ACT.4
ACT.4-1
ベッドに横たわるケインを、アイラは不安そうな瞳で見つめていた。
ケインの頭には細く裂いた布が巻かれている。そして規則正しい呼吸をしながら眠っていた。
ベッド脇の椅子にはイェルラがいて、少年に巻いた布の残りを片付けている。
場所はアイラの家。ケインはパーズたちによって、アイラの元まで届けられていた。
「ありがとうございます」アイラはイェルラに礼を言う。
「療術は得意じゃないから、これくらいしかしてあげられないけど……」
「いいえ。助かりました」
「あとは薬草が少し欲しいんだけど……あなた、ツリバナって知ってる?」
「え? あ、はい。確か森の方にあったと思います」
「明日でいいから案内して貰える?」
「……はい」
「怪我の方は大丈夫。血の量は多いけど大きな傷じゃないわ。あなたも早めに休みなさい」
ケインが連れて来られてから、結構な時間が経っていた。もう夜半を過ぎようかという時刻だ。
連れ戻された当初、アイラは取り乱していた。イェルラが手当てをするのを見てなんとか落ち着いたが、憔悴しきっているようんだった。
「ケイン……なんでこんな」
アイラはケインの手を握って自分の額へと当てる。弟が出て行ったことに気づかなかった自分を、責めているのかもしれない。
イェルラは彼女のそんな後ろ姿を一瞥して、部屋を静かに後にする。
部屋の外、居間あたる場所にはパーズとアートゥラがいた。二人とも座ったままイェルラを見る。
「どうだ?」
「大丈夫。出血は派手だけど傷は浅いわ。明日、薬草で塗り薬を作るつもりだけど、使うまでもないでしょうね」
「そうか」
「それにしても、あの子が化け物と関係あったなんてねー」アートゥラは机の上で腕を組んで、顎を乗せたまま呟いた。「化け物のことをアベルって呼んだんでしょ? あの子が話してたアベルの話は嘘じゃなかったってことよね」
「そうね」アートゥラの言葉にイェルラが応える。「アベルは死んだルードの息子の名前。その化け物は自分をアベルだと認識していたのよね?」
アートゥラに連れられてイェルラが来た時には、すでに化け物の姿はなかった。パーズと傭兵、そしてケインがいるのみだ。
「ああ」
パーズは魔術師の言葉を肯定する。そして真っ直ぐにイェルラを見つめる。
「そろそろ、あんたの本当の目的を話してくれないか?」
「あら。あなたは〝一ッ目〟以外、興味がないんじゃなかったの?」
「…………」
パーズは答えない。ただ真剣な表情でイェルラを見るのみだ。
そんなパーズを見て誤魔化せないと思ったのか、イェルラは諦めたようにため息をついた。
「魔導書を取り戻しに来たのは、本当よ」イェルラは二人の前に座り込む。「でも魔導院は最悪の状況を想定した上で、わたしを派遣したの」
「最悪の状況?」
「魔導書に書かれている儀式魔術を誰かが使った場合……ね。盗まれた魔導書は禁書だって言ったでしょ? 禁書なのは内容があまりに不条理で、未完成の術式だからよ」
イェルラはそこで一旦言葉を切る。パーズ、アートゥラの順に視線を向けて再びパーズへと戻した。
「盗まれた魔導書はね、死を操る術式の書かれた魔導書なのよ」
「死を操る……そーいうの好きよね。アンタら魔術師って」アートゥラが莫迦にしたように言う。
「そうね。関心を持つ魔術師は多いわ。魔術とは世界そのものに干渉し、事象をねじ曲げることができる
でもそんなもの、人の寿命がつきるまでに到達できるわけないわ。だから魔術師は不死を求める」
「なに? アンタもそうなんだ」からかうようにアートゥラは言う。
「生憎とわたしは優等生じゃないの。世界の真理なんか、興味ないもの」
「じゃあさ、魔導書を持ち出したルードは優等生だったってわけね」
話を混ぜっ返そうとするアートゥラの言葉に、イェルラは冷静な表情のまま首を横に振る。
「あなたたちも勘づいてるんでしょ? ルードは恐らくアベルを生き返らせるために魔導書を盗んだ。いいえ、生き返らせることができると騙されたのね」
「へ? 騙された? でも生き返ってるんじゃ……」
「アートゥラ、あなたはアベルを見たんでしょ? 本当に生き返ったと思うの? 生前とは違う姿。人ですらないのに」
「それは……ルードが失敗したからじゃないの?」
「いいえ」イェルラは即答する。「あの工房に書かれてた魔法円は完璧なものだった。魔導具作りに長けているルードなら、儀式魔術はお手のもの。間違いなく魔術はその効果を発現するわ」
「じゃあ、なんで……」
「あの魔導書に書かれた術式はそういうものなのよ。死を操るなんて大それたことを言っても出来るのはあの程度。完全に甦らせることなんて出来ないの。言ったでしょ? あの魔導書に書かれているのは不条理で未完成の術式だって。だから禁書になってるのよ」
「ふーん。ルードはまんまと騙されたってわけね。でも騙した奴は未完成の魔導書なんかで何をするつもりだったのよ」
「……ここでもう一つ情報があるの。その魔導書、著者名は記されていないけど一説には隻眼の魔術師が書いたとも言われてる」
「〝一ッ目〟!」
パーズの表情が険しくなる。
「隻眼の魔術師ってだけで決めつけることはできない。でも魔導院の中でも著者は〝一ッ目〟だろうって思われてる。だから帰って来た魔術師がその名前を口にしたとき、魔導院の長老連中は腰を抜かしてたわ」
「いや間違いなく奴だ。奴は不死を求めている」
パーズの籠手に覆われた左手が、強く強く握り込まれる。
「詳しいのね」イェルラはそんなパーズを冷静に見つめる。「でもそうね。魔導院もそう考えた。ルードの背後には〝一ッ目〟がいるのだと。そして本当に〝一ッ目〟がいるのなら、魔導院の全戦力をもって排除しようと」
「それがお前の……
「そうよ。〝一ッ目〟がいることが確実に分かった時点で、わたしは魔導院に連絡する手はずになっている。連絡すれば魔導院から対魔術戦の専門部隊が派遣されてくるわ」
「〝一ッ目〟っていくらすごい魔術師っていっても、所詮は一人なんでしょ? 対魔術戦の専門部隊って言ったら戦争に駆り出されるヤツじゃん。大げさすぎない? 村ごと殲滅するわけじゃあるまいし」
アートゥラは冗談めかして言う。だがイェルラは真剣な表情で彼女を見返した。
「まさか……」
「そのまさかよ。魔導院が想定した最悪の状況が起きた場合、村ごと殲滅させるつもりだったのよ。
それだけあの魔導書は危険なものなの。未完成ゆえに暴走しやすい術式。ルードの描いた魔法円は規模の小さいものだったけど、〝一ッ目〟がその気になればこの村ごと魔法円で術式に取り込めるわ。そうなったらここの村人全員が化け物になってしまうでしょうね」
「でもそんなことしてなんの得があるってのよ。いつの時代も
呆れた表情を浮かべてアートゥラが言う。
「……実験だ。奴はこの村で実験をするつもりなんだな?」
パーズはイェルラを見て言う。
「あなた本当に〝一ッ目〟に詳しいのね。まるで会ったことがあるみたい」イェルラは探るような目でパーズを見る。「魔導院は……いえ長老連中はそう睨んだわ。〝一ッ目〟は術式を完全なものにするために、この村で実験をしていると」
「ふーん。よーするにアタシたちは時間稼ぎのための捨て駒だってってわけだ」
「そんなつもりはない……と言っても信じてもらえないのでしょうね。
でも魔導院も好きこのんで村を一つ殲滅したいとは思わない。殲滅してしまえば魔導院だけの問題で収まらないもの。ティスターナ王家との折衝も必要になる。いくら魔導院が王家の庇護を受けているからといって、好き勝手できる道理はないわ。それに――」
イェルラはパーズを見つめると視線に力を込めた。その顔には最初に会ったときのような、人を寄せ付けない冷たさはない。瞳に浮かぶのは人間味のある真摯な想いだ。
「わたしだってこの村を殲滅したいとは思わないもの」
イェルラはアイラたちのいる部屋を一瞥した。
「ねぇパーズ。あなたがもし本当に〝一ッ目〟を倒したいと思うのなら、わたしは喜んで協力するし、魔導院にギリギリまで連絡しない」
「イェルラ?」パーズは意外そうな表情を浮かべた。
「そんなに変かしら? 本音を言うとね、わたし一人で片を付けたいくらいよ」
そう言ってイェルラは不敵な笑みを浮かべててみせる。
「だって、たかが魔術師ひとりに逃げ帰るなんて、〝翡翠の魔女〟の名がすたるでしょ?」
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