第4話 私、饅頭売りになります!

田畑や山に囲まれた杜家の屋敷から一番近いのは、東花鎮という街。私はこちらの世界に来てから、まだ一度もその街を訪れたことはなかった。というより、屋敷から出るのも初めてのことだ。


 恵順は朝早く、塾に行くために家を出た。私は明々と一緒に、こっそりその後をつける。

 明々はそれほど大きな街ではないと言っていたけれど、大きな石の門を通り抜けると通りに店が並び、人が大勢行き交っている。

 その賑やかさについ、私は目的を忘れて目移りしそうになった。サンザシの飴を売っている人もいれば、通りで肉や焼き餅を売っている人もいる。


 まるでお祭りみたいで、心が弾んだ。立ち止まりそうになるたびに、「お嬢様、それどころではありませんよ!」と明々に引っ張り戻される。

 そうだった。お祭り見物に来たわけではない。ウロウロしている間に、恵順の姿を見失ってしまう。それに今の私たちに、贅沢をしている余裕はないのよ。グッと堪えて、私は木や建物の陰に身を潜めながら、先を歩く弟の姿を追う。


 恵順が入っていっていったのは、塾ではなかった。川の途中にある船着き場だ。船から降ろされる木材を、男の人たちが肩に担いで運んでいる。恵順も大柄な大人の人たちに交じって、同じように重たい木材を担いで、荷車に運び込んでいた。

 私は驚いて、言葉をなくしたまま、その様子を見守っていた。それは明々も同じだったようだ。塾に行くだなんて言って、本当は――こうやって、働いていたんだ。


「おい、モタモタするなっ!」

 帳面をつけていた髭の男が、怒鳴って恵順の足を蹴りつける。ふらついて、木材を落としそうになると、「なにやってるんだ! 気をつけろ!」とまた怒鳴り声が飛んだ。木材を担いだ、大柄な男が膝をついた恵順を「邪魔だ、どっか行ってろ!」と乱暴に蹴りつけていく。


(う、うちの弟になにをするの!)

 私はカッとなって、飛び出しそうになる。けれど、「お、お嬢様!」と明々に袖をつかまれて、思いとどまった。そうだ。ここで飛び出していったら、恵順に私たちが後をつけたことがバレてしまう。

 塾に行くなんて、嘘をついて働いていたのは、私たちにそのことを知られたくなかったからだ。


 恵順は文句一つ言わず、歯をくいしばって立ち上がると、落とした木材を拾って担ぎ直し、荷車に運んでいた。荷車に木材を積み終わると、今度はその荷車を押して歩き出す。

(あの子……やせっぽちなのに……)


 外の大人たちと同じように、働いているのだ。恵順が辛抱しているのに、私たちが邪魔をするわけにはいかない。私は唇を強く噛んで明々の手を取ると、恵順に見つからないように身を翻す。

 何をしているのか、それがわかっただけで十分だ。


 明々と私は口数少なく、来た道を引き返す。

「あのお金は、恵順が働いて稼いだお金だったのね……」

 昨日、渡してきた小銭の巾着のことを思い出す。明々はグスグスとはなを鳴らしながら、「ええ、きっとそうです」と頷いた。


「お医者様がいらした時も、若君は自分がなんとかするからと……私も、ずっと不思議だったんです。お薬代をどうしたんだろうと……」

 私は思わず足を止めて、驚いた顔で明々を見る。

「それって、私の薬代のこと?」

 あの、お焦げを飲まされているような、苦くてひどい味のする薬!?

 明々はハッとしたように、口もとに手をやる。困惑したような表情が浮かんでいた。

「あっ、すみません……私、余計なことを……」

「明々、ちゃんと話してちょうだい。私の薬代でしょう?」

 お医者さんを呼ぶのだって、タダじゃない。杜梨花さんはずっと病気に伏せっていたみたいだから、その間、ずっと薬を飲んでいたはずだ。その薬代も安くはない。

 それくらい、あちらの世界からきた私にだってわかる。それに、『あんまり残ってないけど』と恵順は言った。それは薬代に使ったからだ。

(きっと、そうだ……)


 私は俯いて、スカート(こちらでは裳と言うみたいだけど)をギュッと握る。

 姉のために、あの子はこっそり働いていたんだ。本当なら、自分のために勉強をしたいはずなのに。塾にも行かないで――。

 目からボロボロと涙がこぼれ落ちてきて、それを見た明々が「お、お嬢様!」とあたふたする。


「なんて、いい子なの~~~~~っ!」

 私は堪えきれなくて、「うわーんっ!」と遠慮なく泣き出した。

「ええ、そうなんです。若君はとってもいい子で、心お優しい方なんです……それなのに、私がふがいないために苦労を!」

 つられたように泣き出した明々と、私は道の真ん中でガシッと抱き合いながら二人してワンワン泣いていた。

 なんだ、なんだと、道行く人たちが振り返る。

 これが、泣かずにいられるもんですか!


 あの子ときたら無愛想で、無口で、何を考えているのかもよくわからないけど、家族思いで、頑張り屋で、辛抱強い子だった。それなのに、私ときたら家の事情も何も知らないで、肉まんを作って食べてしまった。

「明々……私、決めたわ」

 私は彼女の両肩をつかんで、グイッと引き離す。

「お嬢様、な、何を決めたんです? 無茶なことを思いついたんじゃ……」

 不安げな目をする明々に、「私、働くわ!」と決意を伝える。

「で、でも、お嬢様は病み上がりで……」

「もう、すっかり平気よ! あの薬が効いたんだわ」

 恵順が稼いでくれたお金で買ってくれた薬ですもの。その気持ちだけで元気が出るってものよ。


「もちろん、無茶なことなんてしない。でも、恵順も明々も家のために頑張ってくれているのに、私だけ養われているわけにはいかないわ」

「本気でおっしゃっているんですか……?」

「ええ、私は本気よ。恵順を塾に行かせてあげられるくらいは稼ぎたいわ。それに明々にちゃんとお給金を払えるようになるくらい……」

「そんな、お嬢様! 私は家においていただけるで」

 明々は両手を握り締め、プルプルと首を横に振る。


「ううんっ、ダメよ。それに、家でゴロゴロしているだけの生活にももう飽きてきちゃったし……何かしたいのよ」

 働かざる者、食うべからずって言うじゃない。

 私だって、お腹いっぱい食べたい。明々やお爺ちゃん、恵順にお腹いっぱい食べさせてあげたい。だから、働くのよ!

「あの……お嬢様。どうやって、働くんです?」

 ニンマリと笑みを作ってから、「あれよ!」と屋台を指さした。


「や、屋台……?」

「そう……私は肉まん売りになるっ!!」

 そう宣言すると、明々はポカンとしように口を開いて私を見つめてくる。

「お、お嬢様が……?」

「ええ、私が」

「肉まんを……?」

「そう! 肉まんを!」

 任せてちょうだいと、私はドンッと胸を叩いた。これでもあちらの世界では、コンビニでアルバイトもしていた。コンビニの人気定番メニューといえば、肉まんよ!


 私は、肉まんを売って、売って、売りまくる!!

 空を見上げ、私は拳をグッと握った。

 未来は、きっと明るい!

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