第84話 僕

    *


 ━━僕の人生には、いつも青く憂鬱ブルーコリーな雨が降っていたんだ。


 かつて『サミー』という名前が付けられる前、僕はどこにでもある名前を持ったどこにでもいる子供だった。


 肉親は母親だけ、父親は僕が産まれる前に亡くなってしまったらしい。

 だけど父親は母親にそれなりの遺産を残していて、働いている母親の収入を合わせればそれなりに良い生活ができた。


 とはいえ父親がいないというのはまだ幼い僕にとっては苦しいことだったようである日、僕は母親に訪ねたことがあった。『どうしてお父さんは僕たちを見捨てたの』ってね。


 我ながら幼稚な質問だったと思う。だけど母親は僕の眼を見て答えてくれた。


『お父さんは"━━"を見捨てていないよ。ただ少し疲れたから遠くで休んでいるのさ』


 母親は言葉を選んで、僕にそう教えてくれた。

 厳しくも優しい母親と一緒に僕はこの世界を生きていた。


 ━━そして、最初の雨が降ったのは僕が十歳の時だ。


 あれは休日の午後、車の行き交う交差点だった。

 僕は母親と一緒に買い物へ向かうために歩いていた。

 歩き慣れた道、見慣れた光景、少し違うことは雨が降っていたこと。


 まだ子供だった僕は母親との久しぶりの買い物に行けることにはしゃいで、無邪気に歩道を走り回っていた。交差点で信号待ちしていてもその興奮は収まらず、信号が切り替わるとすぐに飛び出して渡ろうとした。


 暴走した車に気付かずにね。


 車に轢かれそうになった時、僕の背中を誰かが突き飛ばし、僕は交差点の先の道路に転がった。


 …………そうして僕は助かり、母親が死んでしまった。


 頭が真っ白になった。その光景が現実のように思えなかったが、車から流れる赤い液体を見て理解してしまった。


 ━━僕の大切な人は死んでしまった、とね。


 その後は大変だった。

 いきなり親戚を名乗る人達が現れては、後継人がどうだの、遺産がどうだのと喧嘩を始めたのだから。


 母親を失った僕のことは二の次。遺産に付いてくる邪魔なオマケ程度にしか扱われなかった。


 そうして引き取られたのが母親の妹。僕から見れば叔母に当たる人物だった。


 叔母は本当に酷かった。言葉を選ばなければクズと言いたくなるぐらいさ。


 食事は碌に与えてくれず、気に入らないことがあると熱湯や冷水を浴びせてきた。僕や母親な罵詈雑言は当たり前で、酷い時には家の鍵を掛けて閉め出されたりしたよ。


 僕を引き取ったのも母親の遺産目当て。その金もギャンブルですぐに溶かしてしまったがね。

 まあこのことについてはもう終わったことだ。これ以上話す意味は無い。


 そうして五年の月日が経った頃。度重なる虐待に加え、母親を死なせてしまった喪失感と後悔から幻聴が聞こえ始めていた。

 『お前が悪い、お前が悪い、お前が悪い』という感じでね。


 そして、この辺りからだろうか、夢を見るようになったんだ。

 夢の内容はいつも同じ。

 母親が死んで、周りの人がお前が殺したと僕を笑う、そんな夢。


 笑われて、笑われて、笑われて、いつしか夢の中で僕は僕を笑っていた。


 初めて笑った時はまるでたまらなかったね。まるで薬物でトリップしているように気持ちがよかった。

 そして、僕は辛いことがあるたびに誰も見ていないところで一人笑うようになった。


 ━━笑顔だけが、自傷して笑っている時だけが僕の心を守れたんだ。

 

 だが僕の心身は限界を迎えた。故に制御ができなった結果、十五歳の誕生日に僕は地元の駅の線路に飛び降りた。頬を吊り上げながらね。


 ━━呆気ない最後だなぁ。


 そんな言葉を脳裏に掠めながら僕の身体には大きな衝撃が走った瞬間。目の前に見知らぬ光景が映り込んでいた。





    *


 生まれ変わった僕は新たに『サミー』という名前を与えられた。

 

 ファンタジーな世界を思わせる小さな村で生まれ、その景色を見て『異世界転生』という言葉が思い浮かび子供ながらにワクワクしていたのを今でも覚えている。


 二人の親友に優しい村の人達。そしていつも僕を見守ってくれたお母さん。

 親友達と叶えたい夢も生まれ僕の新たな人生は順風満帆に進むと思っていた。


 ━━二回目の雨が降るまではね。


 それは生まれ変わった僕が十歳の時、奇しくも前世と同じ年齢の時に訪れた。


 お母さんが流行病で亡くなったのだ。

 あの時は悲しかった。お母さんの墓の前で降りしきる雨の中、自分の無力さに打ちのめされていた。


 ライングとシオンに慰められてもその心は晴れずに、夜になると久しぶりに沢山笑ったよ。


 だけど僕はそれを乗り越えて夢である冒険者になった。

 親友の二人には劣るけど僕は僕なりの戦い方を編み出し、それなりにパーティーに貢献したと思う。


 忘れてはいけないのは新たに加わった仲間のことだね。

 ケーアという少女が新たに仲間となって僕達は新進気鋭の冒険者として頭角を表していく…………はずだった。


 ━━たぶん、その日は特に強い雨が降ったと思う。


 それは僕が十八歳の時だ。


 『ローランド』。

 裏の世界を牛耳る情報屋からある依頼を受けたことが始まりだ。

 簡単な依頼内容に反する法外な報酬。そして受けなければ肉体的にも社会的にも殺すという脅し。

 僕達は怪しすぎるその依頼を受け、指定された小さな洞窟に歩を進めた。


 依頼自体はすぐに終わった。だがそう簡単に帰れなかった。


 巨大なオオカミが僕達の前に現れ襲って来たのだ。

 巨大オオカミの前に僕達は成す全ても無く、このままでは犠牲が出るのは必至だった。

 

 仲間を守りたいというのももちろんあった。だけどそれ以上に僕は大切な人達を失うことが怖かったんだ。だから身の危険を省みずに仲間達を逃すために囮役を買って出た。


 心配する仲間を他所に僕はオオカミの前に対峙し立ち向かった。

 そして重症を負いながらもオオカミを撃破、勝利した。


 ━━その後だね。全てが狂い始めたのは。


 重症を負った僕は死に体の身体を引きずりながら歩いていた。理由はもちろん親友達の下に帰るため。

 


 軋む痛みに耐えながら外に出るとまるで滝のような雨が降っており、目の前を見るのも困難なぐらいだった。


 そんな時だ、雨の中で立つライングの姿が見えたのは。


 最初は幻かと思った。だけど僕を見つめる瞳を見て本物だと確信した。

 嬉しかった。本当に嬉しかった。

 彼の姿を見えたこともだけど、僕は彼を守ることができたことが本当に嬉しかった。


 霞むような声で僕は呼びかけた『ライング、僕やったよ』ってね。


 ━━でも僕の言葉は、刃になって返って来た。


 何が起こったかまるでわからなかった。悪い夢なんじゃないかとすら思った。でも痛みと血の暖かさがそれを現実だと訴えていた。


 状況を理解できない僕は眼を見開きながら彼の顔を見ると、ライングの唇が小さく動いていた。

 鼓膜は破れて何も聞こえない僕の耳は、彼の呟きをこう認識した。


『お前は必要ない』


 拒絶された僕の心は真っ白に染まり、それを塗り潰すかのように赤い血が流れ続けていく。

 血を流しながら手を伸ばす僕をライングは見捨てて去って行った。


 そうして身体はもとより、心すらも、僕は一度死んだ。


 だけど生き汚い存在である僕は未だに生に執着していた。


 地を這いっていくとそこは先程巨大オオカミと戦った場所だった。

 そして目の前には青い光が僕を照らしていた。


 死にたくない、このまま幸せになれないまま死ぬなんて嫌だ。


 縋るような願いを込めてその光に手を伸ばすと。


 ━━辺り一面に広がる青空が僕の目の前に写っていた。

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