95.告白予行練習?……むむむ!……ミス〜。


 探求省内は全エリア禁煙。所在する霞ヶ関一帯も今ではもう禁煙地区となっている。

 一服したいのであれば、かなり離れた場所にある喫煙所に行かねばなるまい。


 建物の間に挟まれたひっそりと佇む喫煙所。淀んだ空気が滞留したままの迫害されたような場所に一人、下谷は煙草を嗜んでいた。

 探求省に勤めてからは禁煙し、もう長らく吸っていなかった。

 久しい煙に最初こそ咳き込んだが、すぐに親しんだ空気に心が落ち着く。


 ……多くのものを失った。

 アキハバラダンジョンの件以降、将来有望な探索者、大切な探求省の部下たち。そして、自分を支えてくれた秘書を目の前で……。

 他の職業よりも死が近いことは皆承知の上だ。

 ただ残された者が受け入れる準備ができることはない。

 探索者時代にも多くの友人を失ってきた。当時は武具や宝具もほとんどなく、ダンジョンの攻略知識も乏しいから死亡率は今より遥かに高かった。

 彼の背中に乗しかかるのは重責だけではない。


 大臣辞任も考えた。

 自分を狙って起きた曰西の襲撃では、多くの犠牲者を出してしまった。

 激しい責任追及もあったが、結局は残された職員からの人望とこれまでの功績──そして、この先の世界の調和を統率する後釜がいないために続けざるを得なかった。

 別に地位や名声などはどうでもよい。

 しかし、重い鎖を引き摺って歩くことは強いられたままだ。


「……誰だ」


 誰も知らない、そもそも喫煙所という形をしていない、裏路地に灰皿が置かれただけの場所に人が来るわけはない。

 当然、下谷は警戒する中、現れたのは彼と同じスーツを着た女性だった。

 探求省職員みたいだが、下谷は彼女の顔を知らない。


「警戒させてしまったのならば申し訳ございません。この度、新たに下谷大臣の秘書となります──磐田凛いわたりんです。よろしくお願いします」

「……見ない顔だな。前はどこにいた」

「別の人のマネージャーを。転職でこちらに」

「一応国家公務員だがな。……聞いているだろうが、ダンジョンに潜らずとも命が狙われることのある仕事だ。可能ならばすぐにでもまた転職するべきだな」

「構いません」


 磐田はポケットから煙草を取り出して咥えると火を灯し、一つ煙を吐いた。


「今の世界になってから、命の重さは一回り軽くなった。私が消えてもまた次が現れるだけ。私の命は誰よりも軽いです。ただ、あなたは消えてはいけない人物です。好きにお使いください」

「……君は命を軽んじているな。小さいものこそ見失いやすい。自分のものだけを大切にしなさい。……私は私のを守ることしかできない。どうか私をみくびっておくといい」

「さすが、人思いの下谷大臣です。情が熱い」

「……ボスと呼べ」


 満ちる煙に包まれて、二人はこの先会話しなかった。


『果物に煙はナシだぜ』


 が、謎の声が聞こえた。

 それは、人間でも機械的なものでもない。

 大きさがバランスボール程の巨大な梨におっさん顔のラフ画が刻まれた、人間の生脚が生えた魔物。


「なんだこいつは」

『おっと、俺を殺すのはナシだぜ』


 何もせず魔物は逃げ去っていく。

 そんな奇妙な魔物は東京のあちこちで目撃されるようになった。



   ◇ ◇ ◇



『──現状、退任の考えはないとのことです。では、続いてのニュースです。先週末から都内随所で目撃が相次ぐ魔物。通称〝なしおやじ〟──人前に姿を現しては、梨のダジャレを言うとすぐにどこかへ行ってしまう一風変わった魔物ですが、キモカワイイとSNSを中心に話題となり、その姿を是非ともカメラに収めようと多くの人が街へと繰り出しています』


 さっきまでの真面目なニュースから打って変わり、辻本アナウンサーは明るいトーンでニュースを伝えた。

 見つけてもくれぐれも近付かないよう探求省が呼びかけている、このなしおやじという魔物。どこかで見覚えがあるのだが……。


「ねぇねぇ、亮くん亮くん」


 植山の付き人である保科が、リムジンで家まで送ってくれている車内。

 俺がスマホで時事を確認していたところ、手招きをしているくせに吾妻がお尻から寄せて、間近に座った。

 そして、耳元でこう言った。


「あのさ……クリスマス、デートしない?」

「……はぁ⁉︎」

「わーわー! うるさいよ! しー! しぃー!」


 吾妻が慌てふためき出すと、動きがうるさい彼女に気付いた保科が「どうかされましたか?」とバックミラー越しに運転席から尋ねる。

 とりあえず何でもないとジェスチャーで伝えておく。

 彼は音が聴こえないから会話を聞かれることはない。ワイドミラーの設置や標識を表示しているから運転もできるのだが、察知能力が高いので普通の人よりも安全運転が可能である。



「クリスマスにデートって……お前、生配信は」

「もちろんするよ! でもお昼から夕方にかけてだからさ。夜は空いてるんだよねー。ほら、女子高生が深夜まで配信とか良くないからね!」


 とか言うが、ダンジョンに夜遅くまで潜ることはあっただろ。

 結局出歩いてちゃ意味ないし。何よりも……


「クリスマスに男と二人で出かけていたところを週刊誌に撮られたらどうするんだ。もう、吾妻さんは炎上する騒ぎじゃ収まらないところまで来ているんだ」

「別にいいもん」

「良くないだろ」

「東くんとだったらいいもん!」


 保科がいきなりブレーキを踏み、車が緊急停止した。

 その勢いで思わず吾妻からこちらに抱きついてきた。近付いた時に彼女はシートベルトを外していた。これは俺の不注意でもある。リムジンという車内構造上、横向いて座っていたので怪我はなくてよかった。


「……ご、ごめんね。急に抱きついちゃって……」

「大丈夫だ……」


「お二人とも怪我はありませんでしたか⁉︎」


 保科がバックミラー越しに聞いた途端、俺たちは元の席に戻る。吾妻もちゃんとシートベルトをし直す。

 彼はとても申し訳なさそうに、こちらの無事を伺っている。


「いえ、大丈夫です……何かありましたか?」

「……ええ。突然目の前に、今話題のなしおやじが降って来まして」


『轢くのはナシだぜ』


 轢かれかけたなしおやじが、ボンネットに乗って、飛び出してきたのはそちらのくせに保科に注意(?)する。

 そして、すぐにどこかへと走り去って行った。

 ニュース通り、本当に神出鬼没だな。

 あのなしおやじはよく報告に上がるすね毛がもっさり生えたものではなく、細くて白い脚だったが……性別があったりするのか?


「えっ⁉︎ なしおやじいたのー⁉︎ わはー! 見たかったな〜!」


 吾妻はなしおやじを視認できなかったみたいだな。

 悔しそうだが、興奮している。


「……好きなのか? あれのどこがいいんだか……」

「えー、だってあれはオリジナルの魔物だよ? 見たいに決まってるじゃーん」

「……は? あ……」


 まだ出会ったばかりの頃。

 後ろから回されたテストプリントに、梨におじさんの足が生えたよく分からないものが落書きされていたことがあった。

 その後も暇つぶしの度に見かけることはあったが……あの魔物、吾妻が関係しているのか……?


「それでさ、東くん。返事は?」

「……え、何が」

「デートの!」


 再び車が走り始めると、なしおやじについて考察していた俺に吾妻がまた聞いてくる。

 ……分かっている。ここまで意固地になってしまっては、彼女の意見を変えられない。

 せめて……せめてデートという表現だけは変えさせよう。


「分かった。年明けの撮影で使う、新しい武具でも見に……」

「デート決定だね!」

「いや、視察……」

「ううん! 男女二人で出かけたらそれはデートなんだよ!」


「ドヤァ」とドヤ顔する吾妻。

 おそらくだが、打ち合わせの時に野田たちから何か吹き込まれたな……。


「……分かった。デートだな。あまり他に言うなよ」

「言わない言わない! やった〜」


 吾妻は口も軽ければ、何を言っちゃダメなのか良く分かってないからな。生配信では結構ギリギリなことを口走ったりする。

 だからクリスマス配信はかなり心配ではあるんだが……。

 ネットリテラシーの講義を何度か受けさせてもほぼ聞いてないからな。ネガティブなことを言わないからまだマシなんだが……。


「20時に〜。そうだなーどこで待ち合わせがいいかな?」

「目立たないところ。吾妻さんは変装してもバレるから。それこそ俺が吾妻さんの家に向かうよ」

「それじゃいつもと同じじゃん」

「同じでいいだろ」



「だって、するんだから、特別感ほしいじゃん!」



「──それ、もう告白してるようなものだろ」

「え……? あ、やば」


 吾妻は両手で口を塞ぎ、こちらを恥ずかしそうに伺う。


「……わすれて来てね」


 さすがに……もう気のせいじゃ済まされない。

 クリスマスまであと5日。

 確実に訪れる未来の選択に、俺は決断を迫られることとなった。

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