第18話 どら息子の嫌がらせ
その日から、私は毎日のように山に登り、宇音先生の指導を受けていた。といっても、勝手に押しかけているだけだけど。宇音先生はひどく面倒くさそうな顔をするけれど、思玲さんが頼んでくれたからか、いやいやながらも教えてくれる。ただ、教え方は厳しくて、毎日のように怒られていた。
蒸し上がったばかりの肉まんを、この日も宇音先生が一番最初に味見する。それを、私はドキドキしながら見守っていた。
「ど、どう? 先生……今回はちゃんとできた気がするんだけど」
「…………しおからい」
昨日、味が薄いと言われたから、今日は多めにお塩を入れたのが悪かったみたいだ。私はがっくりする。
「けど……前よりはマズくない……」
その言葉に、私はパッと顔を上げる。そして、「練習の成果があった~~っ!」と拳を握る。
「さっそく、思玲さんのところに……っ!」
蒸籠からお皿に肉まんを移そうとすると、宇音先生にガシッと腕をつかまれた。
「また、お前の失敗作を若君に食べさせるつもりか!?」
「先生も、前よりマズくないって言ってくれたじゃない!」
「前よりって言ったんだ! 全然、成功じゃない!」
押し問答をしていると、パタンッと厨房の戸が開いて思玲さんが入ってくる。そして、私と宇音先生を見て、「賑やかな声がすると思ったら……やっぱり、梨花さんが来てたんだな」と微笑んだ。
「若君っ! いい加減、この女狐を追い払った方がいいですよ!」
「女狐じゃないって言ってるでしょ!」
ふくれっ面になる私を見て、思玲さんは顎に握った片手を添えながら笑っていた。その明るい顔を見ているだけで、私の胸がドキドキしてくる。
肉まんの作り方を教わりたいのは本当だけど――半分はきっとこの笑顔を見たいからなんだと、分かっている。
翌日、東花鎮の一番の大通りは、人で賑わっていた。
それなのに――。
「なんで、全然、ちっとも、少しも売れないの!!」
私は両手で頭を抱えてぼやく。。荷車に積んだ蒸籠の中には、日が昇らないうちから明々と一緒にせっせと作った饅頭が、一つも売れないまま冷めてしまっていた。
私はその蒸籠に、恨めしげな目を向ける。
「やっぱり、肉まんじゃなくて、あんまんなのがダメだったんだわ……」
「お嬢様、きっとすぐに売れますよ! みんなまだ……お嬢様の作ったあんまんのおいしさを知らないだけなんです!」
そう、明々は励ましてくれるけれど、私はすっかり意気消沈してガックリしていた。全部は売れなくても、一つくらいは誰かが買ってくれると思ったのに。たった一つも売れない。
「きっと、場所が悪いのね!」
近くの屋台から、串に刺した羊肉を焼く香ばしい匂いがプンプンと漂ってくる。その屋台の前には、朝から行列が出来ていて大繁盛だ。私だって、ついフラフラとお肉の匂いにつられて列に並びたくなる。その匂いのおかげで、私たちのあんまんになんて、誰一人、目もくれない。
おまけに向かいの酒家は、街でも人気な店らしく、ひっきりなしに人々が出入りしていた。出てくるお客さんたちはみんなお腹いっぱい食べた後で、満足しきっているから、あんまんをついでに買おうなんて思うはずもない。
私と明々は顔を見合わせてため息を吐くと、道の端にすっかり座り込んでしまった。
「お饅頭~、おいしいお饅頭ですよ~。甘くて栄養たっぷり! おまけに美人の手製!」
頬杖をつきながら、やる気のない声を上げていても、人はチラッと見ていくだけだ。足を止めてくれるお客さんなんていやしない。
「商売って簡単じゃないわね……」
「そうですねぇ……」
私も明々も、ぼんやり通りを眺める。その時だった。
数人の青年たちが笑い声を上げて歩いてくる。その一人が、「ん?」と私たちのほうを見た。やけに派手な刺繍入りの服を着た青年だった。
「なんだ、杜家の娘じゃないか!」
そう言うなり、青年たちは私たちを取り囲む。
ビクッとした私と明々は慌てて立ち上がって、裳を軽く払った。
私のことを知っているということは、知り合い!?
だけど、私には梨花さんの記憶はないから、この青年が誰か分からない。
「えーと……ど、どちら様でしょう?」
私は笑顔を作って、控えめに尋ねてみる。
「俺の顔を覚えていないのか!」
「ええ、生憎と……」
「若君、杜家の娘は病気で死んだって話ですよ?」
青年と一緒にいた取り巻きの一人が、コソコソと耳打ちするのが聞こえた。
「失礼ね。生憎と死んでないわよ! 見ての通り生きてるわ!」
私がそう言い返すと、青年とその取り巻きたちはジロジロと不躾な視線を向けてくる。なによ。嫌な感じね。私は不快感を込めて眉根を寄せる。
「杜家といえば、それなりの名家だったのに。すっかり落ちぶれたもんだ。娘が饅頭売りをやっているのか?」
青年は蒸籠の蓋を勝手に開いて見ている。
「ええ、そうよ。いいじゃない」
何か文句があるというの?
「ふんっ、冷めてるじゃないか。しかも……中身はなんだ?」
青年は勝手に手に取った饅頭を半分に割り、「なんだ、肉じゃないのか」と気に入らなそうにフンッと鼻を鳴らした。それを囓りながら、さっさと立ち去ろうとする。
「ちょ、ちょっと、お代くらい払いなさいよ!」
私が慌てて引き留めると、「なんだと!?」と取り巻きたちが睨みをきかせてきた。明々が怯えたように私の服の袖をつかむ。けれど、私は生憎とこれくらいじゃ、怯んだりしない。相手が誰だか知らないけれど。
「こんなくそマズい冷めた饅頭に金を払えだって?」
青年は食べかけの饅頭を地面に投げ捨てると、わざわざ靴で踏みつけた。
おまけに、食べ物を粗末するなんて!
私と明々が朝から一生懸命に作った饅頭なのに!
私はなんて嫌なやつなのと、すっかり頭にきていた。
絶対に、お代は払わせてやるんだから!
「くそマズかろうと、冷めていようと、勝手に取ったのはそっちじゃないの!」
私が言い返すと、明々が「お、お嬢様っ!」と私の袖を強く引っ張る。そして大きく首を横に振った。強ばった顔で必死に目で我慢しろと訴えてくる。私はグッと拳を握って、青年とその取り巻きを睨み返した。
「杜家の娘は随分と生意気だな。躾もなってない。おまけに品もない。そんなことじゃ、嫁のもらい手もないだろうな」
青年は私の顎をつかんで、顔を上げさせる。
「さ、触らないでよ! 悲鳴を上げるわよ!」
「そ、そうですよ。お嬢様から手を離してください!」
明々もさすがに声を震わせながら、私と青年を引き離そうとする。歩いていた人たちも、「なんだ、どうした?」と足を止め始めていた。
人だかりができるのを見て、青年は鼻白むように私から手を離し、「不愉快な女だ!」と吐き捨てるように言った。
立ち去る青年の後を、「邪魔だ、退け!」と取り巻きがついていく。
私も明々もホッとして、大きく息を吐いた。それからすっかり踏みつけられて潰れてしまった饅頭に目をやる。
「あーあ……もったいない。罰が当たればいいんだわ」
私は肩を落として言う。
「あれくらいですんでよかったですよ! 相手はあの周家のどら息子なんですから!」
「周家のどら息子?」
明々はやっぱりあの青年のことを知っていたみたいだ。
「ええ、知県様の長男で、あちこちで騒ぎを起こしているんです。それはもう、やりたい放題なんですから。けれど、街の者は誰も何も言えず、泣き寝入りなんです」
知県というのは、県の一番偉い人みたい。逆らえば、ありもしない罪を着せられてしょっ引かれるものだから、あのどら息子の悪行には目を瞑るしかないというわけね。
明々の話では、ただ食いなんて当たり前。欲しいものは金も払わずに勝手に持っていくし、美人を見れば人妻だろうが誰だろうが、かまわず手を出すのだとか。
私はその話を聞いて、「なんてやつなの!」と憤慨せずにはいられなかった。
「とにかく、あの人には関わらないことですよ。目をつけられたら、何をされるか……ただでさえ、お嬢様は美人なんですから。あんな人のお妾にされては大変ですよ!」
「それは、大丈夫よ。今日のですっかり嫌われたみたいですもの」
「そうだといいんですけど……執念深い人みたいですから、また邪魔をしてくるかも……」
明々は不安そうな顔になる。
「その時はその時よ。追い払ってやるわ」
「お嬢様と私だけじゃ、かないっこありませんよ!」
「じゃあ、綿棒を隠し持っておかないとね。今度現れたら、それでぶっ叩いてやるわ」
私が綿棒を威勢よく振る真似をして見せると、明々はプッと笑った。
「でも、本当に気をつけてくださいませ。あのどら息子は要注意なんですから」
「分かってるわよ。今度はもう少し、人が少ない場所にしましょう。その方が売れるかもしれないわ」
私と明々は荷車を押して、人が多い通りを離れた。
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