第80話 Lady Roland

    *


「寝起き早々にビンタはないだろ…………」

「レディの寝顔を見た罰よ。むしろこれで済んだのを感謝しなさい」

「それお前が言うと洒落にならないぞ…………」


 じんじんと広がる頬の痛みに思わず涙が出てしまいそうになる。別に見たくて見たわけじゃないのにこれは理不尽が過ぎないか。


 そして痛みを作った張本人は不機嫌そうながらも上品な所作でワインを飲んでいる。相変わらずの気取った態度だ。


「それにしてもすごい声だったぞ。並の魔物ならあの声だけで追い払えるぐらいじゃないか?」

「…………もう一発欲しいのかしら?」

「いや…………」

 

 彼女の有無を言わさぬ圧が襲ってくる。流石に言い過ぎた。

 この件は元を正せば僕が遅れたのが原因だ。これに関しては文句は言えない。


 そうして気持ちを切り替えるために先程注文したエールを喉に流す。

 しかし前まで感じたりんごの風味は消え、まるで炭酸が抜けた炭酸水を飲んでいるような不快な味だった。


「…………」

「あら、それ美味しくなかったのかしら?」

「いや。それより今日はなんの用なんだ」


 この症状について、わざわざ話す意味はない。

 不思議そうな顔をしている『ローランド』を見て、無理矢理話題を切り出した。


「今日、呼び出した理由は言ってしまえば事後報告と言ったところね」

「事後報告…………」

「そう、事後報告」


 事後報告、それを聞いて嫌でも察しが付く。十中八九『青い空ブルースカイ』についてだ。

 『ローランド』は一つ咳払いをすると気怠げな声色で話し始めた。


青い空ブルースカイのリーダーのライングは一昨日の夜、一人でいるところに凶暴化した魔物の不意を突かれて死亡。魔物については逃亡、現在も消息はわかってない」

「…………は?」

「リーダーの失った青い空ブルースカイはシオンが急遽リーダーに抜擢。ライングを殺した魔物を探そうとした」


 ライングが魔物の不意打ちで死んだ?

 この女は何を言っているんだ。


 突然の衝撃に脳が震えてしまいそうだ。

 しかしまだ終わらない。『ローランド』の事後報告とやらは続いていく。

 

「しかし、フェリアルの王女であるドゥール様が青い空ブルースカイに緊急の依頼を申請。魔物の捜索は中止になり、今日フェリアルから出国した」


 そうして話は終わりとでも言うように、ローランドはワインを一口飲み、ふうと一息ついた。


「これで、事後報告はおしまい。理解できたかしら?」

「は…………え?」


 一方の僕は未だに頭の中が混乱していた。

 いくらなんでも唐突すぎた。全ての情報を整理できたのは彼女が話し終えてから一分が過ぎた頃だった。


「ちょっと待ってくれよ。一つずつ整理するからな」

「ええ、いくらでも待つわ」


 まず一つ。ライングが魔物の不意打ちを受けて死んだこと。これは間違いなく嘘だ。


(だってライングは………………僕が殺したのだから)


 胸が締め付けられる感覚が襲ってくる。だが今はそれに構っていられない。

 息の詰まる感覚を押し殺しながら頭の整理を続ける。


 次の情報は。


「シオンが青い空ブルースカイのリーダーになったのか」

「ええ、元々彼女があのパーティーのナンバー2だからね。そうなるのは必然よ」


 確かにこれに関しては納得できる。

 しかし問題はこの後だ。


「ドゥール王女ってどういうことだ?」


 ドゥール王女。

 僕もこのフェリアルという国に三年も住んでいるので名前ぐらいは知っている。

 フェリアルの中央都市にあるお城からこの国を治めているエルフの王女様。そして僕みたいな一介のなんでも屋なんて屁にも思えるぐらいには偉いお方だ。


 そんなやんごとなきお方が何故青い空ブルースカイに対して緊急の依頼を出したのか。自国の人間を使えば事足りるだろうに。


「…………まさか」

「フフフ、わかったかしら?」


 僕の疑問に対して一つだけ思い当たることがある。

 目の前で妖艶にニヤついてるこの女だ。


「本当に苦労したのよ。王女様とは古い知り合いとはいえ、色々なモノを差し出したのだから。ま、おかげさまでが青い空ブルースカイのみんなこの国からサヨナラ。情報操作もを使って迅速にやったからアナタに害は一切及ばないわ♡」

「………………」


 本当に疲れたわぁ。と身体を伸ばしながら話す彼女が恐ろしく見えた。


 まさかたった一日でここまでの偽情報を作り上げそれを広めたとは。

 まさか青い空ブルースカイをこの国から遠ざけるためだけにこの国のトップを動かしたとは。


 まさに荒技。何百年も積み重ねた『ローランド』という集団の根深さとその影響力に思わず鳥肌が立った。


 そして一番恐ろしいのは…………


「なんで…………」

「うん、どうしたのかしら?」

「なんでそんな手間を掛けてまで僕を助けるようなことをした」


 ライングが死んだ原因が魔物に置き換わったのも、青い空ブルースカイが早々にこの国から出て行ったのも。

 その行動の全てが僕の得になるようなことばかりだったことだ。

 

 『ローランド』という裏の傑物が。多大な労力を割いてまで何故こんなことをしたのか。

 その行動理由がわからないことが僕には恐ろしかった。


「僕なんて神の力を持っているとはいえこんな辺鄙な村で何でも屋をやってるような小物だ。そんな僕をなんでローランドが…………」

「あら、苦労をしてアナタを助けた理由が知りたかったの? 簡単なことよ」


 グラスに入ったワインを一気に飲むと。


「私はアナタを気に入ってるからよ」

「はぁ?」


 そう、涼しくほどの笑みを浮かべながら言い放った言葉に僕は再び頭が真っ白になった。


 無言の時間が訪れる。聞こえるのはマスターがグラスを拭く音と、『ローランド』がワインを注ぐ音のみ。


「冗談でも笑えないぞ」

「冗談とは酷いわねぇ。本当のことなのに」

「いや、あのローランドがそんな理由で人を助けるもんかよ」


 『ローランド』と言えば神出鬼没であり冷酷な情報屋だ。情で人を助けるなんて聞いたことがない。

 

「そんな他人の評価なんて知ったこっちゃないわ。私は私の思ったままにするだけよ」

「そんな乱暴な…………」


 だけど、彼女とはそれなりの付き合いだ。それ故に色々わかってきたこともあったりする。

 例えば彼女は果実酒を好んで飲んでいることだったり。着ている赤いドレスはこの村の服屋で編んだ良質な物ということだったり。

 そして、もう一つは。


「確かにアンタは他の『ローランド』と違って結構いいヤツだとは思ってたけどさ…………」

「え…………?」


 三年間もこの酒場で色々話すとソイツの性格や人となりもわかってくる。

 普段の彼女は気取った態度を取ってはいるが、意外と人のことをよく見てるヤツなのは嫌でも理解できた。


 それだけに過去に出会った『ローランド』と今の彼女の印象が違いすぎてどうにもおかしく感じてしまう。


「いや、でも『ローランド』は………」


 僕の知っている『ローランド』というのは、感情が無く、自己が無く、ただ組織にとって必要なことを淡々とこなしていく無機質な集団。

 その軽薄な態度は全て相手を油断させる演技であり、相手の情報を絞り出すための手段。そう思っていた。


「…………まさか」


 しかしこの考えは違った。本当は。


「お前は『ローランド』じゃなくてということなんだな…………」

「…………」


 こんなどうしようもない状況になって今、僕は彼女が一人の人間だと言うことに気が付いた。

 一人の人間である彼女が『気に入ったから』という理由でこんな僕を助けてくれたのだ。


「…………すまなかった。今まで僕はお前のことを勘違いしてた」


 彼女の目を見て謝罪する。

 今までの僕は目の前の彼女をちゃんと見ることができていなかった。それどころか『ローランド』という先入観のせいで彼女を傷付けたかもしれないのだ。

 そのことを考えてしまうと彼女に謝らなければならない。


「…………別にいいわよ」

「いや、でも…………」

「と、とにかくこれで報告は終わりよ。私はお先に失礼するわね」

「あ、ちょっと」


 静止しようとするも、彼女はそのまま扉を開いて出て行ってしまった。


 そうして僕は一人寂しく酒場のカウンターで項垂れる。

 さすがに衝撃的な出来事が連続したからだろうか、心身共に少しだけ疲れてしまった。


「はぁ…………」


 ため息が漏れる。

 考えていることは一つ。自身の不甲斐なさについて。


(結局、自分では何も出来ずに彼女に助けてもらったってことか…………)


 昨日と今日、僕が過去の後悔に苦しんでいた時、『彼女』は僕の代わりに奔走していたのだ。

 本来この苦しみは僕が背負うものだったのに、『彼女』に押し付けてしまった。


「向き合うこともしないで、ただ逃げただけ。しかも他人に手を引いてもらって、か。…………ははは」


 自嘲の笑みが溢れる。

 ふと彼女の座った席を見ると、そこにはどうやら彼女が飲まずに帰ったからだろうか、ワインの注がれたグラスが置いてあった。

 

「はぁ…………」


 まあこれに関しては気にする必要はない。

 僕は手元にあるエールを飲むだけだ。


『私はアナタを気に入ってるからよ』


「………………」


 だけど今夜の『彼女』のことを考えると少しだけ、本当に少しだけ魔が刺してしまった。

 だからこの行動に深い意味や感情は一切無く、ただ今の僕がそう言う気分なだけなのだ。


「…………乾杯」


 そう言ってエールの入ったコップをワインの入ったグラスに軽く打ち付けて音を鳴らす。

 そして自身の行動を誤魔化すようにコップに入ったエールを飲み干した。

 本当の名前も知らない女の顔を脳裏に浮かべながら。


「…………甘酸っぱい」


 二日ぶりの乾杯の味は強いりんごの香りがした。

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