第21話 助けてくれたのは、謎の美男子

 雪が降り始めた空を、私はため息まじりに眺める。

 東花鎮まで荷車を押してやってきたのに、今日もまたお饅頭は一つも売れなくて、呼びかけもしないで道の隅っこにこうして座っているだけだ。


 明々はさっきから、「お饅頭はどうですかー?」と頑張って通りかかる人たちに声をかけている。けれど、立ち止まる人はいなくて、やっぱり諦めたように戻ってくると、「一つも売れませんねぇ……」とがっかりしたように言って隣に腰を下ろした。


「世の中、そんなに甘くはないわよね……」

 私がぼやくように言うと、明々は「そうですね……」と頷いた。

「お嬢様、こんなことしてても風邪をひいてしまうだけですよ。お屋敷に戻って温かいお茶でも飲んでいたほうが……」

 私だって、明々のいれてくれる温かいお茶とお菓子で、火鉢にあたりながら温もっていたいけれど、少しでも稼がないと、もうじきやってくる春節も、ひもじいものになってしまう。せめて、来年の春節には少しばかり、ご馳走を食べたいじゃない。そのためにも頑張らなきゃ。私は「そうはいかないわよ」と、立ち上がった。


「お饅頭~っ! 甘くてフカフカのお饅頭はいかがですか~!」

 そう声を張り上げてみても、みんなうるさそうに避けて通り過ぎていくだけ。

「こんなことで、心折れてたまるものですかっ!」

 私は拳を握って自分に言い聞かせる。今日のお饅頭は割れながらよくできたんだから。

 負けずに呼びかけていると、ゲラゲラと下品な笑い声を上げてやってくる青年たちの姿が目に入る。


 あっ、あれは、周家のどら息子じゃない!

 私も明々も顔を見合わせ、急いで荷車の陰にしゃがんで身を隠した。目を合わせれば、またどんな因縁をつけられるかわからない。関わらないのが一番だ。


「お嬢様、またあいつらが何か言ってきたら……」

「大丈夫。今日は麺棒を持ってきたから!」

 私は明々と小声で話しながら、懐に隠していた麺棒をさっと取り出す。明々が「いつの間に!」と、驚いた顔をする。街は人が多くて危険なんだから、用心するに越したことはないわ。私も明々もか弱き女なんだから。


 ジッとして周家のどら息子と取り巻きが立ち去るのを待つ。このまま、気づかないで行ってくれたらいいけど。そう思っていると、「おいっ、汚い手で触るな!」と怒鳴るような声が聞こえた。


 急に通りが騒がしくなる。私と明々は様子を確かめようと、荷車の陰からコソッと顔を覗かせた。

 周家のどら息子、周文雄の派手で悪趣味な服の裾をつかんでいるのは、五歳か、六歳くらいの粗末な服を着た女の子だった。痩せ細っていて、体つきも小さい。


 周文雄は嫌そうに顔をしかめ、その子を乱暴に突き飛ばす。ドサッと倒れたその女の子を、取り巻きの一人が「あっちに行け!」と蹴り飛ばしていた。

 その姿を見ていてもたってもいられずに立ち上がると、明々がギョッとしたように、「お嬢様!」と声を抑えて呼んだ。

「ちょっと、あんた!」

 私が綿棒を突きつけて大声を上げると、通りを歩いていた人たちも、周文雄とその取り巻きたちも振り返る。


「なんだって、ひどいことをするのよ!」

「お、お嬢様~~~っ!!」

 明々はあたふたして立ち上がり、私を止めようとするように服の袖を引っ張ってきた。だけど、これを見過ごせるはずもない。だって、私たちが言わなければ、他に誰も言わないじゃない。歩いている人たちも、店から出てきた人たちも、相手が周家のどら息子だとわかると、顔を背けてそそくさと逃げていくばかり。見て見ぬふりをしている。私は正義のヒーローでもなんでもないけれど、こういうことは見過ごせない。


「なんだ、杜家の娘か。またあの石みたいに硬くてまずい饅頭を売っているのか」

 周文雄は偉そうな態度で、私の方に歩いている。まったく失礼ね! 

「ええ、そうよ。悪い!? あんたにはこの前、食い逃げしたお饅頭の代金だってまだ払ってもらってないんだから。さっさと払いなさいよ!」

 私は綿棒をしっかり握り締めたまま、言い返す。けれど、取り巻きをゾロゾロ連れてやってくるから、逃げ腰になって後ろに下がってしまった。

 明々は怯えたように私にしっかりとしがみついて、オロオロしている。


「この俺に、好き放題言うとは……いい度胸だ」

 周文雄は私の頭からつま先まで、ジロジロと眺め回しながらにやついた笑みを浮かべる。

「品はないし、口も悪いが……顔だけはマシだからな。どうせ嫁のもらい手もないだろう。なんなら、俺の妾にしてやろうか? そうすれば、こんな犬の餌みたいなくそマズい饅頭を売らなくても、何も不自由なく暮らせるんだ」

 荷車に積んでいた蒸籠の蓋を開くと、周文雄は饅頭を取り出す。私が睨んでいると、半分にパカッと割った饅頭を目の前で口に運んでいた。


 何も言えないだろうと、馬鹿にしているんだ。私はじわじわ怒りがこみ上げてきて、その頬を思いっきり張り倒してやった。パンッといい音がして、取り巻きの青年たちが仰天したように私と周文雄を交互に見る。


「こ、この女……っ! 若君になにしやがる!」

 袖をまくっていきり立つように声を上げたのは、取り巻きの青年だ。周文雄は何をされたのかすぐに理解できなかったのか、頬にくっきりと間抜けな手形を作ったままポカンとしている。


「なによ。綿棒で殴られなかっただけ、マシでしょう?」

 私は腕を組んで、フンッとそっぽを向いた。

「こ、この……俺を、打ったな……?」

 周文雄はようやく我に返ったのか、ヒリヒリしていそうな頬を押さえて、ゆっくりと振りかける。


「お、お嬢様に手を出さないでくださいまし!!」

 慌てたように、明々がバッと私の前に立ちはだかる。その声が怯えて震えていた。

「饅頭二個分のお代を払うまで、何度でもひっぱたいてやるわよ!!」

 私が声を張り上げて言うと、周文雄は顔をまっ赤にしながら明々を押しのける。髪を乱暴につかまれた私は、「キャアアッ!」とつい悲鳴を上げた。


「この女っ、この俺によくも屈辱を……っ!!」

 怒鳴り声を上げて私を道の真ん中まで引っ張っていこうとした周文雄の手を、横から伸びた手がパシッとつかむ。


「その手をすぐさま離さないと、君のその短い鼻がさらにみっともないことになる」

「なんだと!? 誰だ!?」

 周文雄が威嚇するにいいながら振り返った瞬間、その腕がねじ曲げられる。気づいた時には膝が蹴っ飛ばされて、無様に地面に倒れていた。

 

 私も明々も驚いて口もとに両手をやりながら顔を見合わせる。いつの間にか、道の周りには人だかりができていた。

「俺は周文雄だぞ! こんな……こんなことをして、ただですむと思ってるのか!?」

 地面にうつ伏せになったまま喚く周文雄を、涼しい顔のまま踏みつけたのは背の高い、やけに顔立ちのいい青年だった。

 だ、誰、このイケメン――と、私は唖然とする。

 二十歳を少し過ぎたくらいの年齢で、絹の高価そうな服装だった。人目で金持ちとわかる相手に、周文雄もさすがに一瞬怯んだようで大人しくなっていた。


 彼は銀の柄の細い剣を携えていて、手首には玉の腕輪までしている。

 そのうえ、彼の後ろには無表情の男が控えていた。大柄で、いかにも屈強そうな体つきだった。その男も、大きな剣を腰に刷いていた。


「楽雲、このうるさい豚饅頭を黙らせるには、どうするのが一番いいだろうね?」

 このどこの誰かわからない美青年は、周文雄の顔を踏みつけたまま楽しそうに尋ねる。

「はっ……舌を切り落とすのがよろしいかと」

「なるほど、そうか! そうすれば確かに静かになる」

 パチンと手を打つと、美青年は腰の剣に手をかける。

 それを引き抜こうとするのを見て、「うわあああっ!」と情けない声を上げたのは周文雄だ。


「だ、誰か、僕を助けろ! 助けてくれたら、金をやる!!」

 ジタバタと暴れながら必死になって叫んでいる。美青年はさすがに哀れに思ったのか、剣から手を離して足を退けてやる。取り巻きたちに引っ張り起こされた周文雄は「お、覚えてろよ! 生かしておかないからな!」と、ありふれた捨て台詞を泣きそうな声で喚きながら、一目散に逃げていく。その姿に、通りすがりの人たちも笑いを堪えていた。


 なんて見事な逃げっぷりなの。でもまあ、これで少しは大人しくなればいいのよ。

 そう思っていると、ギュッと服がつかまれた。振り向くと、先ほどの小さな女の子だった。指をくわえたまま、私の顔を見上げている。


「お腹……空かない?」

 私がきくと、女の子は大きく頷いた。私は蒸籠の中から饅頭を二つとると、しゃがんでその子の手に持たせた。

「誰も買ってくれなくて、余っちゃったの。もったいないから……もらってくれる?」

 私が言うと、その子は私をジッと見てからもう一度頷いた。それからニッと笑って、すぐに饅頭を大きな口で頬張る。よっぽどお腹が空いていたみたい。

 女の子が「ありがとう!」と、お礼を言って走り去るのを見送っていると、「ふむ……」と声がした。

 先ほどの美青年が、蒸籠の蓋を開いている。


「饅頭売りか……」

「そ、そうですよ。おいしい、お饅頭なんですから!」

 私が緊張しながら言うと、美青年はニコッと笑う。

「じゃあ、二つもらおう。楽雲。お前も食べるだろう?」

「甘い饅頭は苦手です」

 後ろに控えていた黒服の男は、生真面目な顔をして答える。その話を無視して饅頭を二つ取った美青年は、「お代だ」と私の手にお金を渡す。


「き……金!?」

 私は仰天して、「こ、これはもらいすぎよ!」と青年の袖を引っ張った。

「そうか? じゃあ、この饅頭は全部買おう。後で、宿に届けてくれ」

 そう言うと、青年は手をヒラヒラと振って去っていってしまった。

「って、ちょ、ちょっと、宿ってどこの宿なの!?」

 私は慌てて声を上げたけど、青年と男の姿は人混みに紛れてすっかり見えなくなってしまっていた。


「とんでもなく気前がいい人がいるものですね」

 唖然としたように明々が私の手に残された金貨を見る。

「そうだけど……どうすればいいの? この饅頭……」

 宿に届けろと言われたけれど、どこの宿かもわからないのだ。


「きっと、街で一番高い宿じゃないでしょうか?」

「そ、そうね。そこに置いて、さっさと帰ればいいわ」

 間違っていても、あの人は文句を言わないだろう。そもそも、宿の名前を言わずに去ってしまった方が悪いのだ。


「でも、このお金を元でにすれば、今度こそ……」

 私は拳を握って、にんまりする。

「肉まんが作れるわ――――っ!!」

「お嬢様、まだ諦めてなかったんですね……」

 呆れたように、明々が呟く。

 当たり前よ。私は肉まんで一儲けするんだから!

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