第2話 転生先はどうやら――。

「お嬢様! お嬢様……っ!!」

「姉上っ!」


 誰? 

 お嬢様? 姉上?

 私、お嬢様でもないし、弟とかいないんですけど?

 真っ暗な中、必死に呼びかける声がする。一人は女の人の声、もう一人は男の子の声だ。


 頭がぼんやりして、自分がどこにいるのかもよくわからない。先輩に振られて、駅前の公園でお小遣いをはたいて買い占めた肉まん類をやけ食いしたことまでは覚えているけど――それから?


 喉に詰まらせたんだ。

 それに、肉まんじゃなくて、私が最後に食べたのはニンニク納豆まんだった。

 それで、死んじゃったんだっけ。それとも、奇跡的に助かって病院に運ばれたのだろうか。だとすれば、きっと聞こえてくるのは同じ病室の人が見ているテレビの音だろう。ドラマでもやっているのかもしれない。でも、ちょっと音量が大きくない?

 すぐそばで聞こえるんですけど。


「お嬢様、しっかりしてくださいませ!」

「姉上…………っ!!」

 体を揺さぶられて、私はパッと目を開いた。視界に入ったのは、私を覗き込んでいる知らない二人だ。

「だ…………誰?」

 思わず、そう声が出る。

 二人は顔を見合わせると、ホッとしたように胸を押さえて息を吐いていた。


「お嬢様~~~~っ!! よかったです! 私を置いていかないでくださいませ~~~~っ、あの世でもお仕えするんですから!」

 そう、縁起でもないことを言いながら、私にしがみついてオンオン泣いているのは女の人だ。やつれていて、ほつれた髪が額にかかっていた。

 しかも、着ているのはお母さんがよく見ている中華ドラマで見るような衣装だ。

「こ、ここは……どこ?」

 私はポカンとしてそう呟いた。


***


 推測その一。私は先輩に失恋して肉まんをやけ食いした結果、病院に運ばれたものの助からず、昇天してしまい、なぜか閻魔大王様が間違えて、中華風天国――地獄ではないと思うけど――に送ってしまった。


 推測その二。私は先輩に失恋して肉まんをやけ食いした結果、病院ではなく間違ってドラマの撮影現場に送られてしまい、エキストラとして参加することになった――なんでよ!?


 推測その三。私は先輩に失恋して肉まんをやけ食いした結果、病院に運ばれたものの助からず、肉まんの神様が私を哀れんで、中華風の異世界、もしくは過去の世界に特に希望したわけでもないのに、転生させてくれた。


 推測その四。先輩に失恋して肉まんをやけ食いしたのがそもそも、現実ではなく夢だった。そのまま引き続き夢を見るため、寝坊して学校に遅刻しそうになっている。

(それはイヤーッ! 高校でも皆勤賞狙ってるんだから!)

 私は庭の池の前に佇んだまま、両手で頭を抱える。

 このよく分からない世界で目を覚まして、一週間目の朝を迎かえてわかったことがある。

 私はどうやら、『杜梨花』という名前の別人になっているらしい。その杜梨花さんは、この少々オンボロ――否、趣があり歴史を感じさせるお宅で、十三歳の弟『杜恵順』と、侍女の『明々』。そして、池のそばのあずまやに座って、ひなたぼっこをしているお爺ちゃんの四人で暮らしているらしい。


 そして、梨花さんはずっと体調が悪く、病気で伏せっていたいたみたい。確かに今の私はかなり細っこい。ただ、なかなかの美人だ。

 肉まんの神さま――なのかどうかはわからないけど――美人に転生させてくれてありがとう! 


 そして、この国は鵬華と呼ばれているらしい。世界史の授業でも習わなかったから、きっとどこか別の世界なのだろう。そうでなければ、これは夢の世界で、やっぱり私はまだお布団の中に――。

(それは、考えないようにしよう……っ)


 私はプルプルと首を横にする。とりあえず、現実の私が生きているのか死んでいるのか、はたまた寝ているのかは置いておいて。 

「まずは、考えなきゃいけないことがあるわよね」

 私は顎に手をやり、真剣な顔をして呟く。

 そう、まず考えなくてはいけないのは――今晩のお夕飯のこと!

 

「お嬢様っ!」

 屋敷から出てきた侍女の明々が、慌てふためいたように呼びながら駆け寄ってくる。手に持っているのは、厚手の羽織り物だ。

「お嬢様、外は寒いのですから、そんな薄着で出歩いてはまた、咳が出てしまいますよ!」

 心配性な彼女は、私の肩に羽織り物をかけてくれる。季節は冬、庭は枯れ木ばかり。確かに風は冷たいけれど――。


「平気だよ。私暑がりだもの」

 ニコッと笑って言うと、明々はビックリしたように瞬きして見つめてくる。

「だ、だよ……?」

 怪訝そうな彼女の顔を見て、私はしまったと自分の口を押さえ、「へ、平気よ」と慌ててお上品な口調で言い直した。

「お嬢様が暑がりとは……し、知りませんでした……」

「あっ、そ、そうだったかしら~? 急に暑がりになったみたい」

 私は自分の頬をパタパタと手で扇ぐ真似をする。すると、彼女は私の額に手を当ててきた。

「熱はないみたいですけど……」

「ええ、もうすっかり平気! 病気もきっと……吹っ飛んでしまったのよ」


 もちろん、今の私には杜梨花さんの記憶はない。でもそれは、熱のせいですっかり忘れてしまったことになっている。彼女が先日連れてきたお医者さんも、「そうに違いない!」と太鼓判を押してくれたから、明々も弟の恵順も不思議そうにしながらも納得してくれた。


 二人には欺しているようで申し訳ない気持ちにもなるけれど――私にも今の状況はうまく説明できない。

 どうしてこうなったのか、自分でもわからないんだもの。ごめんね、いつか、ちゃんと話すからと、心の中だけで謝っておく。


 それに、またなにかの拍子に、元の世界に戻ってしまうかもしれない。それは明日なのかもしれないし、明後日なのかもしれない。肉まんの神さま(仮)は、懇切丁寧に今の状況を説明してくれる気はないようだ。


 だから、とりあえず状況がわかるまで、私は大人しく、杜梨花さんとして振る舞うことにした。それが一番良さそう、というかそれ以外にどうしたらいいのかわからないからだ。

 私は「お爺ちゃんも寒いんじゃないかしら」と、あずまやにいる老人に目をやる。

「ええ、後でちゃんとお部屋に連れていきます。でも、すぐまた庭に出てしまうんですから……」

 明々はそう言ってため息を吐く。

「あの場所が好きなのよ」

「そうでしょうね。お嬢様、お部屋に戻ったら、お薬飲んでくださいね」

 屋敷に戻りながら、私は思わず顔をしかめた。 

 明々の言う薬は、先日私を診にやってきたお医者さんが処方してくれた薬なんだけど、ものすごくまずくて苦い。

 鍋の底のお焦げを集めてお湯で煮詰めたような味で、飲むために気力と体力が奪われていくような気がする。


「あの……明々、私、もうすごく元気で……飲む必要はないんじゃない?」

 そう提案してみたけれど、「とんでもない!」と明々は首を横に振った。

「ダメですよ! あと一月は飲み続けるように言われてるんです」

「一月も…………」

 私はガックリと肩の力を落とす。しかも、あのお薬、小学校の教室に置かれていた亀の水槽みたいな臭いがするのよね。私は生き物係で、毎日のように掃除していたから覚えている。


「そういえば、恵順はどうしたの? 姿を見ないけど」

「朝早くにお出かけになりましたよ。塾の先生のところでしょう」

「そうなの。勉強熱心なのね……」

 塾なんて、勉強嫌いな私は聞くだけで頭が痛くなってしまう。

「良いことじゃありませんか。若君はとっても頭がいいですから。将来はきっと、高官になりますよ」

 まだ十三歳なのに、将来を見据えて勉強しているなんて真面目だ。それにしても、塾代はどうしているのだろう?

 この杜家には収入がほとんどない。明々が裏の畑で作った野菜や、庭の木になった果物を売って、細々と生計を立てている。

 梨花さんは病気で、お爺ちゃんはあの通りもう歳だ。両親はもう亡くなっているから、他に働き手がいないといっても――。


「明々にばかり働かせるわけにはいかないわ」

 屋敷に入ると、私は腕を組みながら呟く。それを横で聞いていた明々が「え?」と、目を丸くしてこちらを見た。

「だって、そうでしょう? 私もこの通り元気になったことだし、いつまでも明々に養ってもらっているわけにはいかないもの」

 明々は十八歳だから、こちらの世界では結婚をして自分の家族を持っていてもおかしくはない。それなのに、この家を見捨てることなく世話をしてくれる。だからといって、その好意に甘え続けるわけにはいかない。


「お嬢様、まさか働かれるつもりなのですか?」

「ええ、そうよ。当たり前じゃない」

 明々は絶句してから、「そんな、いけません!」と首を横にブンブンと振る。

「お嬢様がお元気になられて、起きられるようになったことはとても嬉しいことですけれど……またいつ、倒れてしまうかわからないんですよ」

「そんなヤワじゃないわよ」

「いいえっ! ダメです。家のことはご心配なく。私にお任せください。そりゃ……贅沢な生活はできないかもしれませんが……なんとかして見せますから!」

 明々はなかなか頼もしいことを言いながら、ドンッと自分の胸を叩いた。「絶対、いけません」と言い張る彼女に、私は苦笑する。私だって、明々に余計な心配をかけたくはない。ひとまず、もっと元気になったところを見せればきっと彼女も安心してくれるだろう。

「わかったわ。しばらくは大人しくしているから」

 部屋に戻った私は椅子に椅子に腰をかける。


「ええ、そうですとも」

 彼女は大きく頷くと、急須から湯飲みに注いだ薬湯を私の前に置いた。

(やっぱり、これは飲まないといけないのね……)

 私はため息を吐いて、その湯飲みを手に取る。

 苦めのコーヒーだと思えば――。

 そう思いながら、グイッと目を瞑って飲み干した。


(マズい~~~っ! 後口にスイーツがほしいっ!)

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