第8話 立ち入り禁止の山でした

 屋敷に戻った時には、空は茜色に染まっていた。門を通り、中庭に入ると、主屋から明々が駆け出てくる。

「お嬢様! ああっ、よかった。ご無事だったのですね」

「ただいま、明々。ごめんなさい。ちょっと、散歩をしていたら迷子に……」

「散歩!? そんなに泥だらけになるなんて、いったい、どちらに行ってらしたんです!?」

 明々は土色になってしまっている私の靴や袖、裾を一通り確かめてから、ひどく心配そうな顔をする。


「大丈夫よ。怪我なんてしていないし。ちょっと……その、転んでしまっただけなんですから」

 私と明々が中庭で話をしていると、「ただいま」と恵順が門を通って入ってくる。

「あっ、恵順。お帰りなさい」

 今朝早く、恵順は今日も塾に行くからと言って家を出た。けれど、きっと日雇いの仕事をしてきたのね。


「若君!」

「姉さん……田んぼにでもはまったの?」

 恵順は泥まみれの私を見て、怪訝そうな顔をする。

「失礼ね、違うわよ。ちょっと、迷っただけって言ったでしょう? ああ、でもね。そのおかげで、ほら!」

 私は手に持っていた袋を明々に渡す。明々は「なんです?」と、不思議そうな顔をして袋を開いた。


 そして「椎茸! こんなに!?」と、驚きの声を上げる。そばにやってきた恵順も、「椎茸?」と袋を覗いていた。二人は目を丸くして、私のほうを見る。

「お嬢様、これ……どうしたんです?」

「偶然……椎茸がたくさんある場所を見つけたの! すごいでしょう?」

 私はそう言って、胸を張る。本当はもらったものだけど――。

 私は先輩にそっくりな運命の人のことを思い出す。


 思玲という名前だと、あの人は私に教えてくれた。山で迷っていた私を麓まで送ってくれて、その上この椎茸をどっさりくれた。

 私が帰り際、『また、会いに来てもいいですか?』と勇気を出して尋ねると、少し困ったように笑みを浮かべて、『気をつけてお帰り』と言ってくれたのよ。

 胸がトクトク鳴るのを感じながら、私はうっとりする。頬がどうしても緩んでしまう。


「椎茸が出るような場所なんて……この辺りにあったかしら?」

 明々は頬を手で押さえて首を傾げる。

「ああ、遠くには行っていないわよ。ちょっと、すぐそこの……裏山に登っただけなんですから!」

 私は安心させたくて言った。その途端、明々と恵順は二人して絶句する。

(え? あ、あれ……? なにか、まずかったかな?)

 私は困惑して二人の顔を交互に見た。


「姉さん……う、裏山に入ったの?」

 尋ねる恵順の顔色が青くなっている。

「え、ええ……あっ、でも、ちょっとだけよ!?」

「お嬢様………………っ!!」

 両手を頬に当てた明々が急に甲高い声を上げたので、私はビクッとした。

「な、な、なぜ、裏山になんて入ったんです!! あそこは……あそこは…………っ!!」

 ガクッと膝を折った彼女が、目を潤ませながら私の裳をつかんでくる。


「ちょ、ちょっと、明々……そんな泣くほどのことでもないでしょう? ほら、どこも怪我をしていないし……それに家の裏手の山ななんだから、迷子になったって戻ってこられるわよ。そんなに高い山ってわけえもないんですから!」

 それに、ちゃんと人もいたし――。

 杜梨花さんが病気で伏せっていたから、心配になるのもわかるけれど、明々はちょっと大げさに心配しすぎだ。今の私はこの通り、元気でピンピンしている。

 けれど、明々だけではなく、恵順も顔を押さえて呻くような声を漏らしていた。


「な、なに? ど、どうしたの? 二人とも……」

 私はさすがになんだか不安になってきて尋ねた。

「姉さん……あの山は禁山だよ……」

「きん…………ざん?」

 きょとんとして聞き返すと、明々が「そうです!」と大きく頷いて立ち上がってきた。

「金……山!? つまり、金塊がザクザク出る山ってこと~~~っ!?」

 私が大きな声を上げると、二人は「シーッ!!」と私の口を押さえようとする。


「お嬢様、金山じゃなくて、禁山ですっ!!」

「立ち入り禁止の山ってことだ! 皇帝陛下が管理している山だから、無断で入れば死刑になるんだよ! この辺りに住む者なら、子どもだって知っている!」

「し、死刑…………!?」

 私は飛び上がるほど驚いて言葉を失う。サッと顔から血の気が引き、動揺のせいで手が震えてきた。

(って、まさか私、皇帝陛下の山で椎茸を盗んでしまった人になっちゃってるの!?)


 こちらの世界にやってきたばかりの私でも、それがどれだけ深刻なことなのかくらいはわかる。けれど、盗むつもりで入ったわけではない。

 もちろん、最初はちょっとお肉になりそうなものがいないかと探しに入ったのだけど。もし、皇帝陛下の山だと知っていたら入ったりしなかっただろう。

 それに、この椎茸はもらったものだ。


(思玲さんはどうして山にいたのよ?)

 慣れた様子で歩き回っていたし、アヒルだって連れていた。

(あっ、そうか……きっと、山の見張りをしているなのね!)

 見張り番だけど、きっと私が何も知らずに迷い込んだとわかって見逃してくれたんだ。椎茸もくれて――。


「とにかく、今日、誰にも見つからなかったのは運がよかったんだ! 二度と山に入っちゃダメだ!」

 恵順は私の両肩をつかむと、強い口調で言う。

「わ、わかったわよ……もう、入ったりしないわ」

 約束すると、私は頷いた。二人ともホッとしたように息を吐く。

「まったく……心配させないでくれよ」

 恵順はそう言うと、さっさと部屋に戻っていった。

「そうですよ! 私は命が縮む思いがしたんですからね!」

 腰に手をやった明々に、私は「ごめんなさい」とうな垂れて謝った。


「でも、ご無事で何よりでした……ところで、この椎茸、どうしましょう?」

 明々は困ったというように、椎茸の袋を見る。

「お腹に入れてしまえば、証拠隠滅よ!」

 私はペロッと舌を出して言う。それに、この椎茸を捨ててしまうなんてもったいない。これは思玲さんがわざわざ私にくれたものだもの。椎茸には何の罪もない。


「そうですね……じゃあ、お夕飯はたっぷり椎茸を入れた羹にします。それにしても、立派な椎茸だこと!」

 明々は取り出した椎茸を見て、目を輝かせる。

「そうでしょう! たくさんあったのよ。それを、帰り道に――拾って帰ってきたの!」

 思玲さんが教えてくれたんだけど。

 私は「料理、手伝うわ」と、彼女と一緒に厨房に向かう。山道を散々歩き回ったから、すっかりお腹は空いてしまっている。

 恵順もきっと、疲れてお腹もペコペコになっていることだろう。

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