけていた店主が「いらっしゃいませ」と、声をかけてくる。


「ここにある薬材を揃えてくれ」

 宇音先生は店主に紙を見せる。

「調合はどういたしましょう?」

「それはいい……こっちでするから」 

 店主は「少々お待ちを」と、棚から薬の材料を取り出して紙に包んでいく。


「もしかして、恩玲さんはどこか具合が悪いの?」

 私が不安になってきくと、宇音先生がため息を吐く。うるさいと思っているのだろう。

「あんな山の中じゃ、すぐに医者に診せられないから、備えているんだよ」

「ああ……そうね……風邪をひいても困るものね」

 私は「宇音先生が、薬を調合しているの?」と、尋ねた。


「それくらいできなきゃ、お世話なんてできない」

「すごいのね……」

 どうやって勉強したのだろう。本を読んで独学だろうか。それとも、薬屋の人に聞いて学んだなのだろうか。どちらにしても、宇音先生は勉強熱心で役に立つことをたくさん知っている。

 それだけ、苦労もしたのかもしれない。


 店を出ると、宇音先生は立ち止まって私のほうを向く。

「もう、ついてくるな」

「用事は終わったの?」

「……肉やに行くなら、東門の近くの肉やより、川沿いの肉やの方が新鮮だからそっちの方がいい」

 ふいっと顔を背けて言うと、宇音先生はさっさと立ち去ってしまう。


「口は悪いけど、親切なのよね……宇音先生」

 私は店の前で佇んだまま呟いた。

 そろそろ食材を買って戻らないと、明々が待ちくたびれているだろう。

 

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