第19話 宇音先生のお昼ご飯
「一つもお饅頭は売れやしないし、おまけに帰り道で雨に降られてびしょ濡れになっちゃうし、昨日は散々だったわ……それもこれも、周家の息子とか言うのに変な言いがかりをつけられたのが悪かったのよ!」
翌日、裏山に向かった私は、狭い厨房の椅子に腰をかけ、落花生を剥くのを手伝いながら「ハァ~」と、ため息を吐く。
聞いているのは、宇音先生だけだ。前掛けをつけた宇音先生はさっきから忙しそうに動き回りながら、私の話を煩わしそうに聞き流している。
入り口でグワグワ鳴いているのは、私が『ピータンズ』と勝手に名前をつけている二匹のアヒルだ。怒られるのが分かっているからか、覗き込んでいるだけで中には入ってこない。
蒸し器からはホワホワと湯気が立ち上っていて、いい匂いがしてくる。お昼ご飯の準備の最中だ。
「周家……知県の周文達の息子か……」
宇音先生は肉切り包丁を握ったまま、顔をしかめる。まな板の上で切っているのは、分厚くてトロトロに煮込まれた豚の角煮だ。それだけでも、十分においしいそう。
「宇音先生も知っているの?」
「知らないやつなんていない。女癖の悪さは父親譲りだ。父親の周文達は別宅に妾を十人も囲っているくせに、先日も若い娘をもらい受けたって話だ。娘が五人いるけど、息子は周文雄一人。どうしようもないどら息子だけど、父親は科挙に合格させたくて、中央の高官や大臣にせっせと賄を送ってる。けど、あれじゃあ見込みはないだろうな……」
私は「驚いた」と、目を丸くする。
「宇音先生って、子どもくせによく知ってるのね」
「子ども扱いするなっ! だいたい、お前は何だって勝手にやってきて、当たり前みたいにそこに座って、落花生の皮なんか剥いているんだよ!」
宇音先生はイライラしたように、肉切り包丁の切っ先を私のほうに向けてきた。
「あら……だって、座ってるだけじゃ、暇なんですもの。手持ち無沙汰に手伝っているだけよ」
私が軽く肩を竦めると、宇音先生は思いっきり息を吐き出してガクッとうな垂れる。
「ここは禁山なんだぞ……」
「それは知ってるわよ。でも、宇音先生だってここにいるじゃない」
「俺は、若君のお世話をしているんだからいいんだっ! でも、お前は違うだろ!」
「ご近所同士は、仲良くするものだわ」
私は剥いた落花生を、パクッと口に運ぶ。呆れた顔をしていた宇音先生は、それ以上言っても仕方ないと諦めたのか、背を向けてしまった。
蒸籠を取ると割包という蒸しパンに角煮を挟む。それを、綺麗に皿に並べていた。
私は「わぁ、おいしそう」と、立ち上がってそばに行く。私が見つめていると、宇音先生がサッと皿を避けた。
「お前の分なんてないぞ……昼前になると見計らったみたいにやってきやがって!」
「ええっ、そんなにたくさん作ったんだから一つくらいいいじゃない!」
なによ、ケチね。私が頬を膨らませていると、クスッと笑うのが聞こえる。
入り口から入ってきた相手を見て、私は「恩玲さん!」と目を輝かせた。
恩玲さんはずっと部屋に籠もっていたみたいだから、まだ挨拶もしていない。邪魔をするのも悪いから、私はこうして宇音先生の手伝いをしながら待っていたのよね。
もちろん、ここに足を運ぶ理由は、宇音先生の作るお昼ご飯じゃない。もちろん、それもないとは言わないけれど――。
一番の理由はやっぱり恩玲さんの顔が見たいからだ。
わかりやすくニコニコしている私を、宇音先生が横目で見てくる。ジト目になっていた。
「賑やかな声が聞こえたと思ったら、やっぱり梨花さんが来ていたのか」
恩玲さんは笑顔で言いながら入ってくると、「おいしそうだな」と割包に視線を移す。
「若君、いいんですか!? こいつを出入りさせて……知りませんからね!」
ふくれっ面で言う宇音の頭に、恩玲さんはポンと手を乗せる。
「こいつ、じゃないだろう?」
「この杜家の娘……お嬢さんを……」
渋々のように宇音先生は言いなす。恩玲さんがダメと言えば、私はもうここにはやってこれない。緊張してその顔を見つめていると、恩玲さんはニコッと笑った。
「バレなければいいさ」
私は「ほら見なさい」と、得意な顔になる。
宇音先生は思いっきり渋面を作っていた。
「言っておくけど……ただで、食べさせないからな」
私は「わかってるわよ」と、お皿を受け取る。
「恩玲さん、お昼ご飯にしましょう!」
私はにこやかにそう言った。すっかりお腹が減ってしまった。
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