第14話 お料理の本も

 翌日、朝起きてみると中庭が薄らと白くなっていた。

 恵順はこの日も、早くから街に出かけるみたいだった。お昼になる頃、私は本の包みと、カゴを抱えて家を出る。もちろん、向かったのは裏の山だ。橋を渡ったところで、私は茂みに隠れていた石に気づいて立ち止まる。


(茨王山……それがこの山の名前?)

 辺りを見回して人の姿が見えないことを確かめてから、私は急ぎ足で山に入っていった。


 小川にそうように山の斜面を上がっていくと、垣根が見えてくる。雪が吹き付けてくるから、私は寒くて小さく身震いした。急ぎ足で門に向かい、中を覗いてみると、いつものように気ままに歩き回っていたアヒルが、私の来訪を知らせるようにグワグワと鳴き声を上げる。


「こんにちは。あなたたちのご主人様はいる?」

 私は声をかけながら、中庭に入る。見回してみたけれど、思玲さんの姿は見えない。留守なのかなと、私は首を傾げながら主屋に向かった。


「思玲さん、梨花です。いますか?」

 私が呼びかけると、主屋の戸がパタッと開いた。思玲さんは私を見ると、少し驚いたような顔をする。

「こんなに早く来るとは思わなかった」

「弟が、もう本を読んでしまったの。だから、返そうと思って」

 私はニコッと微笑んで、布に包んだ本を見せた。

「雪が降っているのに……」

 思玲さんは『困った人だ』と、私のすっかり冷えてしまっている手を取る。暖かな手で包まれると、私はびっくりして瞬きした。


「寒かっただろう?」

 そうきかれて、私は小さく首を横に振る。寒さなんて忘れてしまうくらいに体の熱が上がってしまって、頬が火照っていた。



 部屋に入ると、思玲さんが熱いお茶を入れてくれる。

(相変わらず、本がいっぱい……)

 私はクスッと笑う。


「君の弟は、勉強熱心なんだな……」

 思玲さんは椅子に腰を下ろすと、私の前にお茶の器をコトッと置いてくれた。

「私もびっくりしたの。あんなにたくさんの本を貸してもらったのに……急いで写したみたい」

 私は円卓に置いたカゴの布を取り、器を取り出して並べる。


「花巻だね」

 思玲さんは微笑んで、私を見る。その瞳が優しくて、暖かくて、私は数秒、つい見とれてしまっていた。それからハッとしてすぐに視線を逸らす。ドギマギしてしまって、落ち着かない。


「ええ、そうなの。明々が教えてくれて……始めて作ってみたから、おいしくないかもしれないけど。本を貸してもらったお礼にと思って……」

 私は「食べてみて」と、花巻という蒸しパンのようなお菓子が並んだお皿を思玲さんの前に置いた。


「本のお礼は……別にいいのに」

「良くないわ。弟は……恵順って言うんだけど、とっても喜んでいたし、役に立ったと思うもの。あの……それでね。図々しいかもしれないんだけど、もし、よかったら……また、本を貸してもらいたいの」


 私は「ダメかしら?」と、上目遣いに思玲さんを見る。この花巻は、そのお願いをするためでもあるんだから、遠慮なく食べてもらいたい。

「どの本?」

 思玲さんにきかれて、私は「これなの」と恵順から渡された本の題名が書かれた紙を差し出す。それを受け取って目を通した思玲さんの口もとにフッと笑みがこぼれた。


「あるものだけでいいのよ。私にはどんな本なのかよくわからないし……貴重な本なら、借りるわけにはいかないわ」

 思玲さんは「ちょっと、待ってて」と、立ち上がる。

 部屋の中を歩いて、本の山の中から二冊ほど探し出す。こんなにたくさんの本が積まれているのに、どこに何の本があるのかちゃんとわかっているみたいだった。

 思玲さんは顎に手をやって少し考えてから、「ああ、あっちか」と隣の寝所に向かう。それから暖かいお茶を飲んで待っていたけれど、なかなか戻ってこない。


(見つからないのかな?)

 私は気になって立ち上がり、「思玲さん?」と声をかけながら隣の部屋を覗きに行く。

 棚の上の高いところに手を伸ばしていた彼は、崩れてきた本が頭に当たって「うわっ!」と、声を漏らしていた。


「だ、大丈夫!?」

 私はびっくりして少し躊躇してから部屋に中に入った。思玲さんは埃を払いながら、咳き込んでいる。私はあたふたして、彼の頭についた綿埃を手で払った。

「…………よかった」

 そう呟いた思玲さんの顔を、「え?」と見る。


「本が見つかって」

 彼は私に本を差し出して微笑んだ。恵順が書いていた小難しい題名の本だ。

「思玲さんは、どんな本でも……持っているのね。本当に貸本屋さんみたい」

 私は本に向けた視線を彼に戻して笑う。

「貸本屋?」

「弟にはそう言ってあるの。だって……この山には入っちゃダメって言われてるから……思玲さんのことも秘密にしているし」

「うん……そのほうがいい……」

 彼は頷いて寝室を出る。私もすぐにその後に続いた。

「そうだ、こんなに本がたくさんあるんだから……料理の本とかもある?」

 私は椅子に腰をかけ、きいてみる。


「料理?」

「ええ、そう……ちょっと、困ってて……その、どうしても作りたい料理があるんだけど、作り方がさっぱりわからないから」

 私は積まれている本を見回す。でも、ここにあるのはどれも難しい政治や歴史の本ばかりで、料理の本なんてなさそうだ。


(そもそも、思玲さんは料理の本なんて読みそうもないわね……)

 私は小さくため息を吐く。

「料理……か」

 思玲さんは椅子に浅く座り、顎に手をやって考え込んでいる。

「ああ、いいの。忘れて。ちょっと、言ってみただけなんだから」

 私は急須を取り、思玲さんにもお茶をいれた。

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