第10話 姉さんらしいこと

 その日の夜、食卓に並んだのは私が作った失敗作の肉まんと、明々が畑の野菜で作ってくれた羹(スープ)だった。

 私と恵順、お爺ちゃんが食卓に着くと、明々がお茶を入れてくれる。彼女も一緒に食べればいいのにと思うのに、明々は「とんでもない! お嬢様たちのお世話をするのが私の勤めなんですから」と、恐縮して固辞する。


 いつも後片付けを終えてから、一人で厨房で食べているみたい。それが私にはひどく申し訳なく思えた。明々だって、大事な家族の一員だ。けれど、彼女は困った顔をするばかりだから、私もそれ以上強くは勧められない。

 せめて、ちゃんとお給金が払えるようになればいいのにと、私は思いながら肉まんを頬張る。やっぱり、おいしくはなくて、我慢しながら呑み込んだ。


「…………これ、姉さんが作った肉まん?」

 一口食べた恵順が、眉根を寄せたまま尋ねる。その顔を見れば、美味しくないと思っているのは一目瞭然。わかっているわよと、私はため息を吐く。

「今日のところは我慢して食べてちょうだい。今度は絶対、美味しい肉まんを作ってみせるわ!」

「姉さん……なんだって、また……肉まんなんか作り始めたんだ?」

 恵順は私のほうに訝しそうな視線を向けてくる。

「決まってるじゃない。とびきり美味しい肉まんを作って売るのよ!」

 私はそう答えて、はむっと肉まんを口に押し込む。


「姉さんが……肉まんを……売る?」

 恵順はポカンとして呟き、「ほ、本気で言ってるの!?」と驚いて声を大きくした。私は「もちろんよ!」と胸を張る。

「な、何だって、またそんな……酔狂なことを思いついたんだ!?」

「酔狂じゃないわ。街の名物になるくらいおいしい肉まんを作って、一攫千金を狙っているのよ!」

「い、一攫千金……を? 肉まんで……?」

 恵順は唖然としながら、私の言葉を口の中で反芻する。私は「そう!」、笑顔で大きく頷いた。


「そうすれば、あなたに苦労をかけなくてもすむし、塾にだって行かせてあげられるでしょう? あなたも、勉強に専念できる。それに、明々にお給金だって払えるし、お爺ちゃんに新しい綿入りの羽織りだって買ってあげられるのよ」

 それに、家にじっとして物思いにふけっているだけなんて、退屈でしょうがない。

 私はついうっかり答えてから、ハッとして自分の迂闊な口を手で押さえた。

 

 恵順は明らかに顔を強ばらせ、唇を横一文字に結んでいる。その手は箸をギュッと強く握り締めていた。

「そうか……だから、急に肉まんを売るなんて……変なことを言い出したんだ……」

 恵順は下を向くと、「僕のためか……」と自嘲気味に笑みを滲ませて呟く。

「恵順、あの……あなたを疑って、後をつけたわけじゃないのよ? たまたま、私と明々も街に用事があって……」

 私はオロオロして、言い訳の言葉を探す。恵順は私たちを心配させまいと、塾に行くと言ってこっそり日雇いの仕事をしていた。そのことを、きっと私たちには知られたくなかっただろう。


「それに、あなたが働いていたのも、私の薬代のためでしょう? でも、もうこの通り私は元気になったから、薬代は必要ないわ。あなたが無理をしなくても……」

「無理なんてしていないっ!」

 バンッと箸を食卓に置いて、恵順は勢いよく立ち上がる。その音に、明々がビクッとして急須のお茶をこぼしてしまった。彼女は慌てて手拭きを取り出してそれを拭いていた。


 お爺ちゃんは相変わらず、ぼんやりしたまま肉まんを頬張っている。部屋の中がシンッとして、気まずい空気がゆっくりと広がった。

「最近の姉さんは……なんだか変だ……急に裏の禁山に入ったり、肉まん売りになろうとしたり……まるで、別人みたいじゃないかっ!」

 顔を背けた恵順の言葉に、私は口を噤んだ。本当は、まったくの別人だなんて話せない。この体は恵順の姉さんである杜梨花のものだ。


「わ、若君……お嬢様はこの家のこと心配して……」

 おどおどしながら、明々が口を開く。何とか私を庇おうとしてくれたみたいだ。けれど、恵順に「家長は僕だ!」と、強く言われてそれ以上、何も言えずに黙ってしまった。


 そうだ。家長は長男である恵順だ。だからきっと、両親が亡くなってから、家のことを自分が何とかしなければと、責任感が強いから思ったのだろう。姉の梨花のことも守ろうとしたんだ。それがわかるから、私は胸が痛くなる。


「頼むから……大人しくしていてくれよ……っ」

 声を絞り出すように言うと、恵順は箸を置いて部屋を飛び出す。「恵順!」と、私は咄嗟に顔を上げて呼び止めた。

 勢いよく開いた戸は、冷たい風と一緒にゆっくりと戻ってくる。

 ああ、本当に――私ったら、どうして余計なことを言ってしまったのだろう。


「私って、馬鹿ね……」

 こんな時、杜梨花さんならどうしただろう。彼女なら、恵順の言う通り、大人しく部屋に籠もっていただろうか。体が弱かったからどうすることもできなかったのだろう。けれど、もし、病ではなく彼女が元気だったなら。

 やっぱり、世の中の良家のお嬢様みたいに、部屋にこもって縫い物をしたり、琴を奏でたりして過ごしていただろうか。


(弟にだけ苦労はさせられないって、きっと心を痛めていたはずよ……)

「お嬢様……」

 私はフッと息を吐いてから、弱い笑みを向ける。

「私は姉さんだもの。姉さんらしいことをしなきゃ」

 お爺ちゃんのことを明々に頼み、私は部屋を後にした。

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