ACT.3-4

「これで三人目か」


 誰かの声が頭上から聞こえる。自分を取り囲む人々の群れ。大人たちは哀れみをもって自分を――いや、自分たちを見ている。



 これは夢だ。冷めた意識がそう伝える。



 視界の中には一人の少女。パーズは地面に横たえられた最愛の姉を見ていた。

 安らかな死に顔だった。まるで眠っているかのように。死がすべての人に等しく訪れるものであるなら、苦しまずに迎えることができたのは唯一の幸運なのかもしれない。

 但し、彼女の首に等間隔に穿たれた二つの傷跡さえなければ、だが。


「どうしようもないのか。このままあの吸血鬼に村ごと滅ぼされてしまうのか」


 誰かが呟く。その声には絶望の響きがあった。

 貧しい村だった。西方大陸の西部辺境。街道筋からも離れた小さな村。

 こんな村になぜ、あの吸血鬼は住み着いたのか。

 村の外れに古い館があった。貴族の別荘として建てられた館だ。かつてこの周辺を治めていた領主は没落してしまい、この村と共に見捨てられた館。そこに吸血鬼は突如として住み着いた。


 黄金の髪をなびかせ、夜の眷属の証である赤い瞳に妖艶な唇で微笑みを浮かべ、女吸血鬼はこの村へとやって来たのだ。

 吸血鬼に賞金を懸けるだけの金もなければ、傭兵たちを雇って討伐する金もない。大人たちはなすすべなく絶望するのみだ。

 だから少年は復讐を誓ったのだ。最愛の、唯一の家族を奪った吸血鬼を自らが倒すと。


 パーズは姉の死体をじっと見つめる。

 優しかった姉。綺麗だった姉。自慢の、最愛の姉。

 吸血鬼に噛まれて死亡した者は、跡形もなく焼却され、灰すらも捨てられる。墓も作っては貰えない。だから――

 少年は姉の姿を自らの記憶のに焼き付ける。そして誓う。自分が姉の仇をとるのだと。



 これは夢だ。冷めた意識がそう伝える。



「また、来たのね」


 景色は突如として変わる。時間さえも。

 パーズは手斧を持ち、談話室サロンのソファに横たわる女吸血鬼を睨み付けた。吸血鬼は気怠げな様子で少年を一瞥したあと、興味をなくしたようにそっぽを向く。


「お前は姉ちゃんの仇だ」


 パーズは手斧を握りしめて言う。


「おまえも懲りないわね。もう村には人もほとんどいないでしょうに」


 この吸血鬼が村へとやって来てから一年。もとより人の少なかったこの村はすっかり寂れてしまった。逃げ出したのだ。吸血鬼のいるこの村から。今残っているのは旅に耐える出ることのできない者――主に年寄りと、パーズのみだ。

 吸血鬼は何故か逃げる村人を襲うことはしなかった。


「お前さえ来なければ……姉ちゃんも、みんなも」

「いなくならなかったし、おまえは見捨てられなかった?」


 吸血鬼の言葉にパーズは唇を噛んだ。この村に残っているのは自分の意思だ。それは間違いない。だが出て行った者の誰も、姉を失い一人残された少年に一緒に行こうと声をかけはしなかった。親しかった隣人さえも。


 ――なぜあいつは生きて帰って来たんだ?

 ――まさかあいつが吸血鬼を呼び込んだんじゃ……。

 ――ならあいつが姉を殺したようなものじゃないか。


 パーズは粗末な武器を手に、何度もこの吸血鬼へと挑んだ。だがそれ自体が退屈しのぎであるかのように、彼女は少年をあしらい続けた。猫が鼠をいたぶるように、でも決して命を奪わぬように。時には死にそうになった少年を助けさえもした。

 同情的だった村人たちはやがて、パーズすら疑うようになった。


「なんで……なんで俺を殺さないんだ」


 パーズは吸血鬼から目をそらし絞り出すように言う。その姿は随分と弱々しい。


「おまえの姉……あのの血は美味しかったわ。おまえの血も美味しそう」


 少年は弾かれたように顔を上げ、吸血鬼を再び睨む。だがその瞳に先程のような力強さはなかった。

 吸血鬼は赤い瞳をパーズへと向けた。


「いいわね。その無理して強がっている顔」


 気怠げだった吸血鬼の表情が変わる。瞳に嗜虐的な光を湛え、同じくらい紅い唇のに笑みをく。


「可愛い子。その細い首に牙を立て血を飲み干すまで、おまえはわたしのものよ。殺すも生かすもわたしの自由。嫌ならこの村からお逃げなさいな。追ったりはしないから」


 そう言って吸血鬼は意地の悪い笑みを浮かべた。まるで少年が村を出て行かないと決めつけているような笑み。

 そんな吸血鬼の瞳から、少年は目を反らせなかった。自分と向き合って話してくれるのは、もうこの吸血鬼しかいない。

 突如、パーズは部屋を飛び出した。怖くなったのだ。吸血鬼にではなく、共にいることに安心感を覚えてしまった自分に。姉のことを一瞬でも忘れてしまった自分に。



 これは夢だ。冷めた意識がそう伝える。



        ☆



 懐かしい夢だった。パーズは目を覚ましてすぐに思う。まだ自分が少年と呼ばれる年齢だった頃の記憶だ。もう随分と昔のことのように思える。

 最愛の姉を失った時の記憶。思えばあれが、初めて他者を本気で憎いと思った瞬間だった。今まで生きてきた中で二度あるうちの一度目。

 そして続きで見てしまったのは、吸血鬼との何度目かの邂逅。自分の心に吸血鬼とは別の恐怖が生まれてしまった瞬間。


 そんな夢を見てしまったのは、ケインと話したからだろうか。考え込むパーズの意識は、外から聞こえる物音で呼び戻される。

 パーズが今いるのはアイラの家に隣接された納屋だ。時刻は夜。使われなくって久しいこの場所には、黴びた匂いが充満していた。かけ始めた月の明かりが微かに壁の隙間から室内を照らす。

 音は母屋の方から聞こえていた。今、母屋にはアイラたち姉弟がいるのみだ。イェルラはルードの家で調べものをしており、アートゥラは警護を兼ねて家の周りを見張っているはずだ。もしこのまま魔術師が調査を続けるならアートゥラと交代しなければならない。


 パーズは納屋の扉を開けて、物陰からそっと母屋の方を見た。微かな月明かりの中、小さな人影が忍ぶようにして出てきているのが見えた。人影は辺りを見回すと、そっと母屋を離れる。その後ろ姿は少年のものか。その手には提げ籠が握られていた。


「ケイン……か?」


 パーズは気づかれないよう、そっと少年の後を追う。

 ケインは最初、辺りを気にして忍び足で歩いていたが、しばらくすると走り始めた。走りながらときおり籠の中を気にしていた。自分を追いかける者がいることに全く気づいていない。

 村の中を突っ切り、畑を横切り、ケインは村の外れへと向かう。少年の向かっている場所にパーズはふと思い当たる。世話になっているアイラたちの家を除き、パーズの知っている唯一の場所。


「行き先は、ルードの家か?」


 ケインは迷うことなくルードの家へと向かっていた。

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