第15話 厨房の少年

 思玲さんは「もしかしたら、あっちかな」と、立ち上がり部屋を出て行く。急ぎ足で追いかけると、思玲さんが向かったのは、主屋の裏手にある厨房だった。戸を開いて中に入ると、竈と水を溜めた大きな瓶があり、棚が置かれている。


 私は驚いて、厨房の中を見回した。思玲さんの部屋はあんなに散らかっているのに、厨房の中は綺麗ですっきり片付いていたから。

 けれど、思玲さんが厨房の中を歩き回ってカゴや、棚の中を探しているあいだに、瞬く間に散らかってしまう。


「あの……思玲さん、本当にいいのよ! ここにはなさそうだもの」

 私が慌てて言うと、壺の蓋を開いて中を覗いていた思玲さんが顔を上げた。

(壺の中に本は隠してないと思うし……)

 その壺に入っているのは、白菜の漬け物みたい。

「困ったな……あの子の部屋かもしれない」

 思玲さんは顎に手をやって、考え込むように呟く。

「あの子?」

 私が聞き返した時、厨房の戸が勢いよく開いたかと思うと、「ど、泥棒!!」と勇ましく声を上げながら少年が飛び込んできた。


 いきなり木の棒で打ちかかられてて、私は「きゃあぁあああっ!」と頭を抱えながら悲鳴を上げる。本当にびっくりした。

 しゃがんだ私の上に振り下ろされそうになったその木の棒をパシッと片手で止めたのは、思玲さんだ。おかげで、私は頭にたんこぶをつくらなくてすんだ。


「わ、若君!!」

 焦った声を上げた少年は、すぐに木の棒を引っ込めると、唖然とした顔をして厨房を見回し、次に私と思玲さんを見る。十二歳くらいの子どもだ。恵順より年下で背も低い。旅から帰ったように大きな荷物を背負っている。


「な……何をしているんです? というか、この人誰です!?」

 少年は私をギッと睨んで、人差し指を向けてくる。

「ああ、宇音。お帰り。ちょうどよかった」

 恩玲さんはニコッと微笑んだ。宇音というのが、この少年の名前のようだった。

 そういえば、面倒を見てくれる人がいると以前話していたのを私は思い出す。この子のこと?

 

「おいっ、お前!! どこから入り込んだ!? ここが禁山と知っているのか!?」

「どこからって……それは、入り口からに決まっているわ!」

 木の棒を突きつけられた私は、両手を挙げてあたふたしながら答える。

「宇音、私がいいって言ったんだ。それにお客様だよ」

 思玲さんが宇音少年の口を塞ぎ、自分の方に引き寄せる。ジタバタと暴れていた宇音は、大きく目を見開いて後ろから自分を抱え込んでいる思玲さんを振り返った。


「お客様ですって!?」

 私は「そうよ、何か文句がある?」と、腰に手をやり少し顎をしゃくる。

 宇音という少年は大きく息を吐いて脱力すると、「俺が留守の間に限って……」と呟いた。恨めしげな目が私の方に向く。


(な、何よ……私は何も悪いことはしていないわよ?)

 最初は北京ダック――じゃなくて、思玲さんのアヒルを捕まえようとしたかもしれないけれど、それは持ち主のいない野生の北京ダック――じゃなくてアヒルだと思ったからだ。

「お疲れ様。そうだ、お茶をいれよう」

 思玲さんは微笑んで、ねぎらうように宇音少年の肩を叩く。


「いいえ、俺がいれます! 若君にそんなことをさせるなんてとんでもない! まさか、この怪しい女狐は若君にお茶をいれさせたりしたんですか!?」

「女狐!? 失礼ね! た、確かにお茶をいれてもらったけれど……でも、人様のお宅の厨房を勝手に使うわけにはいかないでしょう!?」

 私はムッとして言い返した。


「やっぱり! なんて無礼で、厚かましい女だ。若君、こいつどこの誰なんです!? まさか、本当に山の狐が化けているんじゃないだろうな。だったら、毛を剥いでやる!」

「残念でしたー。私は怪しい者じゃありません。お隣さんよ。向こう三軒両隣とは親しくしなさいって、習わなかったの?」

「お隣!? ってことは、杜家の娘か……」

 少年は驚いたように呟く。

(あら、この子はうちのことを知っているのね?)


「杜家の娘は体が弱く、ずっと病床に伏せていて、家を出ないと聞いている。こんなにピンピンしているわけがないし、下品なわけがない」

「あなた、本当にズケズケ言ってくれるじゃないの……病気はごらんの通り、すっかり良くなったのよ。生意気なちびっ子が相手じゃなきゃ、もう少し上品に振る舞えるのよ!」

 フフンッと、私は宇音を見下ろしながら笑う。うちの恵順と一歳ほどしか違わないのに大違い。この子に比べたら恵順は立派で大人だわ。そう、改めて私は弟のことを見直した。


「嘘を吐くな! 杜家の娘は美人と評判なんだ。お前みたいなドブスなものか!」

「なんですって~~~~っ!」

 これは聞き捨てならなくて、私は眉の端を思いっきり上げると両手を腰にやった。

「宇音、失礼だ」

 そう言って、宇音の頭をグイッと手で押さえたのは、困った顔をした思玲さんだった。


「若君、ですが、こいつは……っ!!」

「梨花さんは、とても綺麗な人だよ」

(私が綺麗ですって~~~~~っ!!!!)

 私の顔がパーッと太陽に照らされたみたいに輝く。熱がグンッと上がった両頬を、私はニヤけそうになるのを堪えて押さえた。


 しかも、『とても綺麗な人』とだなんて。これが有頂天にならずにいられるはずがない。もちろん、この顔は杜梨花さんの顔で、あちらの私とは違うことはわかっている。それでも、あちらの世界では『とても綺麗な人』なんて誰からも言われたことはなく、言ってくれるようなカレシも作れなかったから、嬉しかった。

 それが思玲さんの本心ではなかったとしてもだ。


「若君を誑かす女狐めっ! さっさと退散しろ!」

 悔しそうな宇音の捨て台詞なんて、私はちっとも聞いていなかった。それよりも、思玲の言葉を何度も思い出してニヤニヤしてしまう。「気味が悪い!」と、宇音は自分の腕をつかんで身震いする。


「宇音、それより料理の本を知らないか?」

「料理の本……ですか?」

 宇音は怪訝そうに眉根を寄せて思玲さんを見た。

「うん、何冊かあったはずだろう?」

「ええ、俺の部屋にありますけど……」

「やっぱりそうか。それを見せてほしいんだ」

「本を探すために、こんなに散らかしたんですか!」

「ああ……うん……悪かったよ。後で、ちゃんと片付ける」

 叱られた子どものように、思玲さんは首を竦める。


「とんでもない! 若君に任せておくと、片付くものも片付かないし、余計にメチャクチャになるんだから」

 これ以上厨房を荒らされては叶わないというように顔をしかめた宇音は、「何をするつもりなんです?」と怪しむように尋ねた。


「私が頼んだのよ。豆腐の作り方を知りたくて」

「豆腐!? そんなものの作り方を知ってどうするんだ?」

 宇音は思玲さんとは明らかに違う不貞不貞しい態度になって、聞き返してきた。

「そりゃ、豆腐を……肉まんに入れるのよ!」

「豆腐を肉まんに!?」

「いちいち、大げさに繰り返さなくていいじゃない!」

「本があるなら、見せてほしいんだ」

 思玲さんは相変わらず穏やかな表情で、ポンッと宇音の頭に手を乗せる。


「そんなことなら、本なんて見るまでもない!」

「作り方、知ってるのか?」

「当然です! 簡単ですよ」

 宇音は偉そうに答えて、フンッとそっぽを向いた。

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