第3話 温もりの残滓
✳︎
「ただいま!」
家の扉を開け元気よく声を出す。いつもならお母さんのお帰りという言葉が帰ってくるはずだが、返事は帰って来ない。
僕は家に入りとある部屋に向かい扉にノックをする。返事は無いがそのまま部屋に入った。
「ゴホッ……サミー、お帰り」
そこにはベッドに横たわるお母さんの姿があった。
身体は痩せ細ってとり、咳をする姿はとても苦しそうだった。
「おかあさん、大丈夫?」
「うん、今日は調子が良いわ。……ゴホッ……ゴホッ」
お母さんは身体を起こして座ろうとするが咳が止まらず起き上がることができない。
「無理に身体を起こさなくていいよ。後でごはんを持ってくるね」
ニヶ月ぐらい前だろうか。お母さんはいきなり家の中で倒れてしまったのだ。慌てて村のお医者さんに見せてもらうと、働き過ぎて身体を壊してしまったと言われた。
本来ならある程度身体を休めたら元に戻って終わるはずだった。
しかしその後、体調を崩してしまったお母さんを流行病が襲ったのだ。疲労で免疫の崩れた身体に立て続けに襲った流行り病は瞬く間にお母さんの身体を蝕んだ。
だけどこの病気はこの世界にある治癒の魔法で治すことができた。
そして幸運なことに行商の一行の中に偶然その魔法を使える人がいて診てもらったが『この病気を治す治癒の魔法は患者の体力が必要。今行っても治せない上に最悪死んでしまう』と治療を断られてしまった。
そうして現在お母さんは寝たきりの生活になってしまったということだ。
「ごめんね。だらしないお母さんで……」
「大丈夫だよ。ごはん作ってくるからちょっと待っててね」
苦悶の表情で謝るお母さんの姿に僕は顔を伏せながら部屋を出ていった。
そうして夜ごはんを作りお母さんに食べさせた。やっぱり日に日に食が細くなっている、早く元気になって欲しいのに、それとは真逆にお母さんの身体は弱っていた。
「サミー、ちょっとだけお話しても良い?」
夜ごはんをなんとか食べたお母さんはふと、そう言って部屋を出る僕を引き止めた。話って何だろう。
「サミーは冒険者になりたいのよね」
「うん! そのために色々特訓してるよ!」
ライングと一緒に頑張ってるんだよ。そう笑顔で話す僕を見てお母さんは優しそうに微笑んでくれていた。
しかし、その笑顔はふっと、息が止まるような暗い表情に変わっていった。
「実はお母さんね……サミーには冒険者になって欲しくなかったの」
「え……?」
唐突に語られたその一言に僕は言葉を詰まらせてしまう。しかしお母さんは話を続ける。まるで懺悔をするように。
「貴方のお父さんはね、冒険者だったの。とても強くて、そして優しくて、みんなに慕われてたの。だけどある日ね。ゴホッ……、仲間の一人をゴホッ……庇って亡くなっちゃたの」
お母さんが語ったのは顔も見たことの無い僕の父親の話しだった。話をするお母さんの表情は嬉しいそうで、だけど、とても悲しい表情をしていた。
「あの人が最後の冒険に出る前に言ってたの。『お腹の中の子供のためにも無事に帰ってくる』てね」
「…………」
「ゴホッ……、あの時引き止めていれば、って何度も後悔したわ。だからサミーには冒険者になって欲しくなかったの」
お母さんの本音。それは『息子に辛い思いをして欲しくない』という母親としての純粋な願いだった。
お母さんは僕の手を握りしめながら語りかける。
「でもね。貴方が冒険者になるって言った時ね。ゴホッ……、あの人の面影が見えちゃったの」
「おかあさん……」
「私が好きになったあの人はいつも無邪気で、努力家で、優しくてね……」
「……もういいよ」
「だから、止められなかったの……。だってそれは私自身の心を騙しちゃうことになるから」
「もう……いいよ……」
瞼を濡らす青い水。
お母さんは泣いていた。泣きながら笑っていた。優しい笑みを浮かべて、自分の心を曝け出しながら。
「だからね……、約束してサミー。自分の心にだけは絶対に嘘をつかないでね。それってとても苦しくて、悲しいことだから」
それは……。母親としての愛情。後悔して欲しくない、辛い思いをして欲しくない、元気に毎日を過ごして欲しい。そんな小っちゃいけど世界一大きなモノだった。
「うん。約束する。自分の心に嘘をつかない」
「うん。ありがとう」
そうして僕はお母さんと抱っこした。生まれてから何度もこうしたけど、今日の抱っこはとっても暖かかった。
✳︎
次の日の朝、僕はいつものようにお母さんの部屋の前に立って扉をノックした。
「おかあさん。入るね!」
扉を開けてお母さんの部屋に入った。
「…………」
いつもの『おはよう、サミー』の声が聞こえなかった。まだ寝てるのかなと思いベッドに近づく。
「…………」
ベッドにはお母さんが穏やかな顔をしながら寝ていた。
「おかあさん。もう朝だよ」
お母さんの身体を揺すって起こそうとしても起きない。
「おかあさん……朝……だよ」
何度も揺すっても起きない。たぶん昨日夜更かしして眠いのだろう。
「おかあさん……おかあさん」
違う 眠いから起きないだけだ。絶対に違う
「おかあさん……起きてよ……美味しいごはん作るからさ」
嘘だよ、嘘 大丈夫だよ もうしばらくすれば起きるはずなんだよ
「おかあさん……」
『自分の心にだけは絶対に嘘をつかないでね。それってとても苦しくて、悲しいことだから』
ふと昨日のあの言葉が聞こえた ちがうこんなのはうそじゃない
「おかあさん……! 起きてよ!!」
うそじゃないもん
「おかあさん!! おかあさん!!」
いくら叫んでも、いくら呼び掛けても、いくら泣いても、サミーの母親が目を覚ますことは二度と無かった。
最終的にはパンを差し入れに来たシオンがその現場を発見し、その後村の大人達が母親の身体を村の墓地まで丁寧に運んで行った。
墓地に運ばれる母親を見て、サミーはずっと「おかあさんを返して!」と涙を流し叫んでいたのだった。
✳︎
外は雨が降っていた。
今僕はお母さんの前に立っている。より正確に言うと…………お母さんの墓の前に立っていた。
「………………」
お母さんは……死んだ。流行病が急に悪化して寝ている間に亡くなったらしい。
「サミー……」
「雨に打たれてると風邪ひいちゃうよ……」
「二人とも……」
ライングとシオンが傘を差しながら僕の後ろにいた。
「お母さんのことは……」
「大丈夫だよ……」
「自分の顔を見てよ。すごく泣いてるじゃない……」
水たまりに映った自分の顔を見つめる。その顔はとても苦しくて、悲しい顔をしていた。
「あ……あ……」
もっと沢山話したかった。もっと一緒にごはんを食べたかった。もっと沢山教えて欲しいことがあった。もっと抱っこして欲しかった。僕の大人になった姿を見て欲しかった。
でもそれは二度とできない。だってお母さんは死んしまったから。
「ひっぐ……」
ここが限界だった。
僕は泣いた。だらしなく泣いた。心は子供じゃないのに泣いた。沢山泣いた。でも泣き顔は雨が誤魔化してくれた。
「……落ち着いたか?」
「うん……少しだけ」
「そうか」
ふと、シオンが傘を僕に被せてきた。
「シオン、濡れちゃうよ」
「良いの」
そうして、少し落ち着いた時、二人を見た。
「あのさ……二人に聞いて欲しいことがあるんだけどいい?」
「あぁ」
「うん、いいよ」
僕は一つ決意する、お母さんとの約束を守るために。自分の心に嘘をつかないために。
「僕。冒険者になる。今までよりすっごく頑張ってとっても強い冒険者になる」
「……うん、三人一緒に頑張ろう」
頼りになる親友が水色の眼を輝かせて笑った。
「そうだね、サミーならきっとすごい冒険者になれるはずたよ」
優しい親友が、銀色の髪を大きく揺らしながら頷いた。
そうして三人で太陽のような明るい笑顔で笑い合った。ふと空を見上げるととても綺麗な水色の空が三人を照らされていた。
これが、僕が十歳の時、成長の過程と大切な存在を失った思い出だった。
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