金縛りを思い出して

大出春江

金縛り

 たしか高校の二年だったように記憶している。


 私の高校では毎年夏に学校祭が開かれている。もちろん、この年も例外なく執り行われた。

 高校時代の思い出といえば、やはり学校祭、文化祭を取り上げる人が多いだろう。それはきっと青春や色恋沙汰、忘れられない記憶があるからで、かくいう私も「忘れられない記憶」があったから、今の今までそれを忘れずにいるのだろう。


 私は生徒会に所属していた。ここだけ聞くと「他人の青春なんて聞きたくはない、爆ぜろ」と言われるかもしれないが、どうか少し待ってほしい。

 当時の我が校の生徒会というのは不安定も不安定で、寝る間も惜しんで作業しなければ学校祭の模擬店なんかは総崩れになるところだったのだ。なぜこんなことになったのか、理由はいくつかあるが、一つは前年の生徒会長が良くも悪くもワンマンだったこと、もう一つが痴情のもつれである。

 結論だけ言えば、仕事の継承ができず、情報共有もできていなかった、ということになる。ミーティングのたびにどこかギスギスとしていた空気もある意味忘れられない記憶だろう。

 しかし、驚くことにこの頃の悩みの種は生徒会だけではない。

 私は生徒会に加えてクラス委員も行っていた。仕切りたがる人がおらず、生徒会所属だった私に白羽の矢が立ったというわけだ。問題はこのクラスの方で、模擬店をやるにしろステージ発表をやるにしろ、意見を募るも出てこない。案を用意して多数決をとっても手が上がらない。名指しで意見を聞いても無反応。もちろん全員が全員というわけではない。積極的な人や最低限の学校生活を送ろうとする人は進んで協力してくれたが、それでも三十人以上いるクラスのうち十人いるかどうかである。

 気づけば毎日頭痛が酷かった。平均睡眠時間は三時間を切る勢いで、何をするにしても頭の中では憂鬱な感覚が羽音を立てて飛んでいる。就寝は夜三時過ぎが基本になっていた。


 そんなある日、明日の作業をしてから寝なければと思い、作業の途中で寝てしまった。起きた時には夜三時、日をまたぐ直前から文書を作成していたからおおよそ二時間ちょっとは寝ていただろう。妙に目が覚めてしまったが、ここで寝なければ学校でバッタリと倒れかねない。そう思い、ため息をついてロフトベッドに仰向けになった。頭がぼんやりと揺れる感覚を覚えて、その先は記憶がない。

 目が覚める。体制は仰向けのまま。普段は横向きかうつ伏せで寝るので、天井をぼーっと眺めるのは新鮮だった。今は何時だろう。窓から少し日が入ってきているから五時だとかそのくらいかなと思い、枕もとの目覚まし時計を見ようと体を起き上げようとした。


 動かない。


 そう理解するのに少しかかった。

 自身の体が仰向けから動かない。顔も動かない。眼だけ動く状態。

 人生で初めての金縛り。テレビなんかで胡散臭い芸人が話しているのを聞いたことがあったが、まさか自分がそうなるとは思わなかった。

 しかし、どこかで聞いたことがあった。金縛りは体が寝ていて脳だけが起きている状態だと。なるほど、仮にそうだとすれば何も問題はない。もう一度目を瞑り、時間が過ぎるのをただ待てばいいだろう。そう思った。

 目を瞑る。鳥の声もしない。物音ひとつしない停滞した空気。私が一人寝転がっているだけ。


 ミシっと音がした。


 足音が聞こえるということは家族の誰かが起きたのだろう。そうか、やはり今は五時過ぎくらいでそろそろ家族も起き始めるか。


 違う。

 

 廊下じゃない。この部屋の中。

 そんなはずはない、そもそも私の部屋に誰かが入ってきているのだとしたらそのタイミングで気が付くだろうし、仮に気が付かなかったとしても、今の今まで物音ひとつしないのは不自然だ。不自然。それに気づいて、瞑った目が開けられない。足音が近づいてくる。


 音が止まった。

 私の隣で。


 存在感というべきか圧というべきか、隣から感じる。今、仮に目を開けて横を少しでも見れば、そこに誰がいるのかがわかる。しかし、開けられない。この時、妙な悪寒と気持ち悪さを感じた。

 開けるべきではない。開けてはならない。そのはずなのに瞼はゆっくりと脱力していく。必死に瞼に力を入れるがますます力が抜けていく。気持ち悪さが増していく。そして気づく。


 いない。


 気持ちの悪い存在感が隣にいない。なぜか、わからない。立ち去ってくれたのだろうか。そんなことはない。いる。直感で理解した。目の前。私の顔の真正面。

 瞼に力を入れるのも限界だった。眼を開ける。そこには黒い靄のような泥のようなこちらを目もないのに見ていた。瞬間気を失った。


 目が覚めると金縛りは解けていた。すぐに時計を確認する。朝六時過ぎ。目覚ましはまだ鳴っていない。

 二度寝なんてほとんどしたことがなかったが、こんな目に合うのならもう二度と二度寝などしない。そう思った。


 そうなるならよかった。


 こんな金縛りを経験しても、残念ながら学校祭の作業は一ミリも進まない。ただ学校に行き、同じように作業をして、できない分は家に持ち帰る。そんな日々は変わらず続いた。

 そうしているうちに体調を崩した。おそらく睡眠不足と栄養失調。学校を休むことになった。これには私も観念して、一度しっかり睡眠をとろうと思った。

 日をまたぐ前に布団に入って目を閉じる。目が冴えてしまって本当に寝れるのか不安だったが、そう考えるうちに意識が飛んだ。


 目が覚めると夜二時半、普段三時間睡眠をしているとパッと長時間睡眠をとることもできない。渋々二度寝。してしまった。


 次に目が覚めると仰向け。


 やってしまった。


 前回と同じ状況。金縛り、目だけ動かせる、薄暗い朝日、鳥の声はしない。

 前回は目を開けてしまってから意識が飛んだ。今回はできることなら目を開けたくない。正確には、前に見たあれを見たくない。とてつもない嫌悪感が頭にこびりつくから。あれこれ考える前に目を閉じる。何も出ず、もう一度寝かせてほしいと。

 

 無理だった。


 足音が近づいてくる。前と何も変わらない。気持ち悪い感覚がすぐ隣で止まる。

 私は心霊的なものに対して否定的ではない。むしろ、科学的に解決のしようがないなら、否定する方が難しいだろうと、そう思う。だからかもしれない。きっとコイツはその類のなにかで、私はどうすることもできないのだと思った。

 顔の前に存在感を感じた。前と同じ。瞼も徐々に緩んでくる。誰か助けてくれないだろうか、そう思った。瞬間声がした。女性の声。眼を開けないで、と言われた。

 しかし、限界だった。瞼が開く。前回と同じ真っ黒い靄のようなそれ。見てしまった、そう思った次の瞬間、立ち眩みを起こしたように周りが真っ白に光った。


 視界が戻ると目の前のそれはいなかった。ここで気を失った。


 目が覚めると金縛りはもうない。朝六時半。仰向けの状態でうるさい目覚ましに手をかける。

 わからない。

 わからないが、何かが守ってくれたのではないだろうかと、そう思った。

 今になって思い返すと、あれは丁度お盆の頃。声がした方には祖母の仏壇があったが、やはり、こればかりは分からない。

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