第11話 弟らしく

 提灯を手に門を出ると、私は家を出て行ってしまった恵順の姿を捜す。小川沿いの道に向かうと、恵順が土手に腰を下ろしていた。周りの枯れ草が夜風に揺れて、川面に細い三日月の姿が映る。


 膝を抱えて座っている恵順の横に、私も腰を下ろした。

 恵順は私の方を一瞥しただけで何も言わない。言うものかと唇を結んでいる。

 しっかりしていても、年相応に子どもっぽく見えた。それなのに家のことを背負わなければいけないと気負っていたのだろうから、やっぱり重かったはずだ。


 私は紙に包んだ肉まんを「食べる?」と、恵順に差し出した。恵順は黙ったまま、受け取ろうとしない。

「そりゃ、美味しくないけど……豆だから、栄養満点なのよ?」

「…………放っといてくれればよかったんだ」

 ようやく口を開いた恵順はそっぽを向いたまま、拗ねたように言う。


「そういうわけにはいかないわよ。あなたは私の弟なんだから……それに、お腹も空いてるでしょう?」

 さっきは、一口しか肉まんを食べていなかった。今日も街に行っていたから、お昼も食べないで働いていただろう。私は「はい」と、その手を取って肉まんを渡す。

 それを、恵順は少しの間、ジッと見つめていた。


「………姉さんは勘違いしているんだ。塾に行かなかったのは……行きたくなかったからだよ……勉強なら家でいくらでもできるから……本を買うお金が、稼げればそれでいいって、思っただけだ」

 恵順は俯いたまま、そう話してくれる。私は思わず、「わかるわ~」と大きく頷いた。


「私も、学校嫌いだったから……お弁当食べることと、友達とおしゃべりすることだけが楽しみで、授業中はずっと居眠りを我慢してたのよ」

 そう言うと、恵順が「え?」と目を丸くして私を見る。

(私ったらまた余計なことを!)


「ああっ、いえ。もし、学校に行っていたら、きっとそうだったろうなって思っただけよ。想像の話。想像の!」 

 パタパタと手を振りながら、私は笑ってごまかす。

「姉さん……明るくなったね……」

「そ、そう? 体調がいいからじゃない?」

「そうかも……前は泣いてることが多かったから……今のほうがいい」

 肉まんを見つめたまま、恵順は目を細める。

(そうだったんだ……)


 病気で苦しかったのかもしれない。そうでなくても、元気に動けない自分の思い通りにならない体を憂うことも多かっただろう。

 それとも、恵順や明々に世話をかけてしまうことが心苦しかったのかもしれない。家族だからと二人は言うだろうが、それでもやっぱり、負担になっていると思うのは辛い。


(だから、私と入れ替わったのかな……)

 私は健康で食欲旺盛なだけが取り柄だから。自分ができないことを、かわりにやってほしかったのかもしれない。彼女が何を願っていたのか私にはわからないけれど、でもきっと家族のことを守ってほしいとは思っていたはずだ。


「ごめん……嘘をつくつもりはなかったんだ」

 声を小さくした恵順の横顔を、私は見つめる。

「そうね……そんな嘘は、必要なかったわね。秘密にしなくたって、ちゃんと話してくれたら私は反対しなかったわ」

 私が微笑んで、話を続けた。


「あなたには苦労はかけたくないけれど、そのおかげで私はすごく助けられたもの。でも――そうね。今度は、私や家のためじゃなくて、ちゃんと自分のためにお金を稼いでほしいの。だって、本を買いたいのでしょう?」

「それは…………そうだけど…………」

 恵順は言葉に詰まり、私から視線を逸らす。その頭に手を伸ばして、私は自分のほうに引き寄せる。驚く恵順のおでこと、自分のおでこをコツンと合わせた。


「ありがとう…………優しくて頼りがいのある弟を持って、私はとっても幸せよ」

 杜梨花さんだってそう思ってる。

 だから、今ここにいたら、きっと同じことを恵順に伝えたはずだ。


 恵順は泣きそうになったのか、ギュッと顔をしかめる。

「当たり前のことだ……っ」

 家族なんだから、という言葉を呑み込んだように思えた。私は恵順から手を離して、「そうね」と笑った。

「だから、私も、私のためにお金を稼ぎたいの。私も反対しないから、あなたも反対しないでちょうだい」

 人差し指を向けて言うと、恵順はしぶるような顔をする。


「姉さんは……病み上がりだろう」

「じゃあ、試しにかけっこしてみる? あなたにだって、きっと勝てるわよ」

「勝てるわけないじゃないか。姉さん、走ったことなんてほとんどないんだ」

「わからないわよ。やってみなくちゃ」

 私はすっくと立ち上がり、裳を手で払う。

「わかった……反対しない。無茶なことしないなら、だけど」

 恵順は諦めたように言って、立ち上がった。


「でも、この肉まんを売るのはやめたほうがいいと思う。ぜったい、売れない」

 肉まんを頬張る恵順のおでこを、指で軽く押す。

「失敗作だって言ったじゃない。次はもっと美味しく作るの。だから、当分の間夕飯は肉まんになるけど、文句を言わず付き合ってね」

 提灯を手に、恵順と並んで夜道を戻る。嫌そうな顔をする弟を見て、私は笑った。

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