第3話 家中の食材で肉まんを作ってみました

 その日の夜、寝台に横になった私は、なかなか眠れなくて寝返りを打つ。

(お、お腹が空いた…………っ!)

 夕飯は野菜だけの羹と、薄っぺらいお煎餅みたいな焼き餅が一個だけ。それだけで、育ち盛り(?)な私の食欲が満たされるわけではなく、さっきからお腹がグーグーと不満そうな音を立てている。


 こういう時には、前の世界が恋しくなる。お母さんが作ってくれるハンバーグが食べたい。友達と一緒に学校帰りに寄り道して食べるクレープやパンケーキも忘れがたい。ハンバーガーや山盛りのフライドポテトが恋しくなる。今、こんなふうにこちらの世界にいなければ、今頃クリスマスイブを迎えていて、家族や友達と、クリスマスケーキを頬張ってたことだろう。


 思い出せば思い出すほど懐かしくなって、目頭にジワッと涙が滲んでくる。いっこうに目が覚める気配がないということは、これはきっと夢ではないのだろう。

 夢ならこういう時、目の前に食べたいものがポンッと出てきてくれたりするものだ。でも願ってみても、ケーキもクレープも出てこない。


 夢ではないということは、やっぱり私はあちらの世界から、この世界に魂が飛ばされてしまったんだ。ということは、どうすれば戻れるのかも分からない。

 戻れる方法なんでどこにもないのかも。だとしたら、私はこの先ずっと杜梨花さんとして生きていくしかない。

 あまり悪いほうばかりに考えないようにしているけれど、気弱になるとどうしても不安になってしまう。

(これも、お腹が空いてるせいよ!)


 そうだ。お腹が空いているから、眠れなくて余計なことばかり考えてしまうんだ。私はガバッと起き上がり、寝台を抜け出す。薄っぺらい、刺繍の入っている布靴を履いた。

 部屋を出ると、中庭に出る。その中庭を囲むように、弟の恵順や、お爺ちゃんの部屋、家族が集まる主屋が並んでいる。

 夜の風が、回廊の屋根に吊されている古くて破れ目のある提灯が、大きく揺れていた。恵順の部屋の方を見れば、灯りが漏れている。

(まだ、起きてるのかしら……)


 私は吹き付けてくる風に身震いして、「早く行こう」と急ぎ足で回廊を通り抜ける。

 厨房の戸を開いて入ると、台に置かれていた燭台に火を灯した。竈や水瓶、食器棚のある狭い部屋の中が照らされる。壁はひび割れだらけ、竈の周りは煤で黒くなっているけれど、明々が毎日ちゃんと片付けてくれているおかげで、散らかってはいない。 

 この家にはもったいないくらいの侍女だ。本当ならもっと立派なお屋敷でも、十分に務まるのに。


 私は「なにか、残ってるかな……」と、呟きながら竈の上に置いてある鍋の蓋を開いてみる。けれど、中は空っぽだ。棚を開いて、中の壺を取り出してみると入ってるのは小麦や豆。塩漬けのお肉が入っている壺も見つけたけれど、このままでは食べられそうにない。

 私は棚のそばにしゃがんだまま、「はぁ~」と切ないため息を漏らした。壁には干からびた野菜が並んでいるけど、囓ってもあまり美味しそうじゃない。それに、少しもお腹にはならないだろう。


(恵順も私と同じで、お腹が空いて眠れないのかもしれないわよね……)

 だとしたら、やっぱりここは一つ。何か、美味しいものを作るしかない。私はとりあえず食材になりそうなものを、台に並べていく。

(小麦粉があるんだから、なんとかなるんじゃない?)

 何が作れるだろう。


「それに、お肉もあるし……」

 塩漬けの豚肉の入っている壺の蓋を開く。顎に手をやって「うーん」と考えていると、積みかねてある蒸籠が目に入る。私は「そうだ」と、ニンマリしてさっそく準備に取りかかった。


 小麦粉にお肉、それに蒸籠があるなら、肉まんを作るしかない。作り方は家庭科の調理実習って習ったことがある。あの時の作り方を、私は人差し指を額に押し当てて、真剣な顔で思い出そうとした。

(おいしかった~~~~、ホワホワで、お肉もたっぷりで……)

 コンビニの肉まんに負けないくらい。って、そんなことを思い出しても仕方がない。そうだ。思い出さなければならないのは、作り方のほうだ。どうやって作ったんだっけ? 

 ぼんやりと手順が浮かんできて、私は「よしっ!」と袖まくりして作業に取りかかった。


 小麦粉をこねて、干し椎茸やネギを混ぜた肉団子を包む。形は悪くなったけど、なんとか肉まんには見える。それを蒸籠に並べて蒸し始めた。

 片付けをしている間に、蒸籠から湯気が上がり、いい香りが漂ってきた。濡れた手を拭いてから蒸籠の蓋を開いてみると、ふっくらしたした肉まんがいい感じに蒸されている。

 私は肉まんの香りを、思いっきり吸い込んだ。懐かしい香り――。


 でも、先輩に失恋した日、食べた肉まんのちょっとしょっぱくて切ない味を思い出して、胸がチクッと痛んだ。

(肉まんが失恋の味になっちゃった……)


 涙を拭って、私は蒸籠の蓋を戻す。でも、肉まんには罪はない。肉まんをこよなく愛する私の気持ちも少しも変わらない。

 あと、もう少し蒸したらできあがりだ。うろ覚えなのに、肉まんを作れてしまうなんて私ってば天才、なんてちょっとばかりうぬぼれそうになる。もしかしたら、私には料理の才能があるのかもしれない。ただ、食い意地が張っているだけ――とも言えるけど。

 私がお皿を準備していると、「だ、誰かいるんですか?」と怯えた声がして、厨房の戸が開く。


「お、お嬢様!」

 びっくりしたように言いながら入ってきたのは、明々だ。寝間着の上に肩掛けを羽織って、片手にはしっかり麺棒を握り締めていた。

「明々、ごめんなさい。起こしてしまった?」

 私がきくと、明々はハッとした顔ですぐに麺棒を後ろに隠す。

「いいえ、部屋を出たら灯りがついていたので……」

 彼女はそう言いながら、そばにやってくる。

「…………姉さん? 明々? 何してるの?」

 そのすぐ後から、怪訝そうな顔をして恵順も入ってきた。


「えーと、その……お腹が空いたものだから、お夜食を作ろうと思って。恵順も起きてたみたいだし」

 私が答えると、二人は湯気が立っている蒸籠の方を見る。

「肉まんよ!」

 私は得意満面で、パカッと蒸籠の蓋を開いた。それを見て、明々が仰天したように目を見開く。そして、すぐにその視線を台の方に移した。彼女は台の上にあった小麦粉の壺の中身や、塩漬けの肉の中身を確かめると、「お、お、お、お嬢様……」と声を震わせる。

「もしかして……ここにあった材料、全部……使ってしまったのですか!?」

「えっ……あ……ダメ……だった?」

 戸惑いながら私がきくと、彼女は口から魂が抜けたようにその場にペタンと座り込む。

「ひ、一月分の小麦粉……だったんですよ……?」

「ええ!? だ、だって、そんなに残って……」

 もしかして、あの少ない量の小麦粉で、彼女はやりくりしていたの!? 

 それを、私は――――何も知らずに、一回で肉まんに使ってしまった――ということ?


 私と明々は、ホカホカと蒸し上がっている肉まんに視線を戻した。ああ、なんて美味しそうにできあがってるの。今となってはそれも、恨めしい――。

 私はガクッと彼女の前に膝を折り、両手を床につく。


「ごめんなさい……明々、知らなかったの……!」

 まさか、そんなにこの家が困窮していたなんて!

「いいんですっ、いいんですっ! 私が節約してケチケチしていたせいなんですから! また、明日から街で小銭を稼いでくればいいだけなんです!!」

 明々は涙ぐみながらも、プルプルと首を横に振る。

「いいえ、やっぱり、私も明日から頑張って稼ぐわ。小麦粉やお肉の代はしっかり稼いでくるから!」

「何をおっしゃるんです! お嬢様にそんな苦労をさせるわけにはいきません!」

 潤んだ瞳で見つめてくる明々の手を、私は両手でしっかりと握った。

「明々、私たち家族じゃないの。苦労は分かち合うものだわ。そうでしょう!」

「お嬢様……こんな私を、家族と思ってくださるのですか?」

「当たり前じゃない。同じお釜のご飯を食べれば、みんな家族よ!」

「お嬢様…………っ!」

「明々………………っ!」

 私と明々はガシッと抱擁し合う。


 二人してオンオンと泣いていると、いつの間にか厨房を出て行った恵順が、何かの袋を手に戻ってきた。『何やってるの』というような視線を向けると、恵順は「これ、あんまり……ないけど」と私の手に巾着を押しつける。なんだかずっしり重い。巾着の紐を解いて中を見ると小銭だ。

 私と明々は驚いて顔を見合わせた。


「このお金……ど、どうしたの!?」

 立ち上がって、恵順に詰め寄る。

「ただ……貯めてたんだよ。あんまり残ってないけど」

 無愛想な顔で言うと、恵順は「これ、一個もらっていい?」ときく。

「え、ええ。もちろんよ! 一個と言わず、二つでも、三つでも持っていってちょうだい!」

 私は急いで皿に肉まんを取り分ける。それを恵順の手にグイッと押しつけた。


「こんなにいらないよ」

「いいからっ! 育ち盛りなんだから……いっぱい食べなきゃ!」

 私がそう言うと、恵順は少しだけ笑った。この弟はいつもつまらなそうな顔ばかりしていて、口数も少なく、部屋に引きこもってばかりいる。笑顔なんて、私は初めて見る。


「じゃあ、もらっておくよ」

 そう言うと、恵順は肉まんの皿を手に厨房を出て行く。パタンと戸が閉まると、私は巾着を隣にやってきた明々の手に渡した。

「明々、これでなんとかなりそう?」

「もちろんです! ですが……よいのですか?」

「ええ、あの子がいいって言うんだもの……いいんじゃないかしら?」

 なんとか稼ぐ方法を見つけたら、その時に返せばいい。私は気を取り直して、「肉まん、食べる?」と明々に尋ねた。彼女も笑顔になり、「はいっ!」と頷く。

「それにしても、お嬢様が肉まんを作れるなんて知りませんでした」

「でも、おいしいかどうかはわからないわよ」

 私は蒸籠から肉まんを取り出して皿に載せると、台に運ぶ。明々がすぐに湯を沸かし、お茶をいれてくれた。

 椅子に腰を下ろし、「いただきます!」とできたてホワホワの肉まんに大きな口でかぶりつく。


「お嬢様、美味しいです!」

 明々は一口呑み込んでから、感動したように言う。

「ん――本当はもっとフワフワになるはずなんだけど」

 ちょっと弾力のある肉まんになったけれど、これはこれで味は悪くない。うろ覚えで作ったわりには上出来だ。

「お肉もこんなに入って、贅沢で…………っ!」

 明々はポロポロと泣き出した。

「ご、ごめんなさい……お肉も使い切ってしまって」

 私は胸が痛くなり、視線を逸らす。

「いいえ、いいんです! たまには贅沢もしないと。いつも粗食ばかりしか出せない私が悪いんです」

 そう言いながら、彼女は袖で涙を拭った。


「それにしても……あの子、どうして小銭なんてこんなに持っていたのかしら?」

 私は肉まんを頬張りながら、首を傾げた。明々も「それも、そうですね……」と不思議そうな顔をする。

「働いてる……のかしら?」

「若君から、そんな話を聞いたことはありませんけど。若君が出かけられるのは、塾に行く時だけですし」

「そう……でも、気になるわね」


 私は恵順の実の姉とは言えないけれど、杜梨花さんにとっては大切な家族で弟だ。両親がいない以上、弟の面倒を見るのはこの姉の役目でもあるはずだ。

 私は人差し指を顎に当てる。

(ちょっと、調べてみる必要がありそうだわ……)

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