第4話 蜜菓子
「ただいま」
研修会が終わり、エラバルが部屋に帰ると、アンダが部屋の真ん中で立ちすくんでいた。少々不気味に思って足が止まるが、アンダはエラバルに気づくと笑顔で返事をする。
「おかえりなさい」
どうやら怪我が治ってきたので、立つ練習をしていたようだ。ただ立っているだけなのだが、それでも辛いようで、球の上にでも乗っているかの様にふらついている。アンダの、この異様な体力の無さは何なのかとエラバルは思った。
*
「食べ物を色々買ってきたんですけど、どうですか」
「! ありがたく」
エラバルが買ってきたのは林檎二つとパンを四つ、それと白菜に蜜菓子だ。アンダは蜜菓子に興味があるようだったので、エラバルは自分とアンダの分を少し取り分けて渡した。
「大丈夫ですか!?」
「だっ、い、じょうぶです………その、あまりに美味しくて、驚いて咳き込んじゃいました」
と照れくさそうに笑った。蜜菓子は最も普通に食べられる菓子だが、それを初めて食べたということだろうか。
「前に居たところでは何を食べていたんですか」
「何か、味の薄いドロドロしたものですね…名前は知りません。毎日それでした」
味の薄いドロドロしたもの、しかも名前すらない食べ物とは、とエラバルは眉をひそめる。この国のどんな貧乏な蟻だってもう少しまともな物を食べているだろう。アンダの素性は相変わらず謎だ。話し方は丁寧で高貴さすら感じるのに、高貴な蟻とは思えない酷い仕打ちを受けている。
「…ずっと前に一度だけ、母がこれに似た物をくれた気がします。服の下に隠し持って、使用蟻には分からないように。多分、本当は私に与えてはいけなかったのでしょう」
「ハハ、というのは、前言ってたハハオヤさんのこと?」
「? 母は母親ですが、ハハオヤさんとは? 母親は母親です」
「え? ハハがハハオヤでハハオヤが…?」
エラバルは混乱した。ハハオヤとは蟻の名前ではなく役職名だったのだろうか。
「ハハオヤっていう蟻が世話をしてくれたと前に言ってましたよね。蟻の名前かと思ったんですけど」
「……言ってる意味がよく……「母親」ですよ? まさか知らない訳はないでしょう?」
「???」
「エラバルさんにだって母親がいるでしょう?」
「ハハオヤが、いる? どこに?」
アンダは茫然としていた。まるで天が地に落ち地が天に昇ったのを見るかのような、ありえない物を見たような表情だ。エラバルとしてはアンダの言うことこそ意味不明なのだが。
「じゃ、じゃあエラバルさんは誰から生まれたっていうのですか?」
「そりゃ、女王様からに決まってますよ」
「女王様…」
「まさか女王様を知らないなんて言いませんよね」
「いえ、知っています…女王様から生まれた…んですか」
「蟻は皆そうでしょう?」
女王は最高神から子を成す力を与えられた、唯一無二の尊い存在である、というのは保育所や学校で繰り返し習うことであり、この国の蟻で知らない者などいない。当たり前すぎて誰も普段意識などしていない。
「…まぁ、そういった知識の、擦り合わせの続きは今度にしましょう」
「あの、ところでエラバルさん」
「はい」
「流石に、そろそろここを出ていこうと思うのですが。もう十分お世話になりましたし、これ以上迷惑はかけられません」
「…」
「分かってます。大したお礼もせず出ていくなんて勝手とお思いでしょうが、この通り私は身一つで…」
「いや、そうじゃなくて。アンダさん、まだ歩けもしないのにどこに行くって言うんですか」
「それは…」
「別にいいんですよ。ずっとここに居ても」
「え!? いやいや、ですからご迷惑になるのは」
「今更ですよ。アンダさんとの生活、結構楽しいですし」
ふふっとエラバルは笑った。
アンダとエラバルの常識の壁は、相変わらず分厚い。まさか女王様について何も知らないも同然の状態とは。しかしエラバルはこの生活が、アンダとのやり取りが、今言ったように嫌いではなかった。常識の全くちがう者同士のこの生活がどうなっていくのか、エラバルは楽しみであるとすら感じていた。
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